Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J2400231
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1615/06/26
和暦 慶長二十年六月一日
綱文 元和元年六月一日(一六一五・六・二六)〔江戸〕
書名 〔桑原文書日向兵乱并大慶驚動記〕宮崎県立図書館
本文
[未校訂]一 大坂夏陣之事大坂崩年号
替リ元和と成ル
元和元年乙卯の年夏将軍方ゟ俄に御取起大坂崩卯ノ年也
此時 右馬頭忠興公国元より大坂立(ママ)ニ御上落ニ四国路に
て大坂崩たると大坂蔵衆申上候使四国路三机ニ而参合
陣伊豆大地震あり 武蔵国ハ江戸御城ハ石垣御無事御殿
主地震大動之時東西江大なびきになひくを内外之御番衆
今ころふと御覧すれハ起直ころぶと御覧に起直に依□
の御殿主と御前にて乃御名付大名屋敷長屋門ころびたる
も有 町中家同役人ハ一足も先江踏事ならす 乱馬 四
ツ足をくゝり寄たることく乗馬之人馬よりおるゝ事なら
す 一所にても御城より中橋芝口にすちかへに動き強し
中橋より北浅草方動きよわし 右ハ江戸中之事
相模乃国同卯乃刻之地震小田原侍方家ころひたるハ数知
す 第一小田原町之事東より西迠両がは之家一度に倒寝
なから討殺したる人も有、起て座して居たるを討殺たる
人も有家の内をはたらき者と見へて討害たるも有、死人
同廿一日之改男女名之人斗二百三十七人着到内に侍方名
いふ人斗、明廿二日に江戸に申上る、此外□部使ハれて
男女死たるも有、死にかゝりて有もあり、改なく数知す
上り下り旅人泊討害したる死害ノ一所に持出捨たるに、
国々ゟ尋来数人之死容(ママ)之中ニてゆかりを見分て吊ふ人も
有、又見分す、帰人も有、地衆旅之衆哀を留たる事なり、
依て小田原地震と名付右之段ニ有ニ残りたる家々事小田
原町之真中に北南向合両かはに屋敷二ケ所二人之大家倒
れす有是不思儀と江戸に申上る又同町之東西之はてに草
家十斗宛残り有、伊豆国々ハ箱根到(峠)下東江行は左りの高
山より大石一ツ落飛脚馬に乗て通落石一ツにて飛脚馬馬
かた討殺たり馬かた小田原の者飛脚ハ紀伊国之飛脚箱根
御番所ゟ江戸に申上なり波(ママ)石落て道打ほぎたる跡二間口
有江戸ゟ上りに見得たり三嶋之町口横にゆりわり其日上
下乃馬通り留る、右三ケ国之隣国有て、常之地震ゟ強動
たると江戸に申上伊豆国ゟ京迠之事、同卯の刻に動ハ(ママ)有
年の地震と乃沙汰なり 卯の刻乃地震ハ右之断(ママ)又同日之
朝辰之刻末に大動有付て江戸中驚御用心先御屋敷舟苔を
以庭に仮屋作御座有に同正月廿一日より廿九日迠ハ昼夜
御庭之苔仮屋ニ御座有たるなり、諸大名屋敷同断
附り七郎右衛門卯の刻の大地震の時、江戸長屋二階に
いまだ寝て居に動有、地震と思ふ内に大動出来起たれ
共左右にころび帯をむすぶ事ならす我身大事と思ふ心
もなく長屋ころびたらば討ころさるゝ斗小田原之大(ママ)死
ことわりなり、地震之時ハ少ニても先起るか本手なり、
思安する内に大動に成と起事ならさる物なり、上下さ
くりに志かいの戸明す、地震と思ふ時先戸をあくる本
手也、兼而之心意(ママ)専也、右いふ辰刻之地震に馬場通人
長屋しきの下に寄駒寄に皆取付たり、長屋ころびたら
バ討ころさるゝなり
出典 新収日本地震史料 続補遺
ページ 48
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 宮崎
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.001秒