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項目 内容
ID J2500096
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔串本のあゆみ〕○和歌山県串本町S55・5田嶋威夫編
本文
[未校訂]○袋港南岸近くに建てられていた錦江山無量寺の堂宇が全
部流失の災難に遭い為に串本の旧記一切を流失してしまっ
た。
過去帳及旧記等を寺に預けていた旧家は之が為に祖先の
系統所縁を知る事が出来なくなった。
無量寺の境内にあったと云う大柏槇(戦時中空襲のため
焼失)の上を千石船が通ったと云う云い伝えが残っている。
○有田浦中村文書の「地震津浪旧記……(安政の地震と津
浪の記録)」の中に
「今を去る事百八十年前、宝永四年十月四日の津浪には
西地辰之右衛門屋敷にて塩壱俵返り[徒|つ]かりしと云う、正覚
寺屋敷一ぱ[為|い]まて屋敷上エ迄は[不来|きたらず]と云伝エり此度は先年
よりは浪ヒキク(ヒクキ)当地にて[凡|およそ]五尺[計|ばかり]江田に[而|て]は八
尺計ひくしト云 土地により強弱[阿|あ]り・・・・」
とある(安政の津浪より五尺ぐらい高かった)から大変
な被害だったに違いない。
波は、ゑび屋川迄とも、きんで谷口ともいわれている。
(ほうの木有り)
(有田中学二年夏休みの研究より)
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 64
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 和歌山
市区町村 串本【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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