[未校訂]蒲郡市の地震災害の古い記録については、形原町の「御嶽神
社日誌」がある。これには、安政元年(一八五四)の伊賀、
伊勢地震と同年十一月の江戸地震に関連した次の一文があ
る。
大地震之事
安政元寅十一月四日朝五ツ時大地震致シ御社ノマワリノ塀
西ノ方崩レ損ジ前ノ石燈籠残ズ落チル火ブクロ皆損ジ塀ハ
板ニテカコイ石燈籠ハソノママツミオク、此度震動ハ大へ
ン事ニテワキワキハ家々クズレ又津波ニテ家ヲ引キ出サル
ル所モアリ、当地ハマダマダサハリ少シ
之ハ町石燈籠クズレ早速積ミ直ス、又五日晩ノ震動モソコ
ソコ其時西南ニテ大へンナル音致シ、此音ニテ皆驚ロキ申
事、コノ音ハ何ノ音共不分凡廿日計リノ間、小屋ヲ作リコ
レニ住ヒス、又同年六月十四日夜、伊勢地ヨリ伊賀辺ニ大
地震十一月四日夫ヨリ翌年中少シヅツ折々イル、十月二十
八日ノ晩大地震此度ハ格別ノ損ジナシ、同十二月二日(ママ)江戸
大地震家々大半クズレ火事火口三十九所ヨリ出ル、大へン
コノ事共也
この地震は、安政元年(一八五四)十一月四・五日の二日間
にわたる大地震であった。最初の四日午前九時十五分の地震
の震源地は、遠州灘東部で被害は東海、近畿、四国地方にわ
たり伊勢湾、三河湾沿岸、渥美半島の遠州灘沿岸では津波の
被害をうけている。
その翌日の十一月五日午後五時ころつづいて大地震があり、
四国南方海上に震源地をもち、三河地方一帯に多数の家屋倒
壊があり、西浦村では津波の被害をうけ、住民は屋外に小屋
を建てて寝たことが記録されている。