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項目 内容
ID J2500307
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔印南町史 史料編〕○和歌山県印南町S62・1・1 印南町史編集室
本文
[未校訂](依岡宇兵衛諸事控)
寅六月十四日夜八つ頃大地震ニ而、其上数ゆりし事ニ御座
候、御国内ニハ無別条も、南都・伊賀・上野・野州・四日
市ハ地震後ゆり込之上、出火と相成、人多死其外越前之福
岡も余程大荒之よし
右地震も順気模様ニ而ゆり候哉御座候、当地印南辺ハ廿日
頃よりつなみ上リ候様申立、折ふし印南庄助殿大阪表へ罷
登、外ニハ大体家内のもの持運、相片付候様子ニ付、廿日
七つ頃より荷物少々台所へ運ひ候事、廿三日ニハつなみ上
リ候よし、皆々家ヲ相片附、今哉と相待候得共、何の障り
も無之、又廿七日も余ほと案し候得共無別条、前方宝永四・
十月ニつなみ上リ候よし、印定寺檀家ニ而、死人百七拾人
余有之、札場ニ而汐六尺も有之よし
手前方江印南伝四郎殿荷物、利右衛門殿荷物、山形屋庄
助殿荷物、喜右衛門殿荷物、六月末ニハさっぱり御取被
成候事、誰が申ともなく申出、大ニ混乱いたし候事ニ御
座候、
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 390
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 和歌山
市区町村 印南【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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