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項目 内容
ID J2300369
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔道中日記〕四日市 山田文書 ▽
本文
[未校訂](安政三年)
二月十三日
今朝五ツ時宿払其後御勘定致し大和此案内人多吉□相判夫々
引請書面当宿印判□庄右衛門殿ゟ請取諸般取定早々出足せん
法華寺西大寺□原天満宮招携(提)西ノ京此大塔故ありて六重の塔
江掛候処地震災ニて九輪をはじめ惣体東の方へよろび申候馬
堖石の台座石イボなしの鐘黄金の八尺立像の観世音右三躰ハ
渡り物の由(後略)
(注、あるいは安政元年六月十五日の地震によるものか)
出典 新収日本地震史料 補遺 別巻
ページ 501
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 四日市【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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