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項目 内容
ID J2300350
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔富士市の研究 五・六集〕○静岡県富士市教育委員会
本文
[未校訂]嘉永七年十一月の大地震の状況
◎差上申御詫書之事
一去寅十一月四日稀成大地震ニ而居家小家等々(ママ)至迄悉ク皆潰
ニ相成極難渋及御村方より御届に相成候処格別之御慈悲を
以急場御救御手当被下置誠ニ以難有仕合奉存候然ル処世上
一同融通向一切無御座殊ニ寒気相凌候手立も無御座候ニ付
必至と難渋至極罷在候間其趣奉歎願候処莫大之御仁恵を以
御上様より御拝借金被仰付当正月十三日郷御蔵ニ而御割渡
相成誠ニ以冥加至極難有仕合ニ奉存候然ル処必至難渋之折
柄心得違之廉有之一同辻寄合致候節御聞及同十五日郷御蔵
ニ而厳重御糺ニ預り候処誠ニ以一言之申訳無御座奉恐入候
然ル上は向後如何様之儀有之候共御上様御拝借金等ハ勿論
其外何事ニ寄らず御願筋ニ付辻寄合等之儀聊たり共決而仕
間敷候且又是道重々心得違之段是亦奉恐入候何卒御慈悲を
以御用捨被成下様偏ニ奉願上候依之一同請印仕御詫書差上
申候 以上
安政二卯年二月
御知行所駿州富士郡松岡村
小前百姓一同
御村立御役人中様
◎乍恐以書付奉願上候
御知行所駿州富士郡松岡村役人共一同奉申上候
一去寅十一月四日稀成大地震ニ付百姓共一同居屋小家等ニ至
迄悉皆潰ニ相成候ニ付其趣御届奉申上候処厚御慈悲を以急
場為御救御手当被下置惣百姓一同難有仕合ニ奉存候然ル処
世上不融通ニ相成殊ニ寒気時節雨露相凌候手立茂無御座必
至の難渋相迫候趣ニ而再三村役人共迄歎願申上候ニ付其趣
不顧恐御上様江奉歎願候処莫大之御仁恵を以御拝借金被仰
付誠ニ以冥加至極有難仕合ニ奉存候
安政二寅年二月
御知行所松岡村
名主格 源内㊞
同 次郎右衛門㊞
百姓代 政吉㊞
◎覚 松永家文書
嘉永七寅年十一月四日巳之刻稀成地震ニ付御地行所七ケ村之
内皆潰半潰れの者江御救被下置候数左ニ相記置申候
松本村 家数二十六軒
皆潰れ 拾六軒 皆潰れ 名主 壱人
同断 百姓代壱人

半潰れ 八 軒 内小痛 弐人
小痛ミ 弐 軒 同断長通り(ママ)身元之者 三人
右七軒は利解申聞急破御救手差除キ
皆潰れ、半潰れ受窮中之者迄拾九人壱人ニ付金壱歩宛
但極窮九名江金弐両壱歩
但中之者拾人江青銅拾貫匁壱人ニ付壱貫文宛
合テ
平垣村 家数 五拾五軒
外ニ寺二ケ寺
借地 三軒
家無出稼 三人
皆潰れ窮民 拾弐軒 壱人ニ付金壱歩宛
同断中之者 八軒 同断 金弐朱宛
半潰れ窮民 拾軒 同断 金弐朱宛
半潰れ中之者 八軒 同断 銀壱朱宛
無事三人 助七、角右衛門、庄吉
小痛ミ且高持百姓之分は住居差支候共自力ニ而取扱出来ニ付
御救除ク廉調皆潰半潰窮民仕訳巨細難分ニ付打混し
極窮 六軒 壱人ニ付 金三朱宛
中之者三拾九軒同断平均 金弐朱宛
合テ
松岡村 家数 六拾三軒
皆潰れ 四拾七軒 半潰れ 拾六軒
内名主 弐人 高持 四人
右御救除ク
極窮 四拾五軒 中之者 拾弐軒
〆五拾七軒平均 壱人ニ付青銅壱貫文宛
瓜嶋村 家数 拾軒
皆潰れ 四軒 半潰れ 六軒
内半潰れ 二軒 是ハ名主百姓代
同断 四軒 身元之者
右御救除ク
皆潰れ窮民 四人壱人ニ金壱歩宛
比奈村 家数 弐拾六軒
皆潰れ極窮 弐軒 壱人ニ付米三斗宛
半潰れ同断 弐軒 同断 米弐斗宛
小痛ミ 拾九軒 同断 米五升宛
同断三軒是ハ村役相勤且身元之願ニ付御救相除ク
〆米壱石九斗五升
◎乍恐御請奉差上候
一今般大地震ニ付右之段先達而御注進申上候処早速御聞済被
成下置候
(注、米弐斗二人、三斗(一カ)二人、五升一九人の人名は省略)
前文之通り従御上格別之以御慈悲ヲ御救米被下置候処百姓一
統難有御請連印奉差上候処相違無御座候 以上
嘉永七寅年十一月
富士郡比奈村
百姓代 伊三郎
組頭 源六
名主 慶蔵
御地頭所様
御役人衆中様
出典 新収日本地震史料 補遺 別巻
ページ 458
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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