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項目 内容
ID J2500397
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔手賀野の歴史〕○岐阜県中津川H1・12・30 土井裕夫著
本文
[未校訂](中津川代官所文書断片)
『壁○ムシ○○子竹三ケ村より御割符にて出す。
一 竹百三十二本但六寸(一八㎝)
廻り 手賀野村
一 同 五十九本 同断
中村
一 同 二十九本 同断
川上村
〆 二百二十本
一 平年の御用人足は中津川村で勤め、多くの人夫入用の
節は、寛政五丑年(一七九三)までは中津川辺川上共八ケ
村(中津川村の町、中村、実戸、子野、上金、北野、川上、
恵下)へ御割附になり呼び出して使っていた。しかし久々
里では御知行所惣割附にお願いしているので、今般庄屋肥
田九郎兵衛より回状を以て村々へ触れておいて、雇立てて
勤め、その雇銭を村高に割って取集めることにした。
 但し、赤土と砂は中津川伝馬天役で勤めて来たが、これ
も人足を無扶持で使い、賃銭は右と同様で、〆めて二五貫
八三七文を割つけた。
 これは安政元寅年(一八五四)十一月の大地震で土蔵が
大破(ここで終り)』
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 516
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 岐阜
市区町村 中津川【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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