[未校訂] さて、一行が島に到着した直後に大地震があった。仙
台では青葉城の城壁が崩れ、楼櫓が破損するほどのもの
であった。この島も大いにゆれた。震源地は金華山沖と
なっており、島々は津浪を正面から受けた。船世帯だっ
たためか一族の被害はほとんどなかったようであるが、
これに比べ島の南端で太平洋側、青島に面した沿岸は大
被害を受け、当時の鹿倉村の十二戸は全滅してしまった。
長南一族は、これら被災者の救援に赴き、死者は前浜
に近い波沙という所に葬った。
鹿倉村には里見を追われた浪人や、和泉守の先輩人が
おり、一族渡来について世話になったという経緯がある
ので、明治初年まで供養がつづいていた。