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項目 内容
ID J2500142
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1828/12/18
和暦 文政十一年十一月十二日
綱文 文政十一年十一月十二日(一八二八・一二・一八)〔越後三条〕
書名 〔中条町史 三巻 資料編 近世下〕S60・8・20
本文
[未校訂](久世家実録年代記)○新潟県乙村
文政十一戊子年十一月十二日 朝五ツ時分越後三条近ぢし
ん、三条町中不残よぢ潰レヤケ幾千人死、近在、近郷家潰
レ、同見附町多ク潰レヤケル、人も少々死
日々間々ニぢしんよる事七十よ日ニして全納ル、
書印候事一ツとしていつわりをかくべきや、皆全キ処也、
然共三条、善光寺大江戸の此三ぢしん、又此の違作余りに
大い成る事故、ことわる処也
三条の時なとハ、此近郷斗りにあらず、紺屋・瀬戸物見
世杯(抔)ハ大キ成る損をしたり、懸置シち(茶)ゃ釜いろりの外迄(振)ふ
り出ス事、南北とふつタ是を思ひ見れバ、桃崎つなミぢし
んハ是ゟ少静なるかと思ふ
文政十一戊子年十一月十二日朝五ツ半時、越後国中大ぢ
しん、別テ三条町大潰れ、町中不残ツボレヤケル、何千人
死、鶴屋何がしと申一軒ニ手習子共四十よ人二階ニ居たる
に、やれという内ニはや、はしこはづれ、家づほれ、四十
よ人不残死ス、三条近郷ハ不申及并ニ見付町数十軒ツぼれ、
此町不残ヤケル、人もケが有、間々ニぢしんよる事、七十
よ日ニして全ク納ル、此年、乙村ニ灌頂有、七月江戸大芝
居立
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 133
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 中条【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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