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項目 内容
ID J2400232
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1616/09/09
和暦 元和二年七月二十八日
綱文 元和二年七月二十八日(一六一六・九・九)
書名 〔浦戸の今昔(三)〕○宮城県塩釜市浦戸[寒風沢|サブサワ]島S55・3・15 塩釜市浦戸公民館
本文
[未校訂] さて、一行が島に到着した直後に大地震があった。仙
台では青葉城の城壁が崩れ、楼櫓が破損するほどのもの
であった。この島も大いにゆれた。震源地は金華山沖と
なっており、島々は津浪を正面から受けた。船世帯だっ
たためか一族の被害はほとんどなかったようであるが、
これに比べ島の南端で太平洋側、青島に面した沿岸は大
被害を受け、当時の鹿倉村の十二戸は全滅してしまった。
 長南一族は、これら被災者の救援に赴き、死者は前浜
に近い波沙という所に葬った。
 鹿倉村には里見を追われた浪人や、和泉守の先輩人が
おり、一族渡来について世話になったという経緯がある
ので、明治初年まで供養がつづいていた。
出典 新収日本地震史料 続補遺
ページ 49
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 宮城
市区町村 塩竈【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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