[未校訂](安政四年)
一入さの友は善光寺ニて地震に逢たる咄しニ親方の所ニ居
て勘定相仕廻せんとうへ行上りてふき居り候処とゝうと
来り三足程あるき候と思へ候処□大勢あらふ処にて大木
の下へなり候へ共からだ向へ出れば出られ候位なれ共向
へ出る時は女共いたへ又せつないと云故先其処に居り候
然るに男女〆三十人もつぶされ居候此時思ふ事に地震な
り此内はよわき故如此又板屋故出られかゝる時外々ハと
うだと思ふ処そとに人声なし扨ハ世間一同也かゝる時火
起りてハ大変也先人はなき候ても我身さへ出られたらは
悦ひしと木の下ゟはい出て上のあかりを尋ねて出ル時女
壱人出兼居候出してやらんと尻ゟおして上へ出し私も其
次に出候時うれしなミだしてなき候也此跡ゟも大勢出候
は勿論なれ共此事は不知其ゟ我家へ行道中皆つぶれ人の
なき声多けれ共先一心に家へ行呼りミれ共人声なし扨は
ミなつふれたるかと思ひ候処跡ニて尋れは人三人死しハ
女にて御客迄〆て十五人余も逃出したる跡也とか然して
居る内同しき傍輩の他へ□へに行たるに行逢此ものゝ衣
もの一枚かりてきる也□はだかなれは至てさむく其ゟ
田町の方へ出けるに所々に火事起り前のせんとうやなと
やける或ハ何かしろもの等出すもの有私ハ俵をきてみて
居り候処夜明方にやふ〳〵親方がたんぼへ逃出したるを
見つけてやふ〳〵人こゝちつきける也
(慶応二年)
一浜尻より越中□に良八と云もの居りし也此もの丁未のぢ
しんの前に云に八十七日ゟ宵闇也此闇の時いつもゟあか
るき也何か変事のなけれハよろしき也と云其月の廿四日
大じしん也□宵闇のあかるハ♠しくなきと也