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項目 内容
ID J2500468
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔六兵衛万覚書〕「知多市民俗資料館年報3」S63・3・20 知多市教育委員会発行
本文
[未校訂]○平井村(現知多市) 平松六兵衛記
平松武男旧蔵
 嘉永七寅年十一月四日朝四ツ時頃大地震いすり、当地辺
は大キニよろしく御座候得ハ牛毛・荒井・南野・本池・笠
寺・熱田・新長家不残たをれ申候。此辺は下大野不残、
大家方の蔵こわれ候。誠〳〵光明寺様くりまわりこわれ申
候。其日九ツ時ニ而大津浪あかり候。濱手之者共不残山
手へはしりあかり候得ハ、誠ニしんはい仕候。共津浪ニ而
大坂辺は大津浪ニ而千石船なんそうも山手へ船をしあかり
候。其船そこニ而かこい候。濱手迠出スニ、三、四百両も
かかり候用ニ相きこへ申候。其地志ん大壹番ゑん州之国と
相聞候間、大津浪大一番は大坂と相聞候。誠寅年百年ニな
き大志しんと相見申候。此辺は熱田様御むかい七日の間、
天白様ニ而御祭り申候。其間村中者共毎日四ヶ村中迠廻り
候。其日村中女迠不残けんご致候。誠〳〵ニおくわさん
と相見申候。
 私シ共親父病気ニ而しんはい仕候。其地震ニ而村中者表
ニ而こやをかけ親父病気ニ候得ハ、誠〳〵心しんはい、其
こや貳間、三間のこやニ而すまい致候。十一日迠こやニ而
すまい仕候。夫ゟ親父のきわニ而かいほう仕候。
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 649
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛知
市区町村 知多【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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