[未校訂]一七七、加藤市右衛門
事蹟 少壯より勤儉産を治めて富有の身となつたが、
能く郷黨の困窮を救ひ、又産業の發達其他公共事業に盡せ
しこと少なからず、殊に天保七八年の饑饉には私廩を開き
て之を救護し、郷中これが爲めに生を保ちし者多く、藩主
之を嘉して苗字帶刀を許し、地士に列せしめた。米艦渡來
以來國用彌急なるに及び、金二百五十兩を献して賞を賜ひ、
又安政元年、南島海嘯ありて被害甚しく、人家漂流せしも
の百餘戸、住民山谷に避難し食を求むるの途堪えたるに當
り、私穀數百俵を出して是を救助し、資本を貸與し、医藥
を施した。自家に慶弔ある毎には一村中に物を頒り、方座
浦に至る道路に櫻樹を植えて風致を添ふる等、徳業尠なか
らず。
一七九、加藤傳次郎
事蹟 三十歳の時父の後を繼ぎて庄屋となつた。時
恰も安政元年十一月四日の南島大海嘯のありたる後にて、
村内の民家大半漂流し、財政疲弊を極めたれば、自ら庄屋
付の山林を悉く賣却し、猶庄屋給を半減し、百方救済の道
を計つた。