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項目 内容
ID J2500286
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔甲寅損亭日札〕○近江八幡市新左衛門町西川吉輔家文書 滋賀大学経済学部附属史料館
本文
[未校訂]六月十三日午剋地震
同 未剋大に地震
同夜子剋より白雨して雷鳴する事頻にしてその度数不知
中にも三四聲の雷未曽有にして不堪聞家内恐怖する事難
盡筆紙電光絶間なく白昼(カ)の如し雷鳴白雨かは□しその数
かそうるに由なし暁に致て止浅小井村土田むら大房むら
木部錦織寺へ霹靂したりとなん
〈同十四日快晴炎熱甚し
〈同夜氣候常の如し
同丑剋戌亥の方より地震ひ来りてその響虚空にすさまし
く天地も今や壊るゝ斗りに震ふ吉介伏たる室内の襖はす
れて蚊帳に落つその勢に燈消ていかんともする事なく増
震ひ来てやす引辛ふして妻戸を明て妻子を庭中へ誘引し
て砌を見れば大石燈篭のこりなくたおれ恙なかりしは只
万寿寺と為□ると珠光といへるのミこは丈三嘉慶殿也家
内打おとろきいつれも庭中におり立て唯大虚を眺望する
のみ也それより震ふ事度々にして漸暁天にいたるこれよ
り前吉介伝右衛門かりゆきてあらかしめその妨をなさし
めまた西谷のかりにてもおなしくなしたりその往来の途
中ハいつれも家々の男女門外に出て燈なと持出むしろな
としきてその再震の妨をなす同ク家内の母妻子なとは吉
光の別墅に頼みやりて今ハ心安く構のうち爰かしこ点見
したるに壁等ぬりこめハいつれも大少の破損あり然るに
暁天比又大地鳴来て大ニ地震するにつきて世の中いかゝ
成り行なんと思ふものから吉光ぬしの別墅に家内の女子
共のこりなくやりて今は心安く男斗り一処に群居して夜
の明けるをまつ処に既に暁天の比又山鳴地振動していつ
れも再ひ肝を冷しぬ
▲十五日曇日色紅の如くして光りなし鳴動する事数をしら

▲同夜一天曇り風なく朦々たる気色なり熱炎甚し町内のも
の八幡宮の森に幄を設て伏ぬ怪談浮説種々申ふらし心や
すからす
▲十六日曇日光なく気侯(ママ)常の如し日野岡本烈敷怪我人数多
あるよし京大都ハ八幡とおなし趣なり大津のうち石場尾
花川誠ニ烈く膳所両惣門壊れ櫓壱ツ崩れ落る由伊州上野
大ニ振ひ安濃津誠ニ烈く死人数しれす草津石部も烈く山
の上岡崎西川原むら大あれ
(上欄)大津の死人十五人の朝点見の処廿七人ニ中ニ石原手代両
人ある由
(カ)▲十七日曇同し凡十六日夕より今午剋迠拾七八度ニ及ふ長
命寺千日詣誠ニ寂寥し夜中五度斗振動
(上欄)同夜子丑の刻大白雨
▲十八日曇未剋より南風吹て涼氣を帯る也過し十四日夜の
大変によりて河内屋多兵衛殿方の本屋貸家共大ニ傾き山
形屋善兵衛殿本屋大ニ傾キ控屋敷崩れ長命屋清兵衛本屋
大ニ傾き伴庄右エ門殿作事小屋新町の通りへ崩たおれた
り備後屋才右衛門殿路地の屛崩れて丁子屋の戸外へくつ
れ来る小幡町あはし屋八郎兵衛雑小屋くすれたり此大変
の再ひ来らん事を恐怖して上筋の人ハ□桜の馬場宇津
呂の畑地へ出て小屋を設け町方寺院の近き家の人はその
手(ママ)よりの寺へ昼夜身をよせたりしかはあれと怪我したる
人なし
▲同夜曇にして月色なし
七月廿五日夜動揺
後七月五日夜九ツ時半小揺
同六日八ツ時半大揺
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 365
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 滋賀
市区町村 近江八幡【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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