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項目 内容
ID J2500480
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔三重県人物誌〕川端義夫著S50・8・31 楠木博発行
本文
[未校訂]一七七、加藤市右衛門
 事蹟 少壯より勤儉産を治めて富有の身となつたが、
能く郷黨の困窮を救ひ、又産業の發達其他公共事業に盡せ
しこと少なからず、殊に天保七八年の饑饉には私廩を開き
て之を救護し、郷中これが爲めに生を保ちし者多く、藩主
之を嘉して苗字帶刀を許し、地士に列せしめた。米艦渡來
以來國用彌急なるに及び、金二百五十兩を献して賞を賜ひ、
又安政元年、南島海嘯ありて被害甚しく、人家漂流せしも
の百餘戸、住民山谷に避難し食を求むるの途堪えたるに當
り、私穀數百俵を出して是を救助し、資本を貸與し、医藥
を施した。自家に慶弔ある毎には一村中に物を頒り、方座
浦に至る道路に櫻樹を植えて風致を添ふる等、徳業尠なか
らず。
一七九、加藤傳次郎
 事蹟 三十歳の時父の後を繼ぎて庄屋となつた。時
恰も安政元年十一月四日の南島大海嘯のありたる後にて、
村内の民家大半漂流し、財政疲弊を極めたれば、自ら庄屋
付の山林を悉く賣却し、猶庄屋給を半減し、百方救済の道
を計つた。
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 668
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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