[未校訂](表紙)
「弘化四未ノとし
徒然日記附地震大変録
三月朔日此日ヨリ前ノ事ハ本家日記ニアリ
中条唯七郎」
(
大変目印
今夕四ッヨリ也
大地震中止ミノ事弐百五枚ノ十月二日ノ丁ニアリ
三月廿四日
今日天気よし夜ニ入四ツ頃大地震あり
一中河原病死勇左衛門忰申候ハ其地震以前戌亥ノ方ヨリ東南
の隅へ白キ気あると思ひしが其跡(ママ)直ニ地震あり
一地震翌日迄昼夜間断なく其心地船に乗し候様也
一皆人宅中に有之事成兼皆庭ニ出候て終夜有之候也
一諸方共ニより潰され候て其まゝ炉中ヨリ火起り忽火事と成
って諸方は火事有之事今夕北の目当りヨリ西へ掛ケて山中
辺ニ火事村々ニあり右目当りゟ東北の隅へ拘リて是も火事
多分有之候
一当所東山ヨリ巌石落る音物すごき事甚し依之廿五日の今朝
其向キへ立入見候ても決して其事なきと也
一当時ニても中村中河原辺ハ別而強く井辺等も悉濁りニ成ツ
て有之候也
一中村辺ハ居宅等へ障り傷メ候事利右衛門銀左衛門其外林左
衛門□次郎左衛門の物置雪隠等其外土蔵等壁ニわれ御座候
所多し殿入小路ニても其類多く有之也
一併山際の方ハ其類多分寡し
一中村元作方等ハ南ノ方江酒蔵ノ内□蔵方三尺もかしがり候
殊に南之壁付ニ種々の造り付物必多と有之申候等(マ♠)ハ皆砕た
をれて無之相成是等ハ見ざれハ実事共不被存程の事也我今
月五日ノ朝五ツヨリ四ツ頃迄ニ現ニ見受候
一元作西海道等地上ひびれ割れて底ヨリ水吹出し候所中河原
向ノおどり堂ノ橋迄其段也
一我等泉水平地辺ハ五寸も間有之地禄高サ廿四日ノ夜ハ水は
り上のき下を水通り候也
一何方ニても誰壱人宅中ニ有之者なく自付他付共ニ皆庭ニ
ねこ敷(藁製の敷物)候て仰天形ニて庭ニ計有之候也
一矢代辺ニてハより潰れて宅中ニ変死之者七八人有之と聞
一元作方等ニてハ今廿五日其倒屋引直さんと人夫入料方過半
也
一善光寺之義此節三月十日ヨリ開帳ニて当村ヨリも此節参詣
人有之所止宿家より潰レ火事諸方ニ有之其混雑ニて容易其
有所ヨリ出兼候趣也誠古来□地震可成ハ大変ニ承り候得共
夫ハ浜辺故左様の事も有之候併も奇珍至極の事也と存候ニ
かゝる山家の奥在所ニ今度の義ハ可有之事共不被存
一其地震より出んとおもふ以前ニハどんと壱ツ鳴り候上ニて
寄り出す也
一中河原金兵衛仲右衛門恒吉又ハかぢや安左衛門是は土蔵より潰レ也
其外ノ本宅ハほぞさし口ヨリねぢ折り候て傷メ候也
一川中島辺も篠ノ井辺ニてハ其当地ニたまり兼其縁故〳〵を
求め当時成就院富右衛門方等へ何人も来り居る廿五日ニ来るといふよし
一善光寺事ハ此上追々可承候当時常吉等夫婦ニて子供両人召
連行キ女房と子供両人死し候といふ
一犀川の水廿五日ノ今日ハ一水も不下ラ彼大河細川の如くか
ちわたりせるといふ也
一松代殿様も昨廿四日ノばんハ桜のは(ば)ゞへ御出かけ被遊候也
松代も町方ハより潰レ多数向きに承り候
一稲荷火事之事今廿五日三十郎富之介遣し候所丸焼ニて愛介
等立チしまゝと承り候何を承り候ても前代未聞類も形も当
国ニてハ開闢以来無之珍事なり
昨廿四日ノ夜当村中河原下も坊主等ハ元ト坊主ノ家より
潰レ中河原ヨリ行キ候て漸坊主等ほり出シ候也
一稲荷等の義ハ地震ニてより潰レ候ての出火故其所当地の者
を始として旅人等も善光寺参りニて止宿の大勢幾許の死人
ニて候哉かぞひ難キよし中にハ其潰れし家下ニて助け玉は
れと申聞の聞得ハ有之候ても其声を聞ながら立寄候事も成
らさる始末柄の趣也
一右躰故遠国他国の死人あげて斗い難義と也中々此度之義口
上ニも筆にも其事ニ引合候様にハ申兼候
一川中島等にてハ能キ家程ハ打より潰レ候と也塩崎康楽寺等
ハ近年の大営にて有之しが今度之地震ニてべた〳〵押潰レ
候と也
一往来の左右に倒れ臥し居る旅人命から〳〵ニて多き事のよ
し
一善光寺等の義より潰し候旅宿に大勢潰れ死る者多数と也当
村小路藤四郎老人当未ニ八十才等苗字笠井八畳敷に廿人止宿候て其押潰しに
逢候得共打籠端ノ処に有之候ニ付真はだかに這へ出し候也
当未ニ八十才皆臥し居り候所より潰し天井其上ニ落其上ハ
火一面ニもへ渡り渡りいま少し遅り候ヘハ焼死可申始末が
らのよしそれも真也中に臥し居り候者ハ中々出る抔不事(ママ)ハ
思へもよらぬ事のよし藤四郎側ニ殿入庭吉女房子共両人同
臥して有之候ニ付其落天井の下ヨリ這へ出候様と藤四郎申
候得共迚も子共迄ハ叶へ難き始末躰故一向思い切って出申
間敷よし申て死候と承り候
一未聢と相分り不申候が倉科村ニても多く参り候者共ノ内相
果候聞得也其内□長次郎の女房慥ニ果候と也倉科人別之内
ニて当村庭吉女房の事小児を背負出しを慥ニ見候と申者有
しと申候といふ是ハ其執心の願ならん死候といふ事慥ニ見
候ても其正を申兼候趣右之始末故申兼候と藤四郎申と申話
承り置候
一犀川之義名に負ふ大川なれ共当三月廿四日の夜四ツ時の地
震ニて水上川岸の山川へ崩れ落水止って廿五日頃ハ彼川渡
し場深キ川ニて狭れ節へ(ママ)とゞき浅キ所足首ビ隠れ位の事の
よし
一右山を犀川へ押出し候と申ハ山中安庭の山のよし此事中ノ
宮江しのゝ井ゟにげ来り居り候人の話也市村ノ渡し場より
弐りも上也と云
一川中島ヨリ潰し候の事片はぢヨリ皆より潰し候と也別して
瓦葺家ハより潰し多キと也上ヘノ重ミにてよりかたげの失
□多きよし
一稲荷愛介女房の実宅の老母八十近の老女也奥ノ間に寝臥し
て有之路に出候事不叶焼死候と聞平生ハ孝心の聞得有之家
内ニても無拠事也
一右の跡始末ニても此節取斗ひ兼只其家内内川村縁類の方江
昨廿五日引取候と也
一稲荷極楽寺等ハ焼残り候と申居り今立ツて有之□なき迄ニ
ゆがミき傾き候と也
一稲荷愛介等の買入ノわた焼候計りにても三四両ヨリと承り
候
一川中島善光寺往来の左右逃□□ニ今度の地震ニかたふき□
□又ヨリ潰レ等の難なき家ハ少なし
一松代等の事も御使者□(番カ)并弐三けんの外町家皆おし傷め不申
家ハ寡しと承り候
一当村庭吉等も前文に記通り未帰村無之よし是ハ女房と同所
ニ不有之酒呑ニ出居り候留り候のよし
一今度之火事の事ハ勝て計ひ難しより潰してハ直火事と成候
也
一聊成事とも承り候義は筆記候廿四日の晩小路利介裏助左衛
門方へ遊に行キ居り候所そ□居り候上へ壁打寄怪我候と也
廿六日今日臥り居り候
三月廿五日
今夕四ツ頃ヨリ雨空ニ成り候尤雨ハ終夜只しぶ〳〵事也地震
不相替不絶ヨリ続候て船中ニ有之心地也
一終日終夜皆人宅中坐候者なし皆庭にねこ敷て有之候事□□
□也我か方其段ノ所廿六日ニ裏大松ヨリ北江四間ニ弐間ノ
小屋懸
一今度之大変此辺より□斗ニて柏尾より上ニハ左程ニハ□
□と也
一向ノ□方へ来る水も洗□濁切併我等方は左様濁り
無之薄き也
一人々昼夜安堵無之此騒乱ふる(ママ)事前代未聞の事共なり
一瓦葺ノ家ハ別而傷ミ易く当村等にてもたとひぐしにても傷
はやし
一稲荷并川中嶋ハ其地所ニヨリ大ニわれ候て水吹出し候と也
当村ニても中村元作西道ハ大われニ候也
一廿六日ノ今日八ツヨリ七ツの間大地震可有之候間用心せよ
と御触来るといふ
一犀川山押崩し候ニ付今以水山中ニ支ひて下流□之新町辺海
の様也其水押出し候ハゝ如何ニ有之候とて川中島者当村等
江逃来候者多分のよし口々ニ申候小路富右衛門方等ヘハ別
所ニて近つき成候縁を尋て来るといふ
一善光寺にて変に逢ひ候者末共左右慥ニ聞へ不申候往キ来差
支て有之候故へ也
一此節皆人活たる心地無之始末心配の事也此上多可有之難計
事也
一我等方ノ上ヨリの川水今朝迄にごり無之申候今日ハにごり
下り候地中に子細有之哉
一只今の分ニてハ変可有之哉此上の吉凶難計事共也併柏尾ヨ
リ上ノ方ハ左事変ノ子細□薄き事也上ミョリ下り候人の申
口也
一河中島ヘハ御触有之何れにも山方江引取候様と有之迚妻女
山へ必至と皆引取候て聊の田い地(ママ)も無之候よし当新田□左
衛門見て来り候とて話聞候廿六日ノ話也
附岡山口ノ山手へ引取候村方も有之と也
一殿様ニハ西条開善寺へ御引取も可被遊御含も有之との風聞
も有之候
一何れにも其時向寄の山手へ引取候様御触有之其話有之候何
れにも前代未聞の怪話也右躰ニ候得共柏尾ヨリ上ミハ穏か
成ル事のよし
一興正寺山へ割れ口付候所有之といふ我今日興正寺へ参り候
所乱とうの石碑共多分六地蔵始皆倒れ其上台門の石垣等も
北側の北山崩れ候生蓮寺山方へも割れ出候と也
一村方ニても毎家共ニ皆庭先キニ蚕籠ニて小屋懸して其内ニ
入居り候
一今日も天気よし北風甚く有之候
一河中島輩懼れ候ハ犀川の水廿四日晩ヨリ今以たゝひ切候ニ
付其押切大変ニ可有之心配也
一皆今村々を立退候ニハ財宝諸品ニも目を付不申立のまゝニ
て□退キ候を専一といたし候
一稲荷辺ニてハ其焼跡潰れ家の下タニて人声のするケ所も有
之候得は誰有てより付候人も無之と也今度善光寺参詣人別
遠国他国の変死幾許といふ沙汰也左もあらん当村を始近村
の人々だにも其聞得也
一酒や元作女房中氷鉋辺ニても地震より潰れ其上犀川水此上
押流しニ恐れ元作方へ廿五日ニ引取候といふ
一山中三水虚説也サミヅ長照寺の箱切手へ水とゝき候程犀川水差支い□か
たき決着無之内ハ人気不静候
一松代伊勢町中町等皆より潰レ候見懸かわらを積上候様也と
向ノ良介次男良吉見来り今廿七日ノ朝咄し聞候
一只今ニ地震絶間少なくより候て危き船中ニ有之候心地ニ候
是ハ廿七日ノ朝の事也
一今日ハ九ツ迄ニ西山ノ籠り水切出候事と人口□〳〵之如此
事ニ皆人気を奪れ皆人たわけづらニ斗ニ成り候て正気の人
少く候
一河中島ハ勿論稲荷近辺所により大地割れ口付候所多く有之
と也
一如何様成ル当惑迷ひ今来らん不見不知の人也共留置候て麁
末無之様宿いたし可申上ヨリ厳重之被仰渡也
一諸方の死人等の事ハ未沙汰決し兼候如斯筆取候内ニも地震
よら〳〵して落付兼候
一只今何となく程舟に乗じ候心地計也此辺昔越後ニての大変
の地震くどきに承り候が此節当辺の事夫よりハ倍々の心地
にせらるゝ也
一今日ハ三月廿七日の五ツ時なり犀川水上籠り水今日九ツ限
りニ崩れ出んと人口取々也
一今日頃□程の人々誠狂気顔ニて平気の人少なし
一我等泉水へ来り候水誠ニ泥色にて清ミ不得候
一我等方稲荷愛介家内内川酒屋へ引取有之所今日此地へ移り
入り度趣ニ付喜市并清水堂敬之介頼三十郎今廿七日五ツ時
迎ニ遣立候と今廿六日承り候
一新ン町等もより潰し其上火事と成ツて不残焼ケ払其跡方ハ
犀川水の差支得ニて差上ケ候と也
一殿様御義犀川差支得弥々押切来り候節ハ御城へ突懸可申候
心配ニ□西条開善寺へ御引移可被遊と一同ハ承り候得共是
も地震より潰しの御心配ニ付御延引と成って大室山へ御降
相懸りすわ共有之刻ハ其所へ御引移りの御催し御用意ニて
御侍中も其御支度厳重ニて床机ニ掛って御用意也と承り候
一殿入庭吉女房并子共両人善光寺旅宿わた屋ニてより潰され
其跡火事と成て焼死庭吉ハ漸むくり出候て昨日より善光寺
ニ有之昨晩其骨背負昨廿六日ノ夜帰宅候今廿七日ノ朝承り
候
附り其類様諸村ニ多く□ □
一今度地震火事等ニて此近方幾許之死人可有之共申切られず
候
一今度ノ大変ニ付変死等有之候ても届ニ不及其儘掘埋仕舞候
様ニ被仰付候と也
一松代ヨリ御触出し事ニハ御侍方騎馬にて村々へ御自身御か
け付有之候ての御触也
一向の良吉松代玉川様御屋敷より潰しに成り候ニ付罷り帰っ
て今廿七日ノ朝承り候ニ殿様御始御侍中御支度ニて床机へ
かゝって昼夜御かためニて御控有之と也
一御女中方ハ西条村ニて矢沢様御下屋敷へ御立退有之候ての
御用心有之と也
其外屋敷脇の畾地を求当村□□かり小屋かけ御住居有之
也
一笹崎山ヨリ東へ打つゞき川中島人別皆相詰りて誠ニ透キも
畾地も無之と也先々西山入之滞水の心配故也
一当村辺御支配の御代官長谷川浜尾様廿六日倉科迄御馬にて
御出被成当村へも急難心得方被仰渡御引取のよし
一当村ニても中河原中村家傷ミ甚しく候金兵衛方恒吉かぢや
勇左衛門跡□等方別して也中村ニて利右衛門銀左衛門等其
外ニ元作方是ハ大いたミ也林左衛門方もイタミ候
一雨宮等廿六七日へも引取用意被仰付候しのゝ井等ノ者共当村江引取
候事少しノ知り人ニ候得ハそれを力(ママ)あまた来り候
一三月廿六日ノ晩夜中迄北風甚敷夜中頃ヨリ風止候
一三月廿七日 朝ヨリ天気也今日善光寺帰りの吉太夫方へ見
舞候昨廿六日吉太夫忰庭吉帰宅し候所女房ニ子共両人同間
ニ臥し居り庭吉義ハ少し首の通りに穴あり其所より頭出助
け玉はれの声立候得ハ六尺程有之男来って引出し呉ニ付女
房子供之義も頼候所其人消へ候如くにて跡方もなく乍残念
女房子共ハ見殺し候と心に任せ得どと涙ながら声をのミむ
せんで話し聞候一座聞人皆涙にしづミむせび候扨又其外之
座敷の人々音も出さず皆死し候となり今日稲荷愛介方ヨリ
女房并娘共ニ内川酒屋へ逃□行キ居り候を三十郎敬之介伊
其外裏成事共書記調兼候
作忰喜一遣し候て此方ノ呼寄候所彼等も地震により籠られ
上ヨリ押籠られ候所人情ニて漸掘出され[辛|カラ]キ命助かり候と
申候彼等丁内四拾軒中町也(ママ)も有之所ニて三拾七八人も死し候とい
ふ善光寺開帳故千人つゝもとまり有之所漸四五十人も遁れ
逃け候居り其外ハ皆死し候といふ自身にのがれ出候人ハ格
別人の助け等を得て遁れ候といふ事ハ成難□事也其詮ハ其
身〳〵の始末が自由成兼候也八幡等ニても人家潰れの義多
く死人有之と也併八幡宮にハ額一面落事と也三月廿七日ノ
今日七つ半過ニ候へ共未犀川水ハ山ニ滞りて不下ラ死人家
潰レ火事等の義ハけふも筆にも文字ニも書取兼候併何れ坂
木ゟ下タの事也
稲荷口ハ別而多し矢代口ハ一ト夜ニ四百人程
ツゝと云
一善光寺にて凡積りの評し等壱万人も死人可有之聞得也何万
と承り候てもより潰レ火事死人の事ハ皆人対面の口始也外
ニハ何ニても無之其事斗也
一今晩も地震ハ不相替有之候也松代ニてハ黒田様御始其向キ
〳〵御騎馬出時々刻々也
一中河原金兵衛方等ハ人の羨ミをも受候大営の家作なり今潰
を見懸候所四五寸位之本柱捻り折候何れゟ手を付可申共当
惑の見懸也其外かぢや常吉方等も同断也其外ハ又左程ニも
見受不申候
一三月廿八日 今日ハ此大変治り方ニて安堵候様寺社人方へ
祈禱被仰付諸方ニ有之候何を聞候ても皆涙と共の話故其話
聞切り不被申始末柄也
一諸説法等に五十六億七千万歳の暁には弥勒之出世等と段々
聞来り候が今日只今か其時節かと被存候程之事也是程広き
所が皆銘々の身にせまり切たる大難渋也然とも坂木ヨリ下
の沙汰斗りとハうらめしき事也
一笹崎山ヨリ東山強キ事ハ川中島の人別聊の畾地もなし詰切
りと也中々永録(ママ)天正の大変ニても此節様にハ有之間敷事成
るへしと懸りの人も皆申候西も桑原辺ヨリ左様ニハ無之と
也善光寺ヨリ下方の義ハ不相分□□必用之義ニて承り度事
も聞取兼候
一笹崎山等と其山々引移りのケ所へ無事村方親類ヨリ見舞遣
し候事
無事と申ニハ無之西山水押ノ心配無之山峯村共事也
一三月廿八日 今日ハ曇天也今朝向今日七ツ前ヨリ天気也ノ源之介忰松弥話ニ昨廿
七日ノ夜雨宮村ニて山王宮心願之為垢離取候騒を聞て土口
村ニて是は□山籠り水切下り候ニ付其水を□□ひ候騒と心
得て騒立其騒か笹崎山ヨリ山詰の大勢聞付騒出し候ニ付兼
て妻女山ニ詰置せ□候御城堅めの御用心も其御用意鳴物等
相図を取着候ニ付松代騒誠ニ大変也是ハ西山の籠り水切出
し候と心得ての騒也と事のよし
西山籠り水掘し人足諸方被仰付廿六七頃より皆被相越候
一大勢人別山籠り始といふ此廿五日ヨリ時々刻々多分ニ相成
候也
一昼夜居地動て船中ニ有之心地也廿八日の九ツ頃記筆之
一当村等へ他所方川中島ニ西山表ヨリ皆立入有縁ハ勿論無縁
といへともたまり来候大変也然も本宅住居何れも成兼候て
皆庭等無拠小屋懸ケ住居□ニ見る様也
蚕籠[信補|ノシツライ]小屋へ籠り居候
一今度の大変貴賤高下貧富の隔なく時々刻々大地ハふるひ動
き其間タ〳〵ハドヲン〳〵ト鉄砲の様成音候て皆一同一致
の苦ミ也
一稲荷より来り居り候者共の難渋聞候所廿四日ノ夜四ツ時地
震より来ってより潰すと其跡ハ直キ火事と成候得共潰れた
るかおれ家の下ニ在って出る事不叶大声上ケたすけて呉い
〳〵といへとも不便と存候ても数拾ケ所百ケ所力に及ず聞
捨して其身〳〵を不覚遁れ候ゟ外無之始末諸方一同の事也
若助ケ度存候ても其道具無之候てハ手請方も無之たま〳〵
壱人や弐人煙草庖丁ニても転居り候ても外人奪取其人の自
由させ不申と也彼是する内に火事燃え来ツて残念ながらか
おれ屋ノ下ニ焼死候者多きと也
一三月廿八日ノ記ニ候ハ此節当村等へ助け乞ニ入来り居る人
毎家也若川中島ニ有縁ノ家ハ別而也其人ハ勿論其有縁の人
と共入来り助け乞する人別多し廿四日ノ晩四ツ時ヨリ今以(廿八
地震ハ不止船日ノ七ツ半過)中ニ有之心地
一外災難事ハ受る人と不受人の隔あり今度災難ハ貴賤高下貧
富の隔更ニ無之皆一致一同之事也
一其宜キ普請家程ハかおれ強し別而瓦屋ハ其失多し
一しのゝ井等ニハ旅人の倒れ人多きと也善光寺開帳参りの旅
人も稲荷辺ハ一ト夜ニ千人程ノ止宿人也と稲荷人来り申聞
候矢代ハ一夜四百人程ヅゝ
一今度ノ事ハ前文ニも申候海陸未来の触説(カ)と一同也併坂木ヨ
リ上ミハ左程ニハ無之と見えて上ヨリ下る旅人等此辺の義
見て驚入といふ説を聞候
一倉科の湯ノ所水源も湯口も止り大口ノ□脇成ル石井□水出
止り候といふ也いつれニも此辺ノ水も濁り出ル也
地震
大ヨリ目印
一三月廿九日今朝明方前ヨリ明る迄の地震誠ニ大よりな
り我等方是迄ハ何の子細も無之候が今朝の大よりにて
土蔵の屋根瓦壱寸程ツゝずり下り候
一時々刻々ドヲン〳〵といふ音有之候て其跡がより来り候
一尾州辺ヨリ女共善光寺参りに稲荷迄来り命をしくハ延引せ
られよ等といはれて稲荷より帰りしといふ事八人組ニて男
壱人連組有之候稲荷の者共申聞候其外類例人数々有之候よ
し
一三月廿八日御用人足ニて小松原へ文太夫茂左衛門小同彦左衛門
勇松小路彦左衛門忰等参り候が犀川筋ノ水足の甲江も届不申と也復[世聞|ミツ]と
も誠ニハ存申間敷事也皆水上ニ包ミ居る故也開闢以来の奇
怪也
一松代真田大手前様等御自身水見分ニ其ケ所へ御出向有之候
一此辺ハドヲン〳〵といふ音時々刻々不止千曲ヨリ近□にハ
左様の事無之地震も上げて落す様の気味により候と也
一雨宮浦かけ口ヨリ下タにハ其地禄ニなく成り候所もあり卑
く成り候所も有之といふ
一雨宮等も西山包水の懼れにて唐崎山ノ方へ小屋をかけ控居
り候と也平生ハ墓所等をバ忌ミ嫌らい候が人情也然ニ此節
ハ其忌ミきらい決して無之事也と云
一取打坂辺も其模寄ヨリ必至と詰メ[塞|フサギ]候といふ平生ハ刑場抔
と申て嫌い候所也
一文太夫小路茂左衛門実ハ忰ハ祖八也彦左衛門同勇松小路喜左衛門忰今三月廿八日前文之
通り小松原へ御用ニて人足出候所小松原ニて死人七拾壱表
俵詰にして寺ノ庭ニ有之といふ是等ハより潰しニてかをれ
家の下タに潰れ埋ミ候をほり出し俵詰にせしと也
一村々ニてより潰レノ家下にて声を立助て呉い〳〵と悲キ声
にてなきさけぷを聞ながら通り過ケ所数々其事ニ遭し人の
直話し也人情仕心有之たとひを聞せんとて小児ノ井ニ入ら
んとするをたすけ度存候ハ人々ニ皆備はれ常なる事を見せ
んとて聖賢の書中も引キ説て有之也然ニ妻子生キ別れの一
期いとま声現にする為躰今度其ケ所〳〵善光寺を始挙て数
へ難し
一前文四人廿八日ニ承来り文太夫申聞候ハ小市にて三拾六人
ノ変死外ニ船人六人変死候と也
一松代殿様ニは小松原ニて其防方江御賄として白米四拾表ノ
内七表残りし斗り御焼出(ママ)し有て御領他領の差別なく廿八日
防方ノ人々其外々へも被下候と也
一犀川以前ハ如形大川の荒々敷此節干方と成りて水ある所漸
足の甲がぬれ候斗り也と皆人足(カ)別而ハ文太夫等廿八日の今
日直キ見候話也
一笹崎ヨリ東ノ方人々必至ととり打辺迄山岸へ詰切ツて西山
押切を心配して控へ有之と也
一三月廿八日ノ記筆返す〳〵も廿五日以来森倉科生萱惣して
山岸村へ川中島ハ勿論河辺通りの村有縁無縁の差別をわか
たずたどり来りて乞縋り仮住居を乞ふ事夥し其乞はるゝ人
別方ニも本宅居住ハ成難く昼夜共ニ蚕籠ニて其居所斗つく
ろい居り候所江又他ヨリ来る事藪から棒の無理無心なり
一此記筆候内にも地震ハ時々刻々にて浮船の内ニて筆とり候
心地也誠ニ一刻の生を幸後刻の事はかられず候
一ドヲン〳〵といふ音ハ頻り也三月廿九日ノ九ツ頃の記筆な
り
一廿四日ノばん四ツ頃ヨリ今日廿九日九ツ頃也□□ハ生て有
之心地ハ実ニ無之候
廿九日ノ記筆今日曇空ニ□少しあり
一山中新町今海ニ成りて有之と也今度ノ事ハ先地震ニてより
潰レ跡が火事其上水騒ギ誠ニより所無之始末柄事多し
一廿九日此ノ朝ハ大地震ニて諸方傷ムノ今日ハ別して折々より動し候誠ニ尽未来ノ大変也
生キて有なから生キし心地更になし人皆之段也此朝大震ニ
て倉科ノ城等より崩れ夫迄ハ全キ所也
一三十郎今日稲荷内川是ハ愛介正屋方ノ通強キし也の方へ便宜聞ニ遣
し候殊愛介女房ノ□□家方有之候ハゝ連れ来り候様申遣し
候
一駿之介清水堂等昨廿八日水内辺を始今度ノ急難所見ニ行候所新町
等ハより潰其上火事其跡今水満々たり水内の橋ゟ下ノ方辺
ハ村や寺院河中へ歩込水中浮か〳〵して有之住居家共数々
見ゆと今廿九日申聞候
一遠国ヨリ来る開帳参りの旅人矢代稲荷辺ヨリ無本意帰る族
多きと也
一今度之急難所何方へ参り候ても火事寄り潰れ変死此三ツ斗
也前文ニも返す〳〵記筆之通り流石の大荒川の丹波島船渡
し今度ハ足の甲も不湿サ程の事也
一三月廿九日ノ今日頃川中島ヨリ住居する人なく皆山際江引
取候て空敷月日を経て有之也返す〳〵も地震寄潰し火事其
跡が所により水難追付心配也
一三月廿九日 今日ハ別而地震度々寄動其間〳〵ハドヲン
〳〵と鉄砲程の音繁々なり
一三月廿九日昼後ハ曇天斗也
一変所急難の場所〳〵ヘハ御大身方御自身御のり立ニて御実
検也別而大手前の大恩田様ノ聞取有之也
一何方へ打寄り候ても外話無之打潰れかをれ家の下にて音出
さず変死又ハヤレ助け呉それ助け呉らへと其悲声斗喧敷助
くる事成難かりし話斗如申様不思議といふもあまり也此世
開闢以来の話ならん
一塩崎康楽寺等も近頃普請成就の大営也今度中へすぼり入っ
て潰れ候と也其外諸堂不残其段也と聞候
一文太夫等廿八日ノ人足出ニ承り来り候が小松原ニて潰れ下
タヨリ掘り出し候死人七拾壱表寺の庭ニ有之しと也馬五ツ
一小市ニて三拾六人変死外ニ六人船人
一我等方ニても□□只庭ニも成兼候依三月廿六日昼過浦大松
を片取彼西北へ北へ四間西東弐間程に懸晦日ノ朝迄居住候
晦日雨ニ住し兼こわ〴〵ながら本宅へ引移り炉ニて五ツ半
頃始て火焼付居住す本宅ニて炉を焼候ハ廿四日夜四ツ前此
方也
一流石犀川の荒川三月廿四日ノ夜四ツ頃水上山押出し以来晦
日ノ今日迄水一水もなく足ノ甲隠れ兼候といふ
一三月晦日今以地震折々不止何国ともなくドヲン〳〵と鳴動
し候今日八ツ時記筆ス今日天気よく風あり
一同晦日七ツ半過中河原へ見舞ニ行常吉宅へ覗き候得ハ大ニ
より出し深サ壱尺も有之候所ノ溜水より出し是ハ大地引覆
りと驚き候
一上の方坂木ヨリ上ハおたやかと聞しが昨廿九日ノ朝なる大
よりハ右上之方も大変のよし
一中河原辺之ト(ママ)見舞へ見て驚入候所今晦日又見舞見候所金原
安左衛門恒吉等ハ別而本宅傷ミ危き躰也
一笹崎辺ヨリ取打辺迄の山ニ仮住の村々皆村切に目印シを立
置候て居住候と也
一諸説法に申海陸未来とハ此節ならん種々天災変義も承り候
へ共今度様なる事更に不承候開闢以来不承変災なり
一四月二日今日天気よし前文にも申犀川の荒川名に応当国の
大水川也其川廿五日ヨリ今日にて八日迄水不来深キ所とい
へ共足の甲へとゞく位の事也此世開きて始ての事成るへし
一其水上ミにて川へ山押込候所ニてハ山其儘川中ニ有之其山
ニ人家等あるあり(ママ)といふ
一今度の損破善光寺ハ勿論しのゝ井稲荷山此三ケ所ハ一村不
残人の傷も格外のよし尤山中辺等ニハ亡所位の所ハ新ン町
始数ケ有之といへともまづ人の目ずらし候ケ所ハ前文也
一四月二日の八ツ過ゟ只今に地震折々より全躰地中にふる□
る様の気味不絶候
一今二日ハ地震も余程隠□止ミ可申被仰付御答申上候ても其
通りニ不相叶いつも違い候ニ付向後□どめぞ弐人扶持も取
上可申と迄被仰付候て申話伊作之女房もん今四月二日中ノ
宮義右衛門方へ立寄話し候
一右話ニて□の違いも素人物好ノ者共移精ノ神術等の[託|ツキ]不申
も一様の理也
[移精|イセイ]□其信を凝て祈れハ素人といへ共其精顕るゝ也
一右様の事ハ加様成る変ニ逢ふてミせれハ弁別遠し其詮ハ易
術を行ふとも天地日気の骸と成って取行ふ本意成所其本意
を定め可申旨此大変にて同変と成り□定理の[事|ワザ]出可
申付□知
一上田辺等ニも地震のより有之候ニ付庭ニ有之宅中にハ不有
之といふ併此辺様ニハ無之と也小諸辺ニハ猶更無之事のよ
し彼辺人の申聞也ケ様奇怪成る事也
一四月三日 今日も天気よし
一今度の大変ニ付差支へも無之遠国方ヨリ善光寺開帳参りハ
群集して往来に市なすと也別而猿が馬場口ヨリ来るといふ
一今三日七ツ前記筆只今迄今日ハ穏かなり薄日にて風少しあ
りドヲン〳〵ノ鳴りも止む併七ツ過ヨリ夜へ懸りて折々よ
り動し候
一八幡等ニも町並ミより潰し多く死人も三拾六七人有之との
聞取也是ハ八幡茂七ノ申聞候と三十郎云
一永山(飯山カ)ハ御城迄焼失ニて今度の義ハ永山が壱番弐番が善光寺
と口々に申唱え候山中新ン町等ハ焼失之上今水溜り漸くた
ると也是等ハ番付所ニハ無之候
一今度之災難ハ村々町々也と申せ共平生余りわるはげしく人
の生皮はぐといふ程の場所善光寺稲荷しのゝ井等ハ別而也
と人々申唱え候
一此弐丁ニ申如く我等身分之事内書候にも書掛り候文字の尻
りを忽忘して書兼候事此近頃別して也
一前々文に申此度の難渋其所ニョリ山中筋ニハ言語同断の所
も数々有之候得共里地ニて其隣村ハ格別並ミ外れの変も無
之中ニ差はさミて其村斗り災い重き申候しのゝ井稲荷等の
如き事有之候人ニもいま一日差延し親のわたまき手伝候ヘ
ハ其差支ヘニて善光寺へ行き兼と申を女房のすゝめに随い
行キて其女房并子共迄変死候等といふ事有之候
一善光寺変死有之様今日頃から多之葬礼等取計者共今日頃此
近辺当村等ニも有之候
一四月四日今日天気よし此五三日以前ヨリ我等近辺の出水干
潟ニて止り申候今日昼後曇天薄申候
一今日興正寺へ罷越見受候所鐘楼等を始積石崩れ誠ニ危き様
也其外弁□和尚の隠宅迄も皆石垣崩れ庫裏等も地形石くづ
れ誠ニ危き見分也三月廿六日ニ参詣ノ刻ハ門口ノ北積石少
し崩れ候斗り成りしが其後廿八九日ノ寄にて崩レ候様子也
一此度之地震沙汰中々記筆百分一ニもしるし兼候諸方共ニ其
□也
一今四日も未タ折々のより也ドヲン〳〵と鳴り候ハ止ム
一今度沢山等ヨリ巌石の崩れ落候事清水堂辺ニて其聞え大変
也併四月四日の今日其見届ニ行□し人なし其外諸方其段也
一今日昼後ヨリ夜かけて穏か也風ニてもなく月星あり
一四月五日
今朝明て後大より也又此辺日の出前ノ少し前大より也ゆら
〳〵動きもあり九ツに大ヨリ夜ノ四ツに大ヨリ今日九ツ迄
天気にて八ツヨリ曇天七ツ半頃ヨリ雨幽かつゝぼつ〳〵宵
の間はれ夜半前ヨリ今九ツ頃ヨリ南風有之候夜ニ入止ム
一我等今日八幡参詣当年初参り也志川船渡し稲荷の宿下外れ
ノ□少し上迄下る渡りて稲荷へ入見渡し候所其焼跡只空々
として焼風(ママ)のかをれ壁の焼破れ其諸具の焼損し内誠ニ算お
れしたる始末柄也何れも〳〵廿五日ヨリ数へても今五日ニ
て十一日也然ニ皆其儘ニて焼乱レのまゝ也実ニ目も当てら
れぬ始末也左程の事に始末する人もなく只焼[形|ナリ]のまゝ也元
の姿にいつの世にか成り可申質やの穀倉等籾千表ノ焼跡也
とて今に其表辻の所小高クして煙多く焼居り候迚も元の姿
にハ成り申間敷也尤問屋小路の北東隅にも[荷|ニ][負|ヲ]候様ノ形の
小家少しある計り也今の見渡しにてハ彼焼壁焼瓦置所も有
之間敷為躰也
今度稲荷ニて 百九拾六人 焼死候
旅人 三百人 焼死候
衆五百人也と云々
一右所見参り愛介方尋ねんと河原新田の方江立入候所所の人
中ニハ先刻迄此地ニ有ラれしか中町ノ方へ下られしと申ニ
付路尋後れ夫ヨリ志川ノ方へ立と可申旨ニて出候所其道筋
八角ニ割れ候志川ハ何共なく八幡入口村ヨリ又寄潰夫ヨリ
八幡宮御社頭神物ニハ何も子細なく茶屋向ヨリ寄り潰レ夫
ヨリ八幡町形ノ所皆寄り潰損し材木壁土屋根萱等積ミ乱レ
誠ニ見るさまもなき始末柄也しかれハ迚町を離れし隣村ニ
ハ聊の子細もなし町形の内ニハあはれ残りし内とてハ雪隠
壱(カ)つなし実に是等奇怪不思義也夫ヨリ中村の渡し渡りて帰
村候が通りの村方ニ子細何ニしてもなし
一戻りに打沢の婦人とて同く帰りしが此人芝原村へ送り出し
ニ行きしと也四ツめの送り出し済して引取帰村と外人と対
話有之候余沢山成話故其向キ尋候ヘハ善光寺ニて変死の□
□だミ也皆正徳寺旦那也御坊葬の所に居つゞけにて壱ツ葬
てハ跡取寄夫を葬てハ其跡トと其座を動かす食物通ひニて
食餌候様ニ取計ひ被申候と也都合□葬り候と也
一変事等之義ハ有姿ヨリ其話しの方が大なるもの也併此度之
義無之其話ヨリ有姿の方が大なりたうがらの辛きが其辛キ
位通り話に成難く寒気の事か其寒気程ニ申とられぬと同意
ニて此度之義如何にも其有姿程に話しとられぬ也
倉科大日堂ノ裏ノ峯成る城今度の地震ニ崩れ候と御村(カ)市
之聟申聞候
一四月六日 今朝明方ヨリ雨ニ成ル地震不相替今朝も大より
あり小ヨリハ折々雨止ミハ八半末ニ□矢代辺にてハ此五日
一ト重山ニ法者其外村人別集祈禱修行仰々敷事当村等ニて
も川東ハ毎度所うぶすなへ打寄□々祈念信心す川西ハ左様
の義更になし昨夜矢代一ト重山等ニてハ燈明万燈の如し
一此近江犀水上差支損破の村々より〳〵見に行く者多し扨亦
小松村へ犀川水掘落しの水道チ堰ほり普請黒田様始御立入
村々人足日々の騒ギ也
一当村沢山等左右の山巌崩れ落通止り行き見る事も不叶未崩
れ懸りの大岩等危きよし
一此費の人脚幾許懸り可申哉計りしられす興正寺等崩れも言
語道断也
一今六日 雨ハ五ツ頃ヨリ止て天気也
一今日八ツ頃も一ト度大ニより候風も九ツ過ヨリ八ツへ掛て(ママ)
一今六日七ツ半頃トヲンと鉄炮の音の如くして一トよりす北
風甚し
一麦作ハ遠近共ニ大ニよし桑ハ遠近共ニ霜あひニて見る甲斐
なし
一人ニ此節平気ノ者之なし
一古来ヨリ困窮変年も毎度有之候得共此度様の義ハ開闢以来
の事也
一今晩も一トより有之候空ハ薄空也今日少し穏か也
一四月七日今朝曇天也五ツ頃ヨリ天気也九ツ頃ゟ北風あり七
ツ半過日ノ入前ニ風止ム
一地震今日も小ゆるぎは折々あり
一此地震大変にて何方ニても常の宅に住居する者なし皆庭に
当座小屋かけて今以其内に昼夜のすまゐなり中々以そら恐
ろしく危く立テも居ても宅ニハゐられ不申候
一本家文太夫中原ヨリ今日帰村候が彼辺等ニハ奇変論有之人
殺し等有之聞得なり喰料の米売買ニ付ての事の由
一今七日ニも昼頃西北ノ方ニて先迷ひ如きトヲンといふ音聞
ゆ
一今七日ニも地震より動しあり大ヨリハ昼頃一度少々ヨリは
数度也
一中原与惣右衛門嫁等変死ニ付今日葬式の引合ニて文太夫行
き候得共人殺し其外諸方ノ奇変にて当分ハ□相□□□葬式
道具誂置今日持行渡して帰り候計り此奇変静り候迄ハ何ニ
ても取計ひ出来不申となり
一先日頃ハ中原ハ地震今度ニて有之しが此節ハ本宅住居成り
兼庭ニ小屋住居のよし此節ヨリ動くと也
一乍恐松代殿様御始御かり小屋御住居と承り候
一日本開闢以来加様事有之也
一文太夫承り来りて申聞候が稲荷にて今一日雇壱人分先キ食
餌ニて四百文ツゝと云
一永山(飯カ)ハ御城等より潰レ候と也此度の義永山が壱新町が弐善
光寺が三稲荷が四といふ然共善光寺へ今に参詣の人多し
一夜ニ入月あり穏かなる事終夜也
一四月八日
今朝天気也九ツ過ヨリ曇天ニて北風と成ル其儘暮ル風七ツ
頃ヨリ止宵過ヨリ雨幽かにほつ〳〵夫ヨリ大ぶり翌朝まで
一地震ハ明方ヨリ両度也併少ヨリ也
一往来筋此在郷往来等ハ川中島ヨリ俵かます或長持たんす其
外種々持はこびの族多し川中島ニ在って犀川差支ひ水押出
し可申を懼れての騒ぎ故也
一小市ノ普請松代辺ヨリも人足出候と也上郷六ツ郷の辺ヨリ
ハ泊り人足ニ出候と也
一此度之大変ハ人情を[禁|とゝ]め人心本意相守り候様の御手充の大
変と存候其論ハ是迄ハ世間の動静に随て物直段上下ケに其
意はげしく候所今度ハ其挙に乗ツて右様取計ひ候人江ハ忽
生死の天罪あり普請方等直上テ取計ひ始し善光寺ノ者有之
所忽打潰レ候と也塩并穀物等も手段ニて其気色見得候族を
打潰レ候ても一日尤の評判し桑原等ニてハ其段ニて打殺さ
れ候と尤打殺し候人ハ召取れ候得共片落ニ不相成聞得也右
躰故此さわかしき中ニ物の直上り等等(ママ)の聞得決してなし左
すれハ自然天然の天の御制止と覚候今迄の人情取計ひ一変
し候始末柄也
一昔語りに富士近江の湖一夜に出来と聞時ハ虚説奇怪也とお
もひしが今度の変地変相を見て始自了す尤也実事也其論ハ
天地の間に其理ある事今度現に識得す今迄ハ如斯あらんと
は不存
一今度稲荷の潰れ焼に両親焼潰れの下に助け呉〳〵と悲声あ
るを聞捨家財を捨夫婦して桑原へ立退きしと聞是其身躰な
らす稲荷一時に天昇其人情□成ル迄の村也とハ
一今おもふ犀川上の水包ノ所此以来山中ノ湖水とや成らん
一今日も折々ゆるぐ気味あり併我等今日本宅へ移り初也三十
郎山中へ水見ニ行く愛介今日初て来ル帰ル
今日のよりにハ両三度大よりあり依之裏山かり小屋に止宿
之所半夜頃ヨリ大降り小屋ノ内へ漏り込候ニ付有り兼本宅
裏椽并ニ出口〳〵江引取候難渋いふべからす
一三十郎今日一見ニ罷越候山中ニて承り候ニハ御領分中ニ無
事なる村ハ六ケ村と云々当村等ハ其内也といふ
一山中一見所ノ内水中浮ミ居る家数ノ際へ舟ニて行キ火付て
成丈ケ焼候と也是ハ流れニ付て水差支ひニ成り不申用心の
為と也
一小松原堀人足ニハ松代の内ヨリも人足出候と也
一今夕等も地中ハゆら〳〵する心地人意に離れず
四月九日
従昨夜今朝へかゝり雨ふる
昨夜半夜不残裏やヨリ本宅江引取候 今日ハ大より昼九ツ
迄ハなし少しツゝよる気味ハいつもたへず候心地也七ツ半
頃より又雨ふる
一八ツ頃ドンと鳴リて又一トヨリセし也
一四ツ前ヨリ天気ニ成候然ニ九ツ過ヨリ曇天也
一山中赤田ニて酒屋等もより潰レ候と也田ノ口酒や本家分家
共ニ盛ニ酒造候所分家等ハ往来筋の方へ石積立派ニ取計ひ
置候分よりくづし酒蔵の形なき迄により潰レ本家の方もよ
りかしげ候と也其外所として堂寺院大家共にハセ(長谷カ)を始より
潰レせしと也ハセ本堂ハ今蚕□□ニてあししろにて助かり
候といふ造酒家ハ何方もより崩レ多し
一此節ハ大小尊卑の差別もなく皆取敢ずの小屋ずミ一同也
一山中辺ハ何方もより崩レ扨亦未残りし所も全キ所なくわれ
め筋付候所多くして今にも雨ふり候ハゝ如何成害や引出さ
んといふ所多きと也
一小松原村御普請所にてハ食炊釜拾壱ならへ御蔵ヨリ白米時
々刻運送有之毎日昼夜御炊出し也是ハ弥々犀川水落流下ノ
節抜ケ□リ民家大災を受さる用害の掘立也陣鐘陣太皷六連
銭の旗等立ての御普請白米四拾表も五拾表も御蔵ヨリ持運
ひ候と也
一此度ノ事其有姿十部□も書取兼候事ノミ也
一善光寺之義今度残りしハ本堂経堂山門斗り其外ハより潰レ
焼候と也大勧進ハ無事也と聞本願寺ハ焼候と也
一今九日八ツ下り又トンと鳴り候なり
一今九日七ツ半過ニ又より候也
一今晩終大雨印夜大雨也夫水等も切開候所十日ノ朝ハ充満ニ出候程
の雨也然ニ雨中ドヲン〳〵と鳴動して終夜地震動する事毎
度也如何様不思議といふも限りあり
一山中辺崩れ懸りの山今夕ノ雨にて如何あらんと想像候
一松代御勝手役河原様御内人下横田島田平治今度諸方ゟ御訴
書之趣を以申聞候其旨左ニ
十万石斗リノ分
弐千六百拾三人 今度ノ死人
千八百六拾九人 今度之怪我人
五千百五けん 潰れ家
五千三軒 半潰家
右は三月廿四日ノばんより四月朔日迄ノ御書上写
馬 百六拾五疋死ス
此度御家中之義ハ未相分追々との御沙汰也
外ニ附話
栗田村源左衛門善光寺へ娘縁組遣ス正済といふ医者之方江
此正済親子源左衛門親子祝言盃所にて死ス其人別都合三拾
人□其外此類様の事数々有之候得共是ハ右平治一話の沙汰
斗り也
其外新町ヨリ縁談候中原与惣右衛門新類の一件与惣右衛門
嫁等も其縁付添ニて死人扨亦□々明細ニ承りも無之承り候
迚も書取兼候
此以前天保改元のとし京都大地震ニて四十五六日有之候と
也尤其内七日程ハ大ヨリ其外ハ気味斗り也と聞然ニ今度ハ
今九日ニて十六ケ日也
飯山ニても山崩れ家中并百姓方変死多しと也
右平治話
今度小市の御普請所へ御家老中御詰方 朝ノ五ツに御詰有
りて九ツに御引取又替りの御家老御詰暮六ツ迄御詰暮六ツ
ニ御引取替りノ方夜ノ九ツ迄御詰有りて九ツニ御詰替り翌
朝五ツ迄御詰と也始終其続て替なし其御詰続也
人足ハ一日三千人ツゝ五色ノ吹流し等相立陣かね陣太こ等
相揃軍陣ニ不異よし
人足休ミノ相図ハ 鐘
立チノ相図は 太こ
食餌ニは 両方打まぜ也
右太皷打方ノ役所ハ御藩中横田甚五左衛門
弥々水口破るゝと成り候節ハ第一之上ニて鉄砲を打其次ノ
ケ所ハ下タ也其所ニて亦鉄砲を打と也其音を聞く時ハ下タ
なる人足逃ケ去ル合図と也
一笹崎山ヨリ赤坂山へ懸って川中島者のかり小屋かけ並へた
る事永禄天正の戦国にもをとるまじき仰山なるの聞え也如
何世の変相といひながらけしからぬ事也
四月十日
今日雨の跡曇天なり四ツ頃ヨリ最上の天気と成り八ツ半
頃より薄曇日と成り折々雨ノ事もあり
今日どじり川の持籠り水ぬけたり併人々心配ニ無之故大
ニ安堵ニ凌其油断ニて犀川上の籠り水に大ニ仕損じあや
まち有之死人多し
一殿様ニハ御殿の御庭ニ御小屋かゝりかり御居住桜馬場に
詰役所相立時々刻々の御評定事也といふ殿様ニてハ物惜
之不被為在之御手充御情多し
一下横田村島田平次殿入良八妹聟也此者三月廿五日ノ朝屋敷前ノ
割落候所其幅七八寸ノ所あり泥吹出し其上ニ地のこけの
様成形付こと也ずり行キハ跡也といふ
一今日十日も□昨夜ヨリ続てドヲン〳〵と鳴り地震動する
事甚し
一今十日八ツ頃又一とよりうごかし候小ヨリの気味ハ不絶
人心ニ気グセと成り候事船ヨリ下りて暫く動く様成気[僻|クセ]
の如し
(ママ)
一犀川上ミ山中の内ニ包湛ひたる俄の湖水如き中に人家三
百軒もうかんで見ゆると也此五七日夫江舟ニて追付火を
附ると也是ハ弥々其水流下ノ刻其流口へ流れ来りて差支
ひ無之様の手充也と聞
一今度の逆気不順故諸方ノ人気手荒くともすれハ殺害等の
変折々有之聞得也
一今度善光寺開帳ニ付松代窂払ニて御赦免有之と也
一今度の大変ニて諸方ニより潰レ多しとい[ひ|え]ども并村にて
一向子細無之もあり一村ノ内ニて外家全くて有之ながら
只一家微塵と成りて立り主迄も死滅の家等もあり
一今晩地震宵ノ内一トヨリセし跡ハしづか也月夜也
四月十一日
一今日天気也
一今朝も地震一トよりあり
清水堂作次郎ノ話とて廿八日ノ日ハ善光寺権堂ニて七ツ
頃迄死人六拾人程掘り出セしと也
一今日四ツ半過ニ大よりあり跡が又ドヲント鳴り候
一今日九ツ時大ヨリあり
此一両日以前雨ノ宮ニて土蔵三ツより潰レ候と承り候
一此節大変相場廿表也と三十郎松代出ニて聞来る
一向のおたま善光寺へ罷越候迚今日横田迄罷越候ヘハ昨十
日の七ツ頃どじり川の湛ひ押出しもはや丹波島川表大水
と成通路難けりとて通り兼帰村候と也其以前山の鳴り候
事甚しと也其ぬけ候前ニ千駄だき并相図ののろし松代ニ
て御出役方御取計ひ有之候と也廿五日ヨリ当四月十日迄
十六日の内ニ流石犀川の大水干かたと成り昨十日ヨリ又
水通ル稀成る事也川中島ノ者共跡々のぬけおぢ恐れ昨今
にけ用意取々也と聞良介忰良吉十一日ニ善光寺へ参り候其直見十二日ノ朝承り候只一ト通りどじり川
の湛イ切り水□跡ハ犀川筋本ノ如当村西河原少出水ノ砌ヨリ細ク通ル斗リ也といふ
一今夜終夜ニ三ケ度の震動アリ
一此節味噌仕入糀何方ニもなし食火さへ成丈ケ余分を禁止
候故其大焚火禁止する故何方ニもなし
一前細字書入之一件之刻良吉ニ善光寺様子尋候所如来本堂
ノ戸ハ〆テあり西なる毘沙門堂下タなる田の中にかり小
屋造り其内へ如来仮遷座有之と也
一此節ハ如形逆様の世柄ニ成候節故や当□ハ聊か成義も事
被成一件取合人殺等も格段の様ニ被存候
四月十二日
今日天気也世上共ニ上米等も霜遭にて甚見兼義勢ひ也併我
等屋敷辺ハ大によし今日終日天気よし夜ニ入雨ノ気幽かに
あり今日山中大震所一見に行キ候我等文太夫并南ノ佐兵衛
矢代渡船場渡って篠野井江出見分候取立家わづかにして皆
倒れ古柱[葺種|フキグサ]古たる木の折摧ケ束ねしを積ちらし未さゝゐ
成る立家少し有之もたをれかゝり迚も全(カ)からズ只立ツて有
之と申名のミ実ハ倒れ屋同様ニて見る甲斐なし夫ヨリ作見
ニかゝり通行候所此村等ニも倒家折々束ね重てあり夫ヨリ
上ミ石川の前成坂を上り承る所上石川村惣家五十五六けん
アリ
内拾六けん 今度潰れ
残四拾けん 立って有之とも弐ケ年共たもつまじと上
石川の者申聞也
長吏外ニ□九けん是ハ皆潰也
下石川七八けん つふれ
元来此辺の山危形を持含是迄も毎度押出し変死変難等折々
して如何にも危地急難の地性有之所也夫ヨリ赤田の地ニ入
見受候所通路筋の地勢悉く変して地禄を吹上一枚の田とい
[ひ|え]共五尺も三尺も半分高く成り候もあり又地禄沈ミ入候ケ
所もあり所として不変ケ所寡し候義等或ハ土蔵等も悉く
傾キ倒るゝ斗りあはれ一けんも全キハなし用水堰等も地禄
を高くし其水田の中を通り或ハ覗て見る程大地われ山ニわ
れめ付誠ニ危急にして安堵有之間敷地性の勢ひ也去程ニ倒
れて取る手無之家ハ勿論今立ツて有之分とても明日を請負
難き分多し苗間等も其真中ヘビ形成り今苗等も頼ミ難き或
ハ水□も力及び難山平林といふ卅日ニ潰れ多きと也一名ニて
百五六十ケ村斗り其内四ケ村ハ皆潰れ人七拾人程死スとい
ふ話也以来住居出来ずといふ話也[上|アゲ]尾の大じん等も潰れ其
上焼候となり
夫ヨリ田ノ口村へ差掛酒屋方々等ノ住居誠ニ繁花ノ地ニて
武家といふ共及ひ難き住居躰ニて珍らしき住居其門等ノか
ゝり□□無之□端積石等も度々セし分惣崩れ誠ニ見る甲斐
更になし本ハ無事□見懸に候へ共全くハ無之よし彼本家ハ
ゆがみ斗りにて別の子細なしといふ此村方ニ潰れ有之共し
るせず只大家を記ス事
夫ヨリ西等(カ)はい原ノ地にて犀川の水差支ひを見下す只渺々
として其所を見る事犀川其水差支ひ口は此所ヨリ[遥|ハルカ]下モノ
方其地ヘハ不到此所ニて川中を見下シ潰家水に浮キて有之
へ通船ニて漕寄り今日等も火を付居ル也元来目馴ぬ見分所
今見て埓なし夫ヨリはい原迄不行又先刻来りしまゝ下り今
度ハとつさかを塩崎へ下り康楽寺伽藍のより潰しを見る潰
れ材木屋根壁かわら等積上山の如し其外本坊諸堂寺内惣潰
れ目に余れる事共也過急(ママ)故本尊等出し□ざるゝ始末に有之
候夫ヨリ天□寺の潰れを見分候是今葺いたし屋(ママ)がりといふ
時そのまゝ潰れ庫裏も門も皆潰れ也本堂取付ノ廊下残れり
塩崎村ニも傷ミ家有之候得共是ハ記筆略す(土田村正応寺本堂も今度ノ地震
ニ打潰れ候今十二日ノ内二度斗り大よりあり夜ニ入大ヨリ三度
其外小ヨリあり
富之介今日始て田打ニ出る河原田畑も当三月頃ヨリ始て
すきニかゝる
四月十三日
今朝天気ノ様子ニて追々雨ニなる八ツ前過ニ止ム七ツ前
ヨリ天気也大ニ寒し夜ニ入月夜也
今日ドヲン〳〵と朝の間鳴気あり昼後大地震二ヨリあり
といふ今九ツ頃湛ひ滞りし犀川ぬけ候といふ其音当村へ
も聞えしといふ岡地名主□右衛門忰申ニハ犀川湛ひ積り
し水此四月八月日迄ニ其深サ拾五丈五尺と道橋方御調に
て有之
一岡□藤兵衛昨日善光寺下も吉田辺参りしが下方ニも人宅悉
く潰れ倒れしといふ
□一(ママ)今八ツ時小松原の犀川口押切廿四日ノ夜の四ツ以来今日
迄包み籠れる犀川水河中島へ押出し河中島一面に漫々渺
々として鳴動し来る音誠ニ震動雷電の勢ひ大地に響き聞
もおのゝく斗り横田南岸千曲川へ押落し夫ヨリ北は東へ
満ち流れ濃海(ママ)の勢西山手にてハ兼て松代にて備へ置セら
るゝ合図の大筒切テ放し扨亦川中島の義は最初ハ用心し
て川向ひ岸野を始として逃来りて有之者も日柄の差延に
心ゆるミ再ひ自村へ帰り等せし者も其水に溺流レ果る者
多し水鼻に差□之船渡し差支ひ後ろニ過急(ママ)の死難を受な
がら如何共仕方なし小松原今度川へぬけ入候山七分位に
して三分方先日頃人足懸りにて切払残り七分方今度のは
ね出しと成って今日の水鼻横田ノ方へ流れ来ル其水今度
の方江押払ノ刻忰三十郎当村仏崎尾根ニて見受候所水煙
り発と立ツて其押来る勢ひ天地を動す様□也と申聞候今
度事は取々様々中々筆にも語にも尽し難し
一今度地震ハ只其気味耳にして格段の事なし
四月十四日
今日天気よし
前文之条々ノ通りニて昨日昨夜へかけて川中島人死等も
嘸多からん如何様奇怪之天変也今終日天気よく夜ニ入月
あり
一昨十三日前条の水目印ハ犀川上ミ岩くらといふ所ニて一山地震
ニて川へより落し流石荒大川の流れを湛ひ留其下流江一水
も下ダさず其所ヨリ半り程下ニても山より出し一川へ両山
をし又其下流絶水し善光寺へ行く小市村渡しなし然に前文
上の押込山の所ヨリ当月(四月也)六日頃ヨリ少しツゝ水もり湛ひ其
分昨十三日ノ八ツ時押し切川中島□印へ前条の如く満々と押流
す此方口へ来る分ハ小森と下横田との間へ落る其水におぢ
恐れ立のきにげんと横田の船渡しへ大勢来りしか共一ト船
ハ通し候得共其跡通し兼船場へ詰し老若男女大人小児共幾
許千曲川江無[気|ケ]の命沈めし哉其数斗り難し左様の義ニ横田
にハ何ニても子細なし是地禄高下の仕合也夫ヨリ下方川辺
通り幾許の人命を失ひ候やしらず先ハどじり川の押切候刻
心配セしより本軽く其油断故今度の大変に大難を受し也此
一ト湛ひハ土斗りにて湛込籠り水のよし此半頃程上成籠り
湛ひハ今度の水籠り大変の所也只一朝一夕の満水跡等ハ山
上等の遠見ニハ格別ニ不相分ラ
此一件の真説弁別此等ノ四十五丁ノ○印(ママ)の条下ニアリ
一四月十四日の四ツ時今日も地震大ヨリ壱ケ度有之候
一昨夜前文切れ騒に人気仰天し候所雨ノ宮等ヘハ水若宮迄
突上ケ候ニ付大ニ驚き唐崎山へ皆にげ上り候と也雨宮多
蔵女房ちと等も中村久蔵方へ逃け来り今十四日ニ帰宅候
と也
一今度の大変ハ百人寄れハ百色の奇変千人には千色万人に
万色の奇話中々以有之姿の奇変悉く筆記成り兼候ハ不断
とも勿論也只我聞ク所を折々千万分壱記して以後世ニ筆
伝す大地がふるひ動キより潰し跡が火其跡か水責也正真
の地獄といふ共これにしかんや見る人察知自識せよ
一返す〳〵も昨十三日夕方の溺死人数川辺通り察知すへし
今度の大変ハ親死すれども子助くる事あたはず子死すれ
共一席に座しながらすくふ事あたはず天地乾坤間にある
へき事ともおもわれず前文にもいふ通り一奇話あれハ百
千万ノ人口を同ふして唱ひ聞替候が今度の事ハ千差万別
の[怪異|ケチ]の人語挙て数ひ難し〳〵併坂木ヨリ下モ耳也西ハ
猿が馬場を限る北ハ此程中越後も移るよし越後も此程中
の事也此最初と云ハ初筆ニ云如く此三月廿四日ノばんの
四ツ時ヨリ也今度の大変に自国の人ハ勿論他所遠国を始
として善光寺開帳参りニ我が宿の戸しきミを越るが此卅
の晦迄其身の行衛も訳もわからで旅戻りをけふやあすや
と指折て待ち居る人幾許あらんせめてハ便りにても聞せ
度族他方遠国の果に幾許あらん其愛惜□テにしられて哀
れなり如何成同縁有之月日や一事切の大難等ハ何方ニも
有之世の習なれ共如斯其難天地の間に逼ツて其変気神仏
の冥力にも如何ならんとおもふ程也此事ニ付[卜|ボク]術鍛錬の
人といひ共此逆気に♠ツて其逍(ママ)ひ候を数々見受候扨又近
世□人の若者等仏伝神わざの術を楽ミとして吉凶依託を
取斗ふ好事の者等多く有之其本職の者を差置取斗らふ今
度其伝にて神の口走りにてもと実気の[我|ガ]を立其移精を当
村ニて取斗ひ候事汗下千行の方を尽していのれ共終ニ其
しるしなし後には其有無の正顕ニても糺さんと日頃しる
し有し覚を拠の目当としていのり加持すれ共決して不付
たとは(ママ)ハ此大変ハ天地逆気してあるを順気の術を[拠|ヨリドコロ]と
して取斗ふハ刄をかへして其裏の方ニて切るが如し何し
て切れ可申何して順気の術に同しかるへき可□知る也皆
平生に□ツて逆行〳〵
一今度善光寺ハ本堂経堂山門残り其外ハ皆潰れの上焼失数
々の夜灯等皆倒れ切候如来をバ毘沙聞堂ノ下成ル田ノ中
へかりやかけ其内移し□
一四月十四日上ヨリ来りし夫ひ水(ママ支カ)今日止り切ル尤上のたき
口ヘハ一滴ツゝ落候
一十四日の今晩も一トより地震あり
四月十四日
今朝薄空也夜ニ入月夜にして寒し
四月十五日
今朝薄空なりしが四ツ前より天気也
一今朝も地震弐タよりあり五ツ頃又一トヨリ間もなく又一
トヨリす四ツ前ニ又一トヨリ
○犀(ママ)川上段ニ□□(詰カ)候持籠りの水前例通り流行の事
三月廿四の晩四ツ時の大地震ニて山中成る岩倉といふ所
の一山より落し犀川上ミをとめ閉ぎ下へ一水も不下ラ夫
ヨリ上ノ方□滞上満々たる淵の深ミと成り村方も幾許水
中ニ浮沈の数をしらず然に四月十三日八ツ頃其より落し
の山押ぬけ流すと也其音天地震動の響也其水押流しの事
とハ不申下タのより込山押切流し候様此四十三丁の――
印ニ申書取候が正ハ□が□上へなる押込山ニて下タ抔と
申別の義ニハ無之候様子今朝慥ニ実正話也如此大変とい
[ひ|え]共人口を聞書故兎角中ニハ其真を違ふ事あり右押込廿
四日ノ晩ヨリ持籠りニ成候水当四月十三日の八ツ頃不残
押流し前々の通り流下すと也其水鼻が此前条ノ―――印
也と今朝慥ニ承り候去程に其水横田小森の間へ落候残り
ハ下ノ方へ其地禄〳〵に随って浅深或ハ所ニヨリ陸地も
あり流下して川中島下郷渺々満々たる事のよし十三日ノ
八ツ過ヨリ丹波島浦前例通りノ川筋と相成候と也殊ニ十
三日迄持籠りニ成候川姿其以前通りニ減水せしを当村岡
森巳ノ作現ニ昨十四日ニ見来りと文太夫屋敷内ニ住居の
伊作今十五日ノ朝申聞候巳ノ作ハ小路善八次男にて岡森ニ別宅ス右川へ
押落し候山切流し御拘り今度江戸ヨリ御下りあって其場
所人足御下知等十二日ヨリ有之しと也成れ共如形危難の
ケ所故人足おぢ恐れて進む者なし御下知ニ懸る場所ニて
不進人情進ミを付んニハ跡へ引候者壱人と弐人切捨候て
も取斗候て不苦との義也と聞然るに左程之義無之方自ら
ぬけ流れしと也誠ニ天地震動奇怪の大変也壱人と弐人切
候ても□有之非常之御一言軍中候様の事也先々犀川一件
ハ是ニて治り方実に開闢以来の怪話書取也
併十五日の今日未地震の変不相止此事止候とても川中島
作毛水押扨又人命数千万人の怪談後来太平の日に聞候ハ
ゝ胆を消し可申事也
此怪談とても只我等聞し所斗り也人々毎に奇怪の談口々
に有之候て平生とは意外格段也平生ハ一事の怪談を諸人
一口す併此度之義ハ千差万別難尽シ事也此辺ノ人死斗り
も不被言尽其上他所遠国懸ケての大勢中ニハ其身の行衛
の訳合ノ程ニても決して不分ラ人多し
犀川持籠りの水難話以上
四月十五日
今日天気よし夜ニ入月光終夜也終日終夜寒し
地震今日ハドヲンと鳴候事毎度也昼後動き候暮六ツ頃又
一チ度ヨリ動く夜ハ静か也
今十五日沢山巌落し候所役人見分有之候十七日ニ組合村
見分といふ
四月十六日
今日天気也風あり昼後風止ミ終日天気也併寒し暮六ツ前
少々雨の気あり此向ニも□し置候通り雷鳴両三声して雨
あり併忽止て薄月なり
今日ハ朝ノ内ドヲン〳〵といふ気味あり併左あらはなら
ずどこともなしニあり前文ノ外震動も折々なり今日ハ別
して終日震動度々なり
一里方等ヨリ当辺安堵を拠として来りて川中島客人別きの
ふけふニ皆引取ニ成ル
一犀川千曲の落込川尻の郷里今以大水の落後れ河井豆島其
辺四方の村々思ひやらるゝ取沙汰也
一江戸御役方等幾手も御下り有之候て矢代等繁々の御往来
なり
一近親縁類家といへ共聢といたせし明白の沙汰聞へぬ□也
当村小路笠井藤四郎危難遁れし事
弘化四未三月廿四日藤四郎当未ニ八十才善光寺江当開帳参りニ行
三月十日ヨリノ開帳也台門丁わたや弐左衛門方ニ止宿す折節其夜今度
大変の根元成ル大地震夜ノ四ツ頃より出し毎家を初より潰
し其跡直に火災也人々皆潰れし家の下タに成り候て身動な
らぬ所へ火そこよりも爰よりも出火し所として左なき所な
し去程に善光寺ハ勿論在々所々所として変死無之所なし藤
四郎も既に其変死の席に臥したりしに当村庭吉宮尾吉太夫の孫也夫
婦ニ子供両人召連罷越其夜庭吉ハ遊ニ出女房并子供両人旅
宿に臥し候所俄心替りして藤四郎と其臥床を替藤四郎ハ端
ノ方へ移り庭吉女房子供と共ニ藤四郎の臥せし奥の方へ移
り藤四郎ハ庭吉女房の有し端の方へ居替るよし然に其より
潰と成り候刻藤四郎ハ端の方故外トへ遁れ出助命の幸を得
庭吉の女房子供ハ本意なき命を失ひし哀れといふ斗りなし
藤四郎義ハ其遁るゝ幸ひ耳ならず倉科村長次郎孫男子年十
才成ルと同倉科浅右衛門の娘年四ツ成ルを押潰レの所へ[手|テ]
[木|コ]差込[透|スカ]して助け出す夫ヨリ庭ニ出其より潰レの瓦等を取
片付又[手木|テコ]を入長次郎をも浅右衛門と共ニ手木を入助け出
せしと也長次郎女房は当村庭吉の女房子供に助命不叶押潰
されて絶命候と也藤四郎其潰れ下タヨリ[夜|ヨ]ぎ引ずり出し候
処飛驒の高山ヨリ七人連れにて来りし女壱人死ニ残其庭に
赤裸かにて有之躰其女に其夜ぎとぎほどさせ其表と并中わ
たをきせ□其ふるわたの内を長次郎の子にもきせ藤四郎も
其中わたの内をきて浅右衛門の子を負ひ菩提院の境内迄に
げ来り夫ヨリ負ひし子と其十才なる子を長次郎へ渡し急丹
波島の舟渡しへ来り見れハ流石の荒川干方と成り水なし川
懸り役人通すまじきを相断る依て差控有之候所跡ヨリ若者
四五人駈付其制止承引無之其干方を走る藤四郎も其跡につ
ゞき駈行ク内にも今や水来らんと心配しながらも観音大悲
を観念称名しながら向ノ陸地分へ安々あがる川ハ干かたと
成り候ても未タ深き所ハ内ツ□へ水とゞくと云是危きが中
の不思議といふも余りあり此末四月十五日藤四郎ヨリ聞取
まゝ筆記ス藤四郎極老の身分として危難を遁れし幸福の話
也
庭吉義ハ継母と別宅しあり未其頃継母木綿蒔不得雇人に
て蒔也不依之其手伝し蒔終って参詣候様祖父吉太夫達而
申候得共女房の勧めに依て其手伝もなく強て参り右危難
絶命に与る事後世迚も親ニハ背くましき天鏡現に明かニ
可恐可慎事也学問も文章も文字に摸さぬ斗現前有之事也
右藤四郎の事ハ同人実話也
一当未迄九百六拾壱ケ年前光孝天皇[仁和|ニンナ]三年六月晦日大地
震にて信濃国大山崩れ丘と成ル男女其外牛馬迄一円に漂
流し死スといふ其時スワイナアヅミ其外ニいま一郡
是ハ佐久ナラン右四郡ノ外六郡ハ皆滅亡スと也漂流とあ
るハ水押出し有之ならん此段矢代丸や安兵衛方ニて承る
山中笹平ヨリ矢代へ引越し来る医者多膳年代記ノ話也と
いふ
一山中辺表裏共に山われ人家并人共に其内へ陥り候所数々
有之といふ今日十六日也矢代丸や安兵衛方ノ風評也
一今度の大変にハ平生心立ニても不宜人ハ安穏成ル村方ニ
有之候ても壱人切変死等ニ逢候人もあり又平生人の生皮
をはぐといふ様市場がかり候村方ハ格段ニ是非変難ニ逢
ひし也直隣村ハ安穏なるに左様事現然ニあり如斯申さハ
直キに山中ハ何懸と理屈□申が浅智ノ量ニて夫ハ難答候
が非道非分ノ通り筋等ハ極て其難ニ逢ひし所をいふなり
一今夕宵ノ口雨あり初雷印其後雷雨多して夕立
一夜ニ入一番此月日付ノ所ニもありとり頃壱度震動ス
一今夜末には薄月夜也
一山中臥雲院近辺ハ山地中へ深く陥ると聞右様ノ事山中辺
ニハ不少
四月十七日
今日天気也八ツ頃雷鳴あり向ニも筆記し置候
一善光寺四十弐坊有之所此度ノ大変ニて八坊ニ成りて跡皆
大変之節死し候と也五丁ノ筆やノ話ニて三十郎承り来り
候
一今朝承り候得ハ下の牛島に一ト所に三百八拾人頭を揃ひ
て流死人共有之といふ
一川中島にて中島といふ所の人常に志宜く難渋人等施し宿
トし候事年来中カニハ銭有之者も折々止宿を施し其取銭
ハ又難渋人へ施し与ひし其利益冥利にや今度の大水に土
蔵一ツ残りしと也其残り方不思議也其土蔵の上の方ニ神
ノ森あり其森へ流れ家流れかゝり水防ぎと成り助かり候
内に又其森の宮倒れ候て其社木にかゝり突懸ノ水を防き
此両防にて其土蔵遁れしと也語る人其名を忘じ不聞併其
人の平生の志と其遁れ方の有姿と□筋合方□ミ求るとて
も叶ふまじき有姿の奇特可有之事共不被存始末柄也依て
其奇異を記し置也此度之大変にハ折々右様の際□キ事間
々有之しなり
一今八ツ頃雷鳴あり是当年の第弐番也
一今八ツ頃地震一トよりす
一暮六ツ前又一ト地震也雷鳴ハ折々也夜ニ入天気也
一今夜夜の内ニ一度のより返あり
一此節小松原并八幡ン原外ニ川中島ノ内弐ケ所都合四ケ所
殿様御助ケ炊出し難渋人御救ひ有之と也実正承り候ヘハ
柴并八まん原小松原村三ケ所のよし
四月廿一日か廿日迄ニ止シ候と也
四月十八日
今昼夜天気よし
地震の間々人の気[僻|クセ]常にゆら〳〵と其心地あり
一今朝地震六ツ頃迄三ヶ度より込あり折々ドヲン〳〵とい
ふ音あり
四月十九日
天気也今明六ツ時又震動一ト度あり今日八ツ前曇日なり
夜ニ入薄月夜也
一三十郎今日八幡原御飯米届御蔵ヨリ之人足筋善光寺へ参
詣候所犀川水幅広く流下し[歩|カチ]渡り出来候といふ後丁ノ筆
屋ニて承り候とて申聞候が大勧進手ノ調ニて今度七千人
斗りの人死といふ外ニ不入大勧進手ノ人斗りにて中々う
かつニ聞て誠共不被思事也如来も東ノ方毘沙門堂ノ田ノ
中ニ仮屋立テ移すと也
一此節川中島居宅氷鉋辺通り宅中へ泥三尺程づゝ居込候と
也
一山中辺ハ其地禄を変地候所多きよし裏山中表山中共ニ
一此度之変死人幾許ならんか数ひ尽し難かるへし
一国々諸大名ヨリ松代江御見舞の御送り物等不少と承り候
前代未聞といふも余りあり今度様の義前後共ニ可有之事
共思はれず候其災難姿取々様々なり震動のより潰しの変
死火ニて死水ニて死此上困窮難ハ勿論也今以田方仕付等
の用意不調候此節冥利冥加の有かたさハ森 倉科 生萱
三ケ村ニハ何ニても子細なし今度ハ少しの悪心人ニても
其例ひ現也といはんとすれハ山中ハ大地柄おのづから人
情もすなをなるに何故ぞ詰り問れて言句ニ当惑す
一今日九ツ時震動の気あり
一今八ツ時又震動す
一今日暮六ツ時又震動す
一夜ニ入りても震動一ケ度す
四月廿日
今日天気也今日も八ツ頃ヨリ曇天也夜ニ入終夜雨ふる併
強雨ニてハなし
一今八ツ頃両度程震動あり夕七ツ半頃又震動す
一今夜宵過ニ一震動あり
四月廿一日
今朝雨止ム天気也終日終夜よし
一明六ツ頃又震動手強キト両度あり
一正九ツ時震動一度ス
一暮六ツ半頃又震動す
四月廿二日
天気也
(
神事目印――
一今朝六ツ半頃とおもふ頃震動一ト度す(ママ)未申此廿三日事
也
一年々の神事今明日所此大変故不被仰付延引ニ相成候神事
之義従古来延引といふ義不覚といふ程の義也然ニ将軍家
家斉公御他界ノ年六月へ相延候亦当変年ニ付不被仰付神
事所ハ今以難船に乗じ候様の心地時々刻々の事也
一今五ツ時少し動ク気味あり
一今七ツ半過に大ヨリ一トヨリ誠ニおどろき入候
一今晩終夜地震あり中ニ三ツ程大キなるあり誠ニ限りもな
くうらめしき事也
四月廿三日
今日天気也夜ニ入候てもよし
一地震大変続て世間大変の凶事故今日神事正当なれ共延引
只休日計也
一五ツ時地中へひゞきドント鳴候
一四ツ前とおもふ頃ドヲンと大鳴壱度して続て両度地震大
ヨリす如何様奇怪の大変なりきのふ頃ヨリ事別して革り(ママ)
候震気也
一今七ツ頃も少震気の気味少しつゝあり
一今七ツ半頃震動壱ツあり
一間もなくどんと鳴ル小ヨリハ不絶あり鳴も其通り也
一今夜中壱ケ度大ニ鳴候
将軍御中陰ハ天保十二ノ丑年也
一神事之事古来ヨリ延るの止むの事といふ事余り聞伝も無
之所将軍ノ御中陰にて六月へ相延候事あり今度ハ此大変
ニて今四月廿三日を以休申し一向未式無之前代未聞の事
也
一今日夕方ドヲン〳〵と鳴音ト騒声あり
四月廿四日
今日天気也昼過ヨリ少薄天気也
一今日も九ツ頃ドヲンと鳴り候て震動する也
一今も折々どん〳〵の響あり地震も少しつゝよる気味あり
もはや今日にて三十日の過し此大変始りし日になり也
一今日ハ暮六ツ少々過ニ強震壱ケ度あり
一三月廿四日ノ晩四ツ時今度ノ大変震始まりし当日なれハ
今安全を祝して郷中休日す
一今夜半夜ニ一ト震りあり終夜曇天なり先月今夕大変の当
夜其節変死の大勢初命日也扨此十三日ハ犀川上持籠り水
漬りの分惣切レの当日也
四月廿五日
今朝曇天也折々雨ふり来る南風あり雨ハ聢共ふらすばら
〳〵と夫ヨリ終夜雨あり
一今朝五ツ前又一ト震動あり
一今暮六ツ少し□□大震弐ツ小震壱ツ
一今宵ノ内弐ツヨる也
四月廿七日
今日天気也終日よし夜ニ入星空なり
一明ケ六ツ半頃一ト度震動ス
一五ツ頃又一ト震動有之候続て小より弐三度あり
一五ツノ末四ツ前と思ふ頃に又一ト震動有之候
惣して震動の前後ニハよろ〳〵と思ふ気[僻|グ]せ様に毎度有
之候如何様開闢以来の大変ならん多分坂木上田ヨリ下ハ
越後堺迄也西ハ猿が馬場ヨリ東といひながら桑原中原辺
東とても松の東山ヨリ西斗ならん
一暮六ツ半頃一震夫ヨリ少し過て又一震す宵迄の頃又一震
す
四月廿八日
天気なり此近日ハ朝々(ママ)大に寒し夜間とても同断なり別而
今朝ハ霜ニてもなきかといふ程の事也今日の日色あかく
入前ニ別して赤く大なり
一今九ツ頃ヨリ七ツ頃迄に幽かに両度震動の気あり
四月廿九日
今日天気なり昼後曇天にて南風頻りに吹夜ニ入薄空南風
終夜あり翌朝もあり
一今五ツ前ニ一ト震動あり直キ又弐ツ
○昨廿八日妻女山頭於て大施♠鬼供養あり今度圧死溺死焼
死等の変死の大勢追善の為 殿様ヨリ御菩提所長国寺へ
被仰付右の大法会有之候我等参詣候所大郡(ママ)集ニて所を狭
ばしとしての盛ン也取拘りの出家四拾人呼の大会也山頭
に御役人席の役所相立候御紋付等のまゝ打廻し大騒也誠
ニ前代未聞の奇事也当年ハ武田典礼の三百八会忌也と聞
三百ケ年以前ハ彼山□礼拘りのケ所にして今更此所に差
臨んと思ひやらるゝ事也
一又五ツ頃又一震ス
○昨廿八日岩野村孫八方江立入同人話ニて承り候先月十三
日犀川上滞り水切之刻小松原切所ニて水深サ拾壱間四寸
有之しと聞候と孫八申聞候
○同孫八話右切口水押流しの節川下モの村山と申近所ニて
□水人家へ突入と聞村方ノ大家へ集り候所水嵩漸々加り
候ニ付屋根を破って外へ出んと蠟燭てらし屋根を破り候
処誤つて其火屋根ニ燃付上ニハ火下ニハ大水其中へ落入
有様水火ノ責ニて生なから地獄入也と聞前代未聞ノ奇話
也其昔越後の地震九州の津波ノ事聞も聞候也又善光寺如
来ノ御庭ニ其横死追善の回向柱立ツてあり写し来ツて有
之所今却て善光寺を始として其事ニ倍々増りし此節の事
奇怪といふも余りあり
○穀直段等仰山ニ可騒所桑原等ハ大工同村穀やへ行穀有無
の論ニて穀やを切候て松代へ引出され夫故是迄ハ格外の
高直無之来り候
此節白米百文ニ壱升五夕
一今暮六ツ前ニ一震す
一今暮六ツ半時一震す
五月朔日
今朝雨少々ほつ〳〵す南風従昨日未有之候五ツ頃風止ミ
雨ほつ〳〵夜ニ入薄空也
一朝五ツ時大震動す
一四ツ半過ニ又大震動す
五月二日
六ツ半時震動少し有之又一つ震動す
今朝薄空なり九ツ頃ゟ続て雨しげく夜ニ入又雨併左斗は
げしくふらす夜中其段也しめりニハ成ル
一六ツ半頃又よる
五月三日
今朝雨止ンて天気最上八ツ前又少し雨あり日有ながら有
之候夫薄日に暮れ夜ニ入薄空ニて終夜也
一籾壱表 此節冥加ニ差上可申御受両役元へいたし候其分
□品物被仰付候ニハ無之候当村ニて壱両或ハ弐表ニ弐分
と思ひしは之献上也
一今日昼前に一度昼後に両度震気幽かにあり其間トン〳〵
いふ音も聞ゆ
三月廿四日ノ夜四ツ頃ヨリ騒々敷今日四拾ケ日めニて
始て少し穏か也
五月四日
今日天気様也南風甚し夜ニ入宵ハ月星あり然ニ次第ニ□
き半曇空ニ成ル
○岡森藤兵衛忰藤作今朝申聞候ハ昨三日松代ヨリ川中島へ
御触流し有之候ハ山中かや村ニ今持籠りの河アリ此河切
候ハゝ危キ次第ニ可有之候ニ付用心可有之との義のよし
扨々危急ノ程しげ〳〵多き事也右河ハ切候ヘハ犀川へ落
籠込趣のよし申聞候如何様たゝミかさなり〳〵危難有之
事也
○三月廿四日の晩四ツ頃ヨリ震動□ツテ昨三日迄其気間断
もなう昨三日にて四拾ケ日也然に今五月四日の七ツ半過
ニ相成り候得共未其気さがしにてもなし終日震気なし三
月廿四日のばん四ツ時より昨三日迄つゞき今日始て震気
なし今日にて四十ケ日めにて無事也併ドン〳〵と鳴るハ
鳴り候也
右安堵を祝ひ候所又今夕夜半過ニ一震大ニより候
五月五日
今朝薄曇りの気ありて天気也最上也昼後薄日也夜ニ入薄
空也後ニハ星空也
今日此大変中故何方ニも節供の沙汰もなし申迄も無之事
ながら尤在郷方ニても此辺ニハ食餌の取斗ひハ有之候併
心ハ様々大変〳〵ニ気後れ斗候也
○暮六ツ半前ニ強震動一ケ度
○夜半頃強震動一ケ度其[間|アイ]ま〳〵に小トよすぶりも折々其
気味合あり
五月六日
今朝薄曇天なり其後日ありといひ共曇気ハ有勝也夜ニ入
雨ほろ〳〵成れハ左斗聢共不降候
○五ツ前ノ内に小震五六度ドン〳〵とあり
○暮六ツ半頃四度震動す
○鳴る音其前後にあり其音此六つ頃度々也
○夜ノ九ツ頃大地震壱ツ強くよる其前後ニ少なる分壱ツつ
ゝあり都合三ツ同時にあり
五月七日
今朝曇天にて今にも雨あらん勢ひ併正□旱魃也東山ノ水
四月十七日頃ヨリ絶水ニて其気もなし沢山水ハ不絶多し
九ツ過ヨリ雨と成ル無雷ノ夕立也五ツ過ヨリ四ツ半頃迄
あり併兎角多分ならす
○四ツ半頃一震すドン〳〵鳴る音数々あり
○暮六ツ時壱震動す
▼又有雷ニてふり其後ハ無雷にて夜へかけふる誠ニ大雨な
り夜も次第ニ小雨なり明ケかた前に止ム
○夜ノ内に震動両度あり
五月八日
今朝ハ昨夜の雨あがり故曇天也八ツ頃ヨリ雨と成ル八ツ
半過雨止ンで曇天夜ニ入
○五ツ前ニ打付候様なる震動一ケ度あり夜ニ入薄空
○四ツ頃ドヲンと鳴る音あり此鳴りいつとても折々あり
○九ツ時又壱震動す
○暮六ツ前にドヲンと大なる響あり
○暮六ツ時震動一ケ度あり
○今晩夜半頃一震す外ニ両度有之ナリ
一今晩雨夜也
五月九日
此夜ノ雨ハ止ミ候得共兎角雨空也九ツ頃又降出ス終日ぼ
ろ〳〵し夜ニ入止て曇天
○今明六ツ頃一震す其後も幽かに其気有之事震する毎度也
併最初ヨリ其義ハ不記候
○七ツ前に又一震す
○夜に入弐震あり
五月十日
今朝曇天也九ツヨリ八ツノ間日あり夫ヨリ又曇天夜ニ入
月あり
○今明方ニ壱震あり又五ツ半過ニ壱震あり
○暮六過ニ壱震す夜の四ツ頃一震あり強し
五月十一日
今朝湿気空にて天気也九ツ八ツと天気よし夫ヨリ折々雨
ノ気あり夜ニ入曇月あり此近日ハ少しツゝ寒し
○五ツ頃弐度震動あり
○九ツ時壱震動あり
○七ツ半過に壱震動あり
○暮六ツ過に壱震動あり
○暮六ツ半前ニ壱震動あり
五月十二日
今終日最上の天気也夜ニ入月星あり
一戸左衛門小路幸四郎一件に岡森□□兵衛と入□由
○今朝明六ツ後壱震あり
○同五ツ時壱震あり
○同四ツ時壱震あり
○同夜ノ五ツに弐震りつゞへ(い)てあり
当桑至て下直ニて最初ハ壱駄四百文位後ニハ弐百文位也
終りハ五月十一二日也切捨多し
五月十三日
今日天気也終日よろしく夜ニ入月星あり薄空
○今明ケ七ツ頃壱震あり
○夫ヨリ五ツ頃迄大小以三震あり
一今日ハ妻女ニ於て長国寺配下の寺院集会候て大施餓飢(ママ)川
西ハ□矢先キ山に於て有之様被仰付之也
先月今日ハ宰川(ママ)水上籠り水切れ候て流死有之し日也
一我庭へ来る上への水此十一日に切れ切昨日頃ヨリ飛(カ)ひ水
口へも不来候
一自蚕昨十二日頃ヨリそろ〳〵上り口付
五月十四日
今日天気也終日よし夜ニ入月星□としてあり今夜殆と□
夜なり
○今十四日明七ツ頃壱震す
地震之義三月廿四日ノ晩ノ四ツ時ゟ也今十四日迄ヲ以
五拾ヶ日ノ間なり
○今四ツ頃壱震あり
○今八ツ時壱震動あり
○今夜震気無之様也
五月十五日
今日天気也夕方前雨と成併地の湿ひ候程にもあらす只ほ
こり静め位也夜ニ月空中ニ在て曇天也
戸左衛門幸四郎(後略)
○八ツ時両度震動す
○七ツ半過ニ長強く壱震す五ツ時に弱く壱震す
五月十六日
今朝曇天也天気ニ成て昼後又曇気也夜ニ入曇天終夜雨ハ
日の内より折々天気あり
○明七ツ頃壱震す
○明六ツ頃又壱震す
○五ツ頃又壱震甚しきあり
○夜ニ入壱震夜中過ニアリ壱ケ度也
○当年ハ近来の大変以来の大変震ヨリ沢山地□トヲン〳〵
と毎日折々鳴と岡森藤兵衛忰藤作今日申聞候
五月十七日
今日曇天也昼後ゟ夕方迄日が有ながら雨あり併左斗□□
ハなし夜ニ入曇天斗也
○朝五ツ頃少しよる気あり
○九ツ半過に壱震あり
○八ツ頃壱震す
○今夜明ケ七ツ過に震動弐度あり
五月十八日
今朝湿にて薄空也五ツ過ヨリ最上ノ天気也夜ニ入半清夜
也
○四ツ前に震動壱ケ度あり
○九ツ半時震動壱ケ度あり
○八ツ半過ドヲンと鳴て大震動壱ツ
○七ツ半に又壱震す
○日ノ入前に壱震あり其外小ヨリ度々
○日ノ入前大より一度あり
○日暮六ツ過ニ壱震アリつゞへて小ヨリあり毎度なり
五月十九日
今日天気也夜ニ入宵ゟ雨翌朝ニ至る
○五ツ時よる気味相あり
□当年の大変故廿日ハ半夜也といひ(え)共普請人足今以用捨無
之諸方遠方へ夫ひ被申候
○宵の内大震あり但し壱ケ度也
五月廿日
今日半夏なり
今朝ノ雨従昨夜ヨリ(ママ)ふる尤小雨也雨ハ昼過ニはれて曇天
日ハ多分雨ノ中ニアリ夜ニ入薄空也
○九ツ時大壱震す
○八下りドヲンと鳴て大より一度いたし候
五月廿一日
今朝天気なり昼後七ツ前ヨリ南風あり日暮迄甚し実大風
也夜ニ入風止ンデ雨暮六ツ過ヨリふる夜半前ニ止ンて曇
天雨空
○今日の出頃一震あり
○四ツ半頃壱震あり
○七ツ頃又壱震あり
○日ノ入前ニ又壱震あり
○今夜夜の内六度のの(ママ)震あり其以前ドン〳〵鳴り候ての上
也今昼夜小以十震也
五月廿二日
今朝曇天也次第ニ最上の天気と成ル夜ニ入星空
○五ツ時小ヨリあり
○五ツ半頃又あり
是迄の記筆ニ鳴る事ハ不付候得共其震動以前ニ鳴り候事
ドヲン〳〵と鳴る也
○九ツ時壱震す
○暮六ツ過つゞへて弐タ震り
五月廿三日
今終日天気也暮六ツ頃雨の気あり終夜気斗ニて聢と不分
ず
○五ツ頃壱震あり
矢代善兵衛話
善光寺ニてハ今度の大変ニ潰家五千八百けん余寺院共ニ
かぎ数(ママ)ニて
変壱万三千八百人余といふ善光寺帳(ママ)人数斗り
外高田商人百拾弐人
売買がさ荷
四百三十六本
但し壱本が百七拾かい入
六百八拾かいが壱駄
旅人も凡六七千人も変死ならんといふ
無常堂へ納めし西町斗白骨屋な樽六本納しと也
善光寺西町斗りニて
生焼ハ無常堂へ納白骨ニ成り候斗り屋な樽ニ六本
五百め入
玉まい(繭) 六枚
善兵衛殿へ
○今九ツ半時壱震す
○今七ツ前に壱震す
五月廿四日
今朝雨あり日の出ニハ止ム終日天気也夜ニ入雨の気あり
併左斗ふりもせす
○六ツ過ニ壱震あり
○七ツ少し過ニ強壱震あり其鳴り候音ドヲンと甚し
○夜ノ内ニ壱震ありと聞
五月廿五日
朝の間雨あり次第ニ天気也終日曇日なり
○八ツ前に少し震する事一度あり
五月廿六日
今朝ハ湿気ノ天気也折々日和にハ成候得共又雨も折々あ
り八ツ下りヨリ続て降る夜へかけてふる翌朝雨空也我等
方今日あらせきうゆる
○七ツ頃壱震す
此節川中島田植成兼候場所多きよし其詮ハ掘立候堰くづ
れ候て難渋候と岩野孫八今日苗穿配り(カ)ニ来り申聞何事に
よらす当村倉科生萱土口雨ノ宮矢代惣して此東山辺付の
村方ハ穏か也安堵也
○暮六ツ頃壱震す
○夜半前強壱震ありつゞへ(い)てこのゆるぎ其内ニ又壱震物(ゆリカ)立
候分あり此夜半前壱震甚強し
五月廿七日
従昨夜つゞへて雨ぼろ〳〵す四ツ頃ヨリ八ツ前迄大降り
也七ツ頃ヨリ雨止
○今四ツ頃我土蔵の二階に有之しに震動の気両三度ありな
れ共只ノ所に有之候てハ分り兼候程只幽かにあり
○七ツ半過に壱震あり併少し其気味斗也
○日入て間もなく強壱震今日石川山ぬけたり
五月廿八日
今日湿天不絶尤間々雲中含日薄き事もあり夜に入湿天也
此廿七日の雨ヨリ我等屋敷等の水出水あり
○四ツ時壱震す
○九ツ時幽かに壱震す
○八ツ頃壱震す
○夜半頃少し震す
五月廿九日
今朝湿天也雨の気もあり
○五ツ頃壱震す 書失消筆也
五月廿九日
今終日湿天折々曇天七ツ過ニ雨あり夜折々日雨あり
○朝五ツ前両度潜ニ動るきありドヲン〳〵ノ鳴ハ折々也
六月朔日
今日湿天なり終日其段也夜ニ入少し星空也
○五ツ頃両度の震あり
六月二日
今明日当村農休也
今日天気也終日よし夜ニ入星空なり
○今朝五ツ時壱震の気味あり
○今夜夜半過ニ壱震す
六月三日
今日天気よし終日よし夜ニ入星空也
○今朝五ツ頃壱震す
○夫ヨリ八ツ頃迄に纔かつゝ両震す
○夕七ツ半過ニ壱震す
○暮六ツ過ニ壱震す
○宵過ニ壱震す鳴音して少しよる也
六月四日
今日湿ケ間敷空色也七ツ半過ヨリ雨ニ成る
○五ツ頃一度甚ク大震す
六月五日
今日天気也終日最上也夜に入空ニ星なし
○明六ツ半過ニ壱震す
○同壱震す
○同五ツ前に壱震す
○暮六ツ過ニ少しく壱震す震ノ前後ドン〳〵と鳴り候事毎
度□記ヨリなり
六月六日
天気也終日よし夜ニ入月星あり
○五ツ前に壱震す
○夜半頃大震一度あり折々トン〳〵と鳴る事是ハ近来毎度
あり
六月七日
今日終日終夜天気よし我今日ハ身分不叶向ニてごろり
〳〵と終日す
○今五ツ前ニ壱震あり
○今五ツニ大ニ壱震す
○同五ツ時大ニ壱震少しツゝ間有て両度ドン〳〵ノ鳴りハ
今に始ぬ折々あり
六月八日
曇色ノ天気也四ツ頃ヨリ上天気也終日終夜よし
○朝六ツ半ニ壱震
○同四ツニ大壱震小壱震小以二つ
○暮六ツ前ニ大ニ壱震ス
六月九日
天気よし無程曇天し雨も幽かに附り(ママ)候又九ツ前ヨリ天気
ニ成る七つ前より又曇天含日也此節正ハ旱天也別当辺出
水ノ気絶切候[沢山|サワヤマ]ハ沢さんニ出候也実ハ地震故也水気ノ
事ハ
○当三月廿四日ノばん四ツ時に震動初り前記しの如く毎日
毎晩震トム事なかりし也然るに今九日にハ終日其気なく
暮六ツ過ニ少しドンとなる気味斗り也其日数積て七十八
ヶ日也今日土用入暑甚し
六月十日
今日天気なり併曇気あり昼後大曇天夕方迄折々雨ノ気あ
り併左斗しめりにも不相成夜ニ入月あり
今五ツ前ニドンと壱鳴す
○今四ツ時壱震す
○今晩暮六つ過に壱震す
○今晩五ツ前ニ壱震あり大也
六月十一日
今朝湿天ノ気也後にハ次第ニ最上ノ天気也夜ニ入月星あ
り
○今夜半頃又大ニ壱震す
六月十二日
今日天気也四ツ前頃から鳴又す八ツ頃ヨリうるみ日也終
日其段夜ニ入月あり
○九ツ過に壱震す
○暮六つ頃壱震す
六月十三日今日天気也終日よし夜に入月あり
○明六ツ半過ニ壱震す
○五ツ半前ニ壱震す
○九ツ頃鳴動する事壱震
○九ツ半頃少震する気味アリ
○八ツ頃壱震す
○夜ノ内ニ三ケ度大震ス其間々ドヲン〳〵と鳴ル
六月十四日
今朝湿天曇天勝也昼後少し雨ばら〳〵夜ニ入月あり
○終夜ノ内四度程震す
六月十五日
今朝薄曇天也幽かに雨の気もあり夫ヨリ曇晴の天気夜ニ
入月あり
○明ケ六ツ半過に壱震あり
○夕七ツ頃又壱震す
○終夜ニ四度程震す
六月十六日
今日天気也七ツ前に雷鳴在て雨ハばら〳〵夜ニ入月あり
○夜ノ四ツ前ニ壱震す
六月十七日
今日天気もあれ共折々曇天し雨の気もあり夜ニ入月夜也
○今朝明方壱震す
○暮六ツ半前ニ壱震す
六月十八日
今日天気也南風あり今日雨気の向キ切れたり夜ニ入月也
○八ツ半過ニ壱震す
○夜ノ内ドヲン〳〵と鳴って小ヨリ度々あり
六月十九日
天気よし昼後むして暑し
○四ツ頃壱震す
○九ツ時小ク壱震す
□殿様ニて三月廿四日ノ晩ヨリ御日記付候が五月十四日迄
一千拾七度ヨリ候と岩野の御茶坊主宮岡宗清申と岩野孫
八ゟ承り候
○九ツ過に幽かに壱震あり
○七ツ時壱震す
○夜ニ入ドヲン〳〵と鳴音ヨリも少しあり
六月廿日
天気也此程中ハ畑方旱損ニ可陥今日等が堺ニて雨を乞ふ
時節也然ニ今七ツ頃雷雨頻にして其終り夜ニ入ても其気
あり誠ニ来露豊雨と可称廿一日ニハ其祝に遊申し候誠ニ
的中のしめり也今日ノ大雨地壱抔也
○五ツ前壱震あり
○今夜も震ハあり
六月廿一日
今日天気也昼頃夕立の勢ひ斗ニて夕立幽雨二三滴斗無之又天気也夜ニ
入て天気よし
○昼ノ八ツ頃地震す
六月廿二日
今日も天気也夜ニ入候ても星なく曇天也
○昼九ツ時壱震す
○夜ノ五ツ時壱震す
六月廿三日
今日も天気也昼前曇天気昼後正天気也九ツ前ニ雨二三滴
幽かにあり夜ニ入星天なり
○朝五ツ前又壱震す
○四半過ヨリ九ツ迄両度ス
六月廿四日
今日天気なり夜に入星天なり
○四ツ前ニ大震一度あり
○九ツ前大震する事一度
○八ツ時に亦壱震す
六月廿五日
今日天気也むし暑し夕方迄同断夜ニ入星空
○五ツ半頃壱震あり
○四ツ時鳴て壱震す
○七ツ少過に壱震す
○暮六時大震壱小震壱ツ
○右少し過て又壱ツ
○夜の内に壱震あり
六月廿六日
今朝薄曇天也五ツ前ヨリ雨と成ル四ツ迄降る大ニ湿る四
ツ半頃ヨリ天気ニ成り又七ツ前ヨリ少しふり直キ天気ニ
成ル夕方迄ニほろ〳〵有て天気よし夜ニ入うす曇り夜半
雨少しあり
○四ツ前に大震す
○暮六前ニ大震一度也
○夜の内に六度程震ス
六月廿七日
今日天気終日よし七ツ半頃ヨリ雨の気あり夜ニ入りても
雨あり終夜有之候ニもあらす清水堂定介今日葬式夜ニ入
雨の気あり後ニハよし
○今朝壱震あり
六月廿八日
今朝雨気空なり五ツ過ヨリ天気ニ成ル八ツ頃大雨丁(ママ)頻頻
りして曇天七ツ頃ヨリ半曇天気夜ニ入半曇なり
○今四ツ頃壱震あり
六月廿九日
今日半曇半霽〳〵也夜ニ入同断
○八ツ頃壱震あり
六月晦日
今朝湿気ノ天気也九ツ前ニ雨ふる夫ヨリ半天気ニ成り又
七ツ頃雨と成り夜ニ入星空
○四ツ前ニ壱震す
○夜ニ入壱震す
七月朔日
今朝湿気ノ天なり終日天気よし夜ニ入無星ノ天北風あり
すゞし
□(今夜ヨリ始てすゞ気の様子始る
○七ツ半過壱震あり
○夜ニ入夜半に壱震あり
七月二日
今朝湿気ノ薄曇天也五ツ過ヨリ雨と成る四ツ頃ゟ手強き
ふり夫ヨリ止ンて又折々ふる夜ニ入○(ママ)天也
□今朝ヨリ少しひやゝか也是昨夜ヨリ始る也
○四ツ半過に壱震あり
○夜六ツ過ニ幽ニ壱震あり
○夜ノ内に九度ノ震なり
七月三日
今朝曇日和なり次第に天気に成る昼頃ヨリ曇天に成り暮
六ツより辺前万雨(ママ)ノ気有之候おもひハ直キに止ミ曇天な
り七ツ半過ヨリ雨と成ル夜ニ入止て次第ニ星空也此日ノ
夜ヨリ少しひやゝか也
○五ツ頃両度ノ震也
○四ツ時壱震同幽に両震ス
□当年ハ田畑共一杯ノ豊作畑等別してよろしく湿沢山也す
ゞ気ハ当朔日ノ夜ヨリ始まる
稲等ハ取い□少く最初とハ以の外也畑方等ハ宜しといひ共
其形斗成ニせし方多し
○九ツ時壱震ス
○暮六ツ頃壱震大也
七月四日
湿気ノ空也次第に天気最上と成ル夜ニ入星空也
○夜ニ入壱震あり
三月廿四日ヨリ昨五日にて百ケ日ニ正当(ママ)依之善光寺ニて
ハ昨三日に変死人百ケ日ノ回向有之と倉科染物やへしる
□申聞候
七月五日
今日天気也朝すゞし昼ル過ニ日ハ有ながら雨一ト頻りあ
り夜ニ入薄星空也
○暮方ヨリ両三度ノ震あり此記毎ニ記筆ハ無之候得共ドヲ
ン〳〵とから鳴ハ毎度也向良介殿方へ松代ヨリ横田村平
作写し[賜|ヲク]る
奥州ニて実正ハ兎も角も此節ノ申ふらし
一朝日の出 三つ出る事
一塩竈明神馬河方へ参り候て七日めにどろに成候て帰る事
一釣りがねつかずに鳴事
一地われて泥吹出す事
一大木うなりきり取候てもうなる事又ほり取ってもうなる
一山ニ女の姿弐人見ゆる事
一片倉小十郎殿御城焼る事
三州吉田ニて
一四月十日ニ氷降る尤茶碗位成る由
丹波ノ宮津ニテ
一三百五拾丁程の土手俄ニ出る事
糸魚川
一四月廿四日夜大風大地震尤家をより潰す程の事ハ無之と
也
出羽山形
一洪水其深サ六丈程御城江七尺水入人多流死す
四国伊予
一家皆海へ引込海上と成ル
越後
一三月廿九日昼七ツ頃大地震家倒レ潰るゝ事
七月六日
今日天気也最上也夜ニ入宵頃ヨリ至て大雨也宵過ヨリ止
ム
三十郎今晩戸隠参詣止宿す
○六半過に壱震す
○九ツ時壱震す
当年ハしめり沢山にして天気よく田畑共に満足也
○暮方ヨリ夜ニ入りまで弐震あり
七月七日
今朝最上天気也当年ハ天気もよく折々雨有て田畑共ニ豊
に近来ニ無之宜き御仕置稀也誠田畑豊熟の勢ひ也暁方曇
天夕方雨一ト頻りふる夜ニ入中曇天
○朝間弐三度幽かに震り形あり
○九ツ時壱震す
○夜ニ入三度
七月八日
今日天気朝ノ内すゞし終日天気なり夜ニ入半曇天也
○夜ノ内ニ五度震ス
一珍らしき話あり弘化三年のとし松代御家中作間(ママ)修理之介
と申御家士しゞみ貝を雨宮大橋へ御放し有之と聞しが当
未ニハ沢山にふ[ひ|え]候趣ニてひろい来るなり万代の末迄も
是が最初也多分去年と覚候万一覚損し候所が弘化二巳也
併多分去午年の事也
一当年ハ是迄ニ余り不覚順時の陽気也天気宜く又折々雨有
之田畑共ニ満足にて其不足ノ所申様無之順年也田畑共に
満地豊かにしてか様なる年柄も余り不覚事也只今以地震
有之事三月廿四日の晩四ツ時ヨリ不止只今ニ成てハ敢て
差支ひも無之事也
七月九日
今朝湿天也終日天気夜ニ入半月夜也
○震壱度也明方ニアリ当年ハ陽気大順にして是程宜き年柄
ハ今迄前年に余り不覚事也田畑共ニ豊作地一杯也如何様
類例無之珍敷事
○夜ノ暮六ツ半過ニ幽に震ス
○夜ノ内にも震あり
七月十日
今日曇天次第ニ最上ノ天気也七ツ頃ヨリ曇天也宵ノ口ニ
一ト頻り雨有□夫ヨリ月あり
一今朝観音参詣ニて見候所ミたらし上ノ溜池へ水来らず東
山手ニ水決してなし併市之丞屋敷にハ水不相替出候
一当地震弘化四未ニて興正寺鐘楼損じ候ニ付当年ハ日中鐘等も無之
候所当未七月十日ヨリ始て[衝|ツキ]候
○九ツ時壱震す同時幽かに又壱震
○八ツ下り迄に三震あり
○夜ノ内に壱震あり
七月十一日
今日天気也七ツ前ヨリ[淡|ウス]曇天なり□□□雷鳴して雨ばら
〳〵夜ニ入又雨ありて止ミ心のまゝニ過し陽気なり
○昼前ニ鳴を加ひて四度程震す
○昼後五ケ度程内ニ震壱ツ鳴ル四度
一当節ハ雨在って其□は最上天気ニて何事も不宜といふ事
なし雨も折々在りて湿りハ物ニ応してよく物ノクセ払等
ニ上ノ方也
○夜ニ入壱震アリ
七月十二日
今日天気也何事によらす人間歎心の□も不漏事足り候陽
気の此節也余り冥加過し陽気也作物等の養ひといひ事足
りし気運也七ツ半頃雨颯と一トふりあり跡ハ半曇天也
○暮六ツ前ニ大震一度あり
○夜ノ内ニ両震す
七月十三日
今日天気なり四ツ頃雨と成ほこりも不落降して止ミ天気
と成り又九ツニふる今日折々雨ノ気あり夜ニ入薄曇天也
鳴り候ハ日々折々の事ニ候得共今朝両度鳴り候
○五ツ時壱震アリ
○夜ニ入両度震す
七月十四日
今日折々雨あり其間々曇天夜ニ入曇空也
○八ツ頃両震す
○同時に又壱震す
○同時ニ又両震あり
此夜斗り震なし
始てよらぬ 印
七月十五日
今朝湿天なり次第ニ最上ノ天気也夜ニ入宵ノ間雨天也後
にハ天気也
○宵過壱震あり
七月十六日
今日天気也今朝少し冷気也日中といひ共冷風あり
○暮六ツ前に壱震す
七月十七日
今朝すゞしく湿天也折々天気其間ハ薄空もあり夜ニ入月
夜也今日ハ日ノ内もひや〳〵す是が当秋の始也
今朝ドヲンと鳴り候間もなく又なり候夜ノ内壱震あり当
年ハ今以てミづ等決して出不申水源絶し切候[沢山|さわやま]等も此
節減水し候尤千曲川等ニハ子細無之候仏崎尾□□道并高
道等ヘハ新ノ水当年ハ出始候此辺先キぶち初其外々の水
源皆止り切誠ニ前代未聞の事也
七月十八日
今朝ヨリ最上ノ天気也終日よし夜ニ入月あり夜ニ入次第
ニ曇天今日ハ日の内もひや〳〵す
○四ツ九ツの間ニ壱震あり
○暮六ツ前ニ壱震あり
○同六ツ過ニ壱震あり
○五ツ頃又壱震ス
○夜ニ入両震尤内壱震ハ鳴斗の様也壱震大なり
七月十九日
今朝雨ふる但六ツ半頃ヨリ其気あり五ツ半頃ゟ天気ニ成
ル夜ニ入又雨あり
○夜明ケに壱震す
○又今夕夜半過大震壱震長くあり
七月廿日
今朝湿天なり五ツ頃ヨリ雨折々ふる後にハ終日大雨也夕
方はる夜ニ入薄星空也日の内鳴り候音あり
七月廿一日
今朝湿天也五ツ前ヨリ最上の天気也八ツ頃一ト頻り大雨
也跡ハ又上天気夜ニ入より
○今朝壱震す
○少し有て又壱震
○今晩震なし
七月廿二日
今日天気也五ツ頃ヨリ夜ニかゝり薄曇天也夜ハ夜半過ヨ
リ雨もあり
○昼七ツ頃壱震す
七月廿三日
従昨夜雨今朝へかけ有之候五ツ過□天気なり終日よ
し夜ニ入うす空なり
今朝五ツ前迄に
○三震あり
七月廿四日
朝の間湿天ニて次第ニ天気也昼後七ツ過ニ雨一ト頻り降
て止む夜ハ薄空にて雨も折々少しあり
○夜ノ内ニ三震あり
七月廿五日
今日天気也終日よし夜ニ入日本ばれ也
○一両度ノよる気味あり
七月廿六日
今朝冷気の気味ありて天気也秋暑甚し此程中ハ五七日皆
甚し夜ニ入四方□天
○暮六ツ前ニ震あり
七月廿七日
朝ヨリ終日上天気ニて秋暑甚し暮六ツ頃雨と成ル雷もあ
り
○今日両震す
○暮六時壱震す
七月廿八日
今日天気最上なり
○明六ツ半過大震あり
○五ツ過ニ壱震鳴動あり
○八ツ頃壱震アリ
○同少し過て小ク壱震あり
○同壱震あり
○○○○(ママ)夜ニ入四ケ度程震す
七月廿九日
今朝薄曇天なり四ツ頃雨ふり□ふりて又止ンて天気空ニ
成夕方暮ニハ薄曇天也終夜曇天也
○五ツ前に壱震す
○四ツ前頃又壱震す
○四ツに又壱震す
○四ツに又壱震す(ママ)
○暮六ツ前に壱震あり幽か也
七月晦日
湿気ノ天気也今朝冷気始マる終日天気よし夜ニ入星夜也
○○五ツ前ニ両度震す
○四ツ前ニ壱震す
○八ツ頃壱震あり
○暮六ツ時大震一ヶ度ス
○間もなく又少ク震す
○暮六ツ半に又壱震
○明方前に壱震す
八月朔日
今朝袷にても着用有之度心地也
○五ツ時壱震す
八月二日
今朝曇空也終日間ニハ雨も昼頃少しあり夫ヨリ曇天夜ニ
入同断夜明前ヨリ雨と成ル
○五ツ前ニ一震あり
○七ツ半頃幽に壱震あり
○暮六ツ頃壱震あり
弘化四未八月二日ノ記筆
去年夏頃ハ□酒一升といふハ極[下|ゲ]酒也夫ヨリ弐匁五分ヨリ
壱升五匁迄ノ分あり然ニ若者共其酒一度ニ七升も寄合飲せ
しと聞然共女郎買ひしニハまし也といふ由
弘化三午ノ六月十五日記筆先月頃迄ハ白米百文ニ八合せし
也然ニ天気よろしく稲の趣よろし殊ニ坂裏米等下直ノ分来
る依て此節百文に九合五夕と申ハ表向内証ニてハ壱升ヨリ
壱升壱合迄也
素人日雇壱升五分と成り候ハ文政十二丑ノ春ヨリ也其以前
八分ニ十二日位也
弘化三年六月頃ノ記筆写
此六月頃相州浦賀辺へ異国船着到し沖中に控て窺ふといふ
評判専也横七間竪拾八間といふ其遠き沖ニ幾艘となく来船
すと評判取々也依て御かためノ大名方出させらるとの聞得
也其後其事何の沙汰もなし
未八月二日神事集ニ付休日
当三月廿四日之ばん地震大変此記ニ今以絶筆無之大変故雨
宮神事相止候此近矢代雨宮思ひ〳〵に其心当りの日限心底
の取斗有之よし当村ニてハ今二日を以心当りとし休日し候
此三四ケ年以前 大御所様御中陰にて六月相延候事也以前
不承事也然ニ今年又亦如此事依て当村ハ今日を神事とし郷
中休日し候
雨宮矢代等ハ其内々と存居候所此節迄相延ニ付先日頃其
心当り済し候と也当村ハ今日也
○冷気際立候事
八月三日
今朝雨ふる終日ふる今日ハ際立候て冷気と成り火ノ際へ
寄り候様ニ成り候夜ニ入薄曇天
○夜内ニ壱震
○夜ノ内ニ壱震
八月四日
今日天気也朝冷気也
○四ツ頃壱震あり
○夜ニ入壱震あり
八月五日
今日天気也星空也
○今夜壱震あり
○夜ノ内震
○夜ノ内震(ママ)
八月六日
今朝湿天なりすゞし
今日清水堂敬之介小児二男病死す
今日冷気正得にあり冬支度ニて宅出也夜ニ入薄曇天
○○○今夜三震あり外ニ小震ノ分○○○○○○○七度程清
水堂敬之介小児今日病死也
○今日蚊帳はづし候
八月七日
今朝冷気ニて天気ハ最上殊温りも是迄ニ無之候事也
○八ツ時壱震アリ以前ノ三四震ノ間程長し
○七ツ頃又小ク壱震す
春ヨリも是迄震ノ外にドヲンと鳴り候事度々也然ニ今以
其鳴り有之候外々ニもヨリハ有之といひ共坂木ヨリ□と
いふ物の川中島ヨリ此近辺是ハ格別の事也
今夜震ハ無之様覚候ドヲン〳〵ハ折々有之候
○又承候得ハ夜中に壱震す
本家ニて岩ト杉今日切始候山ハ去暮我等方へ廿五両ニて
買ひ候右杉文化八未ノ春八左衛門植候今弘化四未ニテ三
拾七ケ年ニて伐ル
八月八日
今朝曇天ニて今ふらん勢ひ也終日薄曇り日も折々ハあり
夜ニ入宵ニハ雨あり其内ニ晴天今日冷し
夜ノ中ドヲン〳〵と鳴候斗震なし
八月九日
今日天気也四ツ過ヨリ曇天ニ成り折々雨の気あり其間ハ
曇天也
○○今朝弐震あり
岡森治介昨□死去今日出棺
○八ツ頃壱震す
八月十日
今日天気也終日よし夜ニ入雨と成終夜ふる
○夜半頃壱震あり
八月十一日
今日朝間曇気ノ天気四ツ頃ヨリよし終日よし夜ニ入雨夜
半ヨリあり
○今朝五ツ前に壱震あり
○夜中ニ壱震あり
八月十二日
今朝曇天次第に半天気也夜ニ入半月夜也
八月十三日
曇天五ツ前ニ雨気あり一ト頻り大騒に降って次第ニ最上
ノ天気と成ル夜ニ入薄月夜なり
四ツ前ニ壱震ス
八月十四日
今日天気也折々雨ノ気も幽かにあり夜ニ入薄月夜也
○○○日ノ内ニ幽かに三震程あり
○○○○○○○夜ニ入七度程小ヨリ迄ニアリ
八月十五日
今日天気也朝大にすゞし折々大風あり北から也
○明六ツ半過ニ壱震ス
此十二日ヨリ十八日迄彼岸中禅透院ニ彼宗門画伝講釈山
中戌石村(ママ、武カ)長念寺被有之候夜ニ入両震あり
八月十六日
●寒さの初印
今朝ハ冷気始て手足ちゞむ程寒し天気ハよし夜ニ入天気
よし今日ハ日中ニても寒し是日中ニても寒サの始也
夕七ツ半過
○○両震あり
○○夜ノ内両震アリ
八月十七日
今朝大ニ寒し天気よし四ツ頃ゟ曇色九ツ頃より天気よし
夜ニ入星空なり今日ハ
○九ツ時壱震あり 終日寒し
○夜中に又壱震大也 其外幽かの気味八度と云々
(中略)
八月十八日
今朝すゞし天気也次第に暖に天気也併内心ニハ冷ノ気ハ
含て有之候夜ニ入月夜鮮か也
○○○日ノ内ニ三震あり
○○○夜ノ内三震あり
此節水の払底成る事[沢山|さわやま]を始として至て乏し近来不覚事
也
八月十九日
今日天気也夜ニ入曇天なり
○夜明に壱震す
○○○夜の内三震あり
八月廿日
今朝曇天なり次第暑天し夕方幽かに雨ノ気夜ニ入終夜同
断
此節雨も折々候得共水乏敷沢山水等如何ニも絶水只わづ
か流下する斗り也常水の半分不下ラ水源外々へくるひし
成と皆人申合候尚々外水ハ誠ニ乏敷候□□池水井也ハ不相替
候井水八月廿五六日頃ハ壱尺余り減水候
此日記中ニ書損し所多し老衰のしるし多し
八月廿一日
今朝曇天なり終日其段也夜ニ入同断
今五ツ前ニ壱震す
上氷鉋太郎左衛門此十四日ニ文太夫方江法事ニ来り候刻
申話候此四月十三日小市ノ出崎江犀川湛ひノ分押出しノ
水嵩サ六丈三尺といふ
○七ツ半過ニ壱震あり
八月廿二日
今朝曇天也九ツ八ツノ内に日少しあり其跡ハ曇天也夜ニ
入り曇天
○○○○○○○
今朝五ツ前迄ニ
[七震|シチシン]程あり
内壱ツ大震其外ハ小震なり
○四ツ前ニ壱震あり
○○○○○夜五ツ迄に五震アリ夫ヨリ度数ハ扨置候て
大変ノ震度数不記なり全躰難船ニ乗し候様ニて皆人寝臥する事な
し
大変
大変目印
八月廿三日
今朝曇天也
殿様ゟ被状出候て集り等聊之義も決して相止ミ候
今日九ツ半迄震ス
今廿三日初雪印飯縄山迄雪始ふり一ケ日不満して消ゆ戸隠迄同
断
八月廿四日
今終日薄天気なり夜ニ入少しよし
五ツ前ニ○○両震す少し過て又○壱震あり
此節で真絶して沢山水等も坂木西条辺へ皆出るといふ誠
ニけ[有|う]の沙汰なり洗淵水等も一向出不申天狗町辺ニて平
生□之[□|ヤカラ]皆ケいりん坊の元ト池の方へ汲ミニ出る然れバ
とて仏崎高道辺の道中へ新出の水出候也
○七ツ時壱震あり
○宵の内ニ壱震アリ
出水
目印
此百十六丁十月廿一日ヨリ出水ノ事あり
八月廿五日
今日天気也次第ニ曇て終日薄曇天夕六ツ頃ヨリ雨と成ル
明ケ前ニ止て最上ノ天気ノ廿六日也
明六ツ頃中過ニ○震アリ
此節水此辺払底成る事甚し其水原地震に脇之所転ふるゝ
と人口申触よし也西条辺ヘハ甚水出候事平生無之水出候
と也坂木辺も其段也といふ清水堂辺ノ井戸水絶し候ケ所
有之といふ唱ひ也洗淵山ノ水抔も決してミたらし辺へ不
下ラ惣して東山辺ハ別して渇々也
○今七ツ頃壱震あり
我今日八幡宮江参詣し小船山村伝次郎方止宿饗応ニ預り
廿六日ニ帰宅候
○今夜四ツ頃壱震あり今夜南風終夜あり
八月廿六日
今日最上ノ天気なり昼前ニ帰宅す終日最上ノ天気也夜入
候ても天気よし
○明六ツ半ニ壱震
○五ツ前ニ壱震併幽ニして其気味斗也
○四ツ前ニ大震壱ツ
○八ツ半過ニ壱震
○夜ニ入りて壱震
当年ハ此辺七月以来で水至乏し第一沢山水甚細し其水源
止り候所間々有之といふ清水堂辺等ハ皆井戸水渇する由
聞え候与五右衛門等法事いたし度候が水甚心配のよし申
と承り候
八月廿七日
終日終夜天気よし
○暮六ツ前に壱震あり
○同時に幽かに壱震あり
○○夜ニ入弐震あり
八月廿八日
今日天気よし九ツ頃ヨリ北風多くあり夜ニ入薄空也
此方様今日江戸表へ御発駕也
○昼前ニ壱震幽かにアリ夜ノ事ハ皆聞合ノ節に覚なしとい
ふ
八月廿九日
今日天気なり終日天気夜ニ入てもよし
三月廿四日ノ晩四ツ時ヨリ地震より始今日迄百五十四ケ
日也
○九ツ前壱震あり
当三月廿四日ノ晩四ツ時地震より始今九ツ迄ノ分□小以
百五拾四ケ日也未此上ノ義是ニて止ミ可申哉前知難相成
事也是迄毎日〳〵昼夜ノ事也別而此川中島拾里四方ハ強
し
九月朔日
今日天気也八ツ前ヨリ雨ノ気幽かにあり日薄空ニて日暮
て清夜也
○今朝五ツ前ニ壱震あり
○九ツ半ニ壱震あり
一三月廿四日ノばん四ツ頃ゟ地震引続て今日迄百五十五ケ
日也
九月二日
天気也併終日冷気なり終夜天気よし
○○○今朝明六ツ半過ニ三震あり未ノ壱ツハ幽か也
○○夜ニ入□前ニ弐震あり
九月三日
今朝初霜あり天気よし終日宜敷夜ニ入りてもよし
○夜ノ内壱震アリ
九月四日
今終日天気也夜半頃ゟ雨と成ル
○○今朝両震五ツ前未タ(ママ)六ツ半過ニアリ
○又五ツ前ニ壱度アリ
○○五ツ半過ニ弐震ス
○○○○○夜明迄ニ五度程
当年水払底成ル始末柄元来旱魃といふ事なく地震よりく
るはしの故也沢山水際等此節水絶候て白干のケ所等多く
有之よし也弥々左様歟と存候得ハ平生水出さゞる仏崎尾
根先き道中新水多く出候高尾岺上ノ辺道へも出る新口数
ケ所出来□□扨亦よこふきつるし仏ケ下ノ脇沢等ヘハ平
生ニ増して多く出ると也其外西条辺等ノ山へも多く出る
聞え也当村等ハ清水堂辺の井戸水至て乏き聞え也此節平
生ニ増て出る新口古来ヨリ多く出るケ所がへり或ハ一向
不出といふ聞え何れニも地震にてよりうごかしの始末柄
に必定せり誠ニ天地を動かす不思議也清水堂辺も敬之介
井戸汲取ニ来る族多しと敬之介ヨリ承り候我等方等も東
山ノ水必至と止り候併裏ノ堀等ハ溜り水ニて至て沢山な
り是も我等が水運難有事也其外土或ハ石等に至る迄我等
が心任せに此所ゟ自ら出候今度井戸の西側石積候其石等
も是迄屋敷ノ内ヨリ出居り候石ニて他ヨリ壱ツも持来ら
す 我等当年ハ七拾五才ノ老屈ニて格別ニ老の際相見え
て物の弁別甚不弁ニ成候向ヨリ来る入も早速ニハ容易分
かり兼候始末
九月五日
九ツ頃
○○二震あり
○○○○夜ノ内四震アリ
九月十日
従昨夜しぶ〳〵雨也今日五ツ過ヨリ薄天気也昼後とて同
断夜ニ入月光あり日ノ入前ニ○壱震夜ニ入○○弐震あり
我等方麦畠今日蒔始
九月十一日
曇天なり八ツ下りヨリ雨ぼろ〳〵夜ニ入候ても不止
○五ツ半頃壱震あり
○四ツ半過ニ壱震アリ其後少し過て又
○震あり
○○夜ノ内に両震す
九月十二日
従昨夜今朝へかけ雨しぶ〳〵今日風はけし北風也五ツ頃
ヨリ薄日也
○○今五ツ前ニ両震アリ
○○○宵ノ間三ツ夫ヨリ向ハ覚なしと皆いふ
九月十三日
今朝湿天なり五ツ頃ヨリ天気よし暮六頃
○○弐震アリ月夜也
○○夜ニ入弐震あり
九月十四日
今早朝少々雨ノ気あり五ツ頃ヨリ次第上天気也夜ニ入天
気よし
○今朝五ツ時壱震
○○今九ツ半時両震アリ
○今夕七ツ時大震一ケ度あり
○○夕七ツ半過小震あり
○夜の内三ツ斗り鳴候て其終ニ壱震ス大なり
九月十五日
今日天気なり終日よし夜ニ入月夜也
朝四ツ頃
○壱震あり
○壱震夜ノ内ニアリ夜ノ内一度鳴り候
九月十六日
今朝曇天なり四ツ頃ヨリ薄日和也
昼前ニ地震二ツ左ニ記ス
○○前文ノ震也
○○○夜ニ入四震(ママ)あり
○内壱震大なり
□大気印
九月十七日
今朝ハ少し冷気也是迄ハ大ニ暖かなりし也天気よし夜ニ
入月夜也
昼ノ内三度鳴る外ニ
○壱度震す夜ニ入
○○二震し鳴るが両度也
九月十八日
今朝湿天也次第ニ薄日和夜ニ入薄空ノ夜也
○朝ノ間壱震す夫ヨリ四ツ迄ニ又
○○○○四震アリ其後九ツ迄ニ又
○壱震ニ弐タ鳴ス昼後ヨリ暮六ツ迄
○○○三震あり今夜ノ内
○○○三震アリ
九月十九日
湿天也五ツ過ヨリ天気よし夜ニ入薄空也夜ニ入
○○○○○五震ヨリ向震すといふ
九月廿日
天気よし次第ニ曇天し九ツ頃ヨリ雨と成ル次第ニ雨ハ止
ミ曇天ニて北風寒しはげし夜ニ入曇天北風寒し
昼前ノ内に
○○両震あり
○七ツ半過ニ一シン
○暮六ツ半前ニ一シン
九月廿一日
朝の間曇天にて北風寒し訳の外也終日薄曇りにて寒キ事
北風ニて堪難き事也夜ニ入右同断
初雪
目印
飯縄(綱)桑原御林□初雪
今日見ゆ□三日頃ハ皆消□し候
○五ツ半過ニ壱震あり
○夜ニ入壱震アリ
新田小八跡式当九月廿一日ニ殿入江転宅し来り候上原弁右
衛門と号ス弁右衛門ハ殿入源太郎ノ子也
此節出水払底成る事大変也堰水等ハ勿論井戸水等所によ
り必至と逼迫也左様ニ候得共坂木西条辺等ハ水沢山(たくさん)成る
平生に倍しまして沢山(たくさん)のよし坂木成る横吹のつるし仏ケ
の脇等ヘハおびたゞしく出候て是迄ニなき水田等取拵候
といふ聞得也別而当村も東山辺ハ有来りの水必至と絶果
し候是平生に違ひし異変也
九月廿二日
●今朝大霜也両度め也今朝初氷はる此三日が初霜也今終日薄
日也夜ニ入候て星空
我等身分の義当年ハ八月頃ゟ物の弁別至て悪敷成候て文字
等書初候ても其終りを全く書終り兼候弁別ニ陥り候
戸隠の雪今日消切候
今日昼夜震なし
九月廿三日
今日霜なく冷気朝ノ内あり終日薄天気夜ニ入星夜也
○今夕方向良八病死北沢氏也
当年当辺で水乏しき沢山(さわやま)水等乏く水車□挽決して不相叶
井戸水等も至て乏し
○○昼前に両度あり
○○夜ニ入両度其跡ハ鳴事三度
当年ハ桑原山材木出し人足毎八月ヨリ毎日ノ様ニ当り誠
ニ耕作ノ支ひニも相成候程の事也右ノ始末并水渇し候事
前代未聞ノ事共也□は不□今時奇怪ノ事共也
一此節役義人足当テ来ル事誠ニ寸暇無之人毎に迷惑至極如
斯事も前代未聞
此節名主岡森久米右衛門苗字近藤
中村紋蔵 苗字稲玉
右役義ニて村方人別壱人も安堵無之事也勤所ハ多分桑原
御城也
九月廿四日
今朝湿天雨ぼろ〳〵五ツ半過ヨリ天気也まもなく薄曇天
なり夜ニ入はれたり
○明過壱震アリ
九月廿五日
今朝薄曇天也終日薄日也夜ニ入薄空星ハ西北ノ隅にある
斗
○○明方両震アリ
此節当村緒方(ママ)共ニ水払底なり
我等井戸此九月四日に改見候所立石の頭迄惣丈ケ弐丈八
尺也今水有之候所壱丈壱尺弐寸右の通りの始末柄也
九月廿六日
今朝曇天雨の気幽かにぼろ〳〵する事折々あり四ツ頃ヨ
リ天気ニ成候得共北風甚し夜ニ入はれて星夜なり
(中略)
○四ツ前に壱震あり
九月廿七日
今朝雨ノ気ぼろ〳〵四ツ頃ヨリ次第ニ天気也終日終夜よ
し
○○明方両震あり
九月廿八日
今朝薄曇天なり四ツ頃ヨリ薄日なり夜ニ入薄空なり
○四ツ前に壱震あり
○○○日の内三震あり
○夜ニ入暮六つ過ニ壱震あり
○○夜ノ内ニ弐震あり
九月廿九日
今朝曇天也続て薄天気ニてまづ曇り日七ツ半過ヨリぼろ
〳〵幽雨遂ニ夜中続て降る近頃ニてノ大ふり也
○四ツ頃壱震あり
(中略)
○暮六つ半過ニ壱震あり
○宵ノ内ニ壱震あり
此節旱魃ニて沢山水絶し禅透院前ヨリ下清水堂ノ内へ
も不下堰水干切候是迄不覚事也
沢山水出口等白干ノケ所有之と也
九月晦日
従昨夜今朝迄雨ふる五ツ半過ゟ止て終日曇天北風あり夜
ニ入星空
○朝四ツ頃壱震あり
今度の雨ニて沢山水幽かに去り候也
十月朔日
三霜
地震ナシ
)
今朝幽かに霜気あり天気也併次第ニ夕方迄薄日斗也今日
始て地震なし三月廿四日ノ晩四ツ時ヨリ昨日四ツ時迄折
々不絶あり
当年ハ至て水払底にて搗挽不残□方へ持行候なり当辺ハ
水決して無之事其水車主手前搗挽に不自由之始末現ニ見
受居り候右程ニ候得共所により是迄水の不出仏崎の尾
根下タ或ハ高道抔ヘハ前々無之水田ノ中迄出候也地禄ノ
様子地震にてよりくるわし候事と被存候当村も東山辺ハ
甚敷水原(ママ)止り切候也又再び本トの姿に立帰り可申者歟前
代未聞の[為躰|ていたらく]也と迄思ひしに其時至り此十月廿日ノ宵過
ゟ忽雨と成廿一日ニもよれ雨少しニて水口本ノ姿也
三月廿四日ノ晩四ツ時ヨリ地震ヨリ始昼夜折々間断なし
九月晦日ノ朝四ツ時迄折々震す其日数小以百八拾四ケ日
なり向来ハイサ不知九月晦日迄ノ記筆前文通り也扨又弘
化四未ノ暦ノ[鼇頭|カウトウ]ニも一寸筆し置候此日迄ニ近来筆損し
多し去年頃ヨリ也老衰ノ故也
十月二日
地震ナシ
)
今朝幽か霜終日曇天にて日色なし北風終日甚し誠ニ大風
也夜ニ入星空宵過ニ風止ム震之義三月廿四日ノ晩四ツ時
ヨリ出し其以来折々止事無之前記ノ通り也然ニ此十月朔
日ヨリ止切候三月廿四日ヨリ九月晦日迄小以前筆通り百
八拾四ヶ日也
此後又追々不止ニて震し候事向ニアリ此百廿六丁ノ十一
月廿二日ニ又なし此朝初氷あり
地震止ミ候日ノ
事此処へ記〓
十月三日
今朝大霜也天気よし折々曇天し実に薄日也夜ニ入空はれ
たり
○地震之義此記九月晦日ニて止ミしに又今日八ツノ末ニ大
震壱度あり誠ニ大震なり
○○八ツヨリ向両震
○○夜ニ入両震
十月四日
今朝幽霜見ゆ夫ヨリ天気薄日夫々あり夜に入雨ノ気も少
し気斗りといふ程ニあり陽々気暖かなりし也
(中略)
当三月廿四日ノ晩四ツ時ノ地震ゟ諸方ノ地脈迄悉く変じ
切候当村等も其変数々ノケ所銘々筆し兼候得共水等も是
迄出来り候所出水ニ成り新ニ出候ケ所仏崎尾根崎道ノ[側|カタワラ]
を始とし釜土辺迄山際湿地と成り水涌出ノケ所多し当秋ハ水
ノ中ニて稲刈取ニ及候ヲ現ニミえ候坂木辺ニても是迄水乏しき所へ水出新
田等ニても出来可有之聞得也拙き風俗口に悦の余りにぢ
しんさまと唱る等と申ふらし候聞得おかしき事也当村に
ても東山辺ノ水口止り候異変前代未聞の事也山中辺等に
ハ目を驚かし候変地ノ沙汰有之候十万石死人怪我人数御
書上此卅八丁ニアリ
十月四日四ツ前とおもふ頃
○○二震誠に驚入程の大震也
○続て小ナル分壱ツ
小以テ三震也如何様奇怪ノ事也
少し過煙草一つふく不呑内ニ又小ナル分
○壱震あり
又煙草一ツ服呑ム程過キテ
○小き分壱震あり
又煙(ママ)一ツ服呑ミ切り不申程過ニ
○少き分壱震あり
夜ニ入候て
○○○震アリ
十月五日
今朝ハ従昨夜続て湿天五ツ前雨ノ気幽かにあり昼後ヨリ
天気也夜ニ入月よし
昼後七ツ頃
○壱震
○暮六ツ半過壱震
○○夜ニ入弐震アリ
鳴るハ夜ニ入三ツ斗り
此節水払底ニも沢山決して下流無之小路孫左衛門酒造用
ニ少々防キ(ママ)下し候分誠ニ牛ノ涎ほど其外ノ堰ハ白干ニ成
果候前代未聞の事也
田方稲刈世間共大方済我等方も今日済
十月六日
今朝大霜也上々天気也終日よし夜ニ入月鮮か也
○七ツ半過ニ壱震あり扨々此地震いつ止切候事也
○○暮六半前ニ両震アリ
又煙草壱服程有て
○壱震
夜の内度々鳴り候事
十月七日
今朝霜あり天気也夕方雨と成り夜半頃止テ星空
○朝早く六半過壱震ス
○○○夜ノ内両度ノ震アリ壱度ハ小ノ分也
十月八日
今日天気也終日上天気也
○今朝六ツ過ニ壱震あり
○今朝五ツ前ニ壱震アリ
○四ツ時壱震あり
○九ツ時壱震あり
(中略)
十月九日
今日昼前定めなき曇天様に北風あり昼後天気にて北風甚
し夜ニ入月夜也
○宵過に大震壱ケ度あり
十月十日
今朝幽霜ノ様に見ゆ天気也併朝ノ間早く曇色もあり四ツ
頃ヨリ天気ニ成り北風至て寒し夜ニ入風静か也
此節水乏く清水堂辺等ハ井戸水も甚不自由成ルケ所あり
といふ
今朝四ツ前ニ一鳴ス
水ノ事仏崎ヨリ釜迄ノ山際添ノ田ひどろに成りし方多し
向来長ク有之思も是が始也是地震のくるい故なり如何様
異変至極也当村斗りニも無之山際村ニハ右様ノ所多き此
近方の時節姿なり
□此夜地震地中ニ少ひゞきの気味斗りあらわニハなし
昨夜地震の気斗少しある
斗此所三月以来中堺也
十月十一日
今朝霜あり天気也北風寒し夜ニ入月鮮かなり
■昨夜地震の気なし
今日行掛り中河原金兵衛方ニて夕飯し帰宅ス折節善光寺
ノ□□先生来り居り候て昨夜ハ地震只其気味斗也と申候
地震之事当三月廿四日の晩四ツ時ゟ震り初其以来止ム事
なし九月晦日迄小以百八拾四ケ日の間昼夜ノ内是非有之
候然ニ十月朔日二日と止ミ又三日ヨリ又ヨリ初記筆如く
始末也
十月十二日
今朝大霜也天気よし夜ニ入月あり
此節普請役義桑原人足始として其セ話敷事前代未聞の事
共也戸隠山此程中ノ雨天拘り候節の事にや霜真白ニ見ゆ
○今七ツ半頃壱震す夜ニ入震なし
十月十三日
今朝霜なし薄空也終日曇天にて今ふらんといふ勢ひにて
終暮〳〵(ママ)也夜ニ入
今夜半過ニ
○大震一ヶ度あり
十月十四日
今朝霜なし薄天気七ツ前ヨリ上天気也夜ニ入月夜也
地震なし
十月十五日
雪印
)
今朝霜なし北山ハ南ミ山ン中迄雪ふる併□ノ内戸隠ハ残
テ其外ハ次第ニ消ゆ今日北風人ノ身骨ニ入テ寒し
地震なし
○十五日七ツ半過ニ一震アリ
十月十六日
今朝霜あり明前に山鳴也天気也北風寒し今晩岡地富弥方
へ振舞止宿ニて翌十七日ニ帰宅ス
○五ツ頃壱震ノ気味あり
○九ツ半頃壱震あり
(中略)
○○夜ノ内両度震ス
此節萱高値ニて野山萱□ニ壱駄気安くも四駄ゟ下タハな
きといふ是ハ馬付荷之事也□らハ小把ニスレハ弐駄掛ケ
也此節沢山水渇水也少々下り候分ハ小路孫左衛門方江渇
々行取河西堰ヘハ一向下り不申候堰ハ□に白干ニ相成り
候
十月十七日
今朝大霜也天気よし終日よし夜ニ入月あり
○暮六ツ時震ス
十月十八日
今朝大霜也終日天気よく夜ニ入月夜鮮か也
今日善光寺参詣之事
一番鶏前に出宅し赤坂の渡船にて夜ハ少し明ケ夫ヨリ市
村渡し場行着候所往来等ノ道もなく群参ノ人打続船場に
落重り船ノ際へより付候事中々以難叶迚も今日ハ乗船成
り申間敷勢ひ也長く其場差控候得共迚も難叶思切帰り候
人も過分有之候我等も其段ニ及可申歟とおもひ候所彼辺
に国役御普請ニ付小松原ノ者来り有之候我其外同志の参
詣人共に小市へ回り可申川ニ付上り候所前筆ニいふ小松
原ノ者心入深切を以普請用ノ船ニ乗せ渡し呉候其上船ヲ
下りして瀬々并細川多分有之所をハ我等を背負ふて吹上
口迄送り呉候誠ニ其深切不浅候酒料ニても可遣申候得共
請取不申尤最初大勢ノ分ハ惣人別ニて弐百文遣し候是ハ
悦ひ受納候て其外我を労り送り越し呉候分ハ決して請取
不申余り深切候条と難黙止せめて名ニても承り度尋候所
小松原ノ新左衛門と申者也と其年はい未タ三拾才ニ成る
不成人也是ニて其心□□受ニいたし分れ候扨々信切成る
事ども也夫より善光寺へ容易ニ行キ兼候群集也善光寺者
共是迄加様ノ大群参詣不覚前代未聞也といふ当三月廿四
日ノ晩四ツ頃ノ大地震ニて如来本堂安置成りかね大勧進
境内万善堂ノ辺へ仮殿取繕ひ候て今日正九ツを以本堂へ
御遷座也当春二王門を始数ニ□る夜□等も皆震
り明し此節ハ埓も始末も無之候善光寺町ハ震り潰し其上
火事ニて惣焼□残る所ハ本堂経堂山門大勧進境内斗り其
外ハ本願寺始皆焼失也其外委キ事ハ重て書記し可申候
大地震といふ書板木物買調候て見ルニ文盲の仕立ニて
其文字わかり不申候ハ多と□ハ絶といふ字ニ施ノ字等
を書候板本也取用ひ不申相成候
此日参詣し善光寺に止宿可有之旨ニて行き候ヘハ旅宿も
□順□無之手薄故□と東福寺治兵衛方迄行□止宿役□□
加候て十九日ニ□□候女房同断也良介女房ハ横田へ止宿
候我等丹波島ゟ暮切□漸治兵衛方へ着候
丹波島□□壱人分弁当無之百七十弐文□
船等も乗り沈め
候を見る也
○十八日ノ今夜壱震
十八日参詣の大群集善光寺開闢以来今日躰の義有之間敷
趣即善光寺ノ者共申合候煮売家等へ立入候ても何にも無
之事必至と一統ニ左様也善光寺者の不覚事と申には推□
□有之事也今日只其往来へ出候て善光寺の方へ向ツてだ
に有之候得ハいつとなく着候と申程の事也是承り候の何
の申事ニ無之我等現に其事に預り候也煮売屋等ノ口へ入
可申立寄候得ハ入ル事無用〳〵と向方ヨリ申断り候今日
位人の大見いたし候事何方ニも有之間敷人々口々に申合
候人死怪我人等も可有之身分也後来の事はしらず是迄ニ
ハ決して無之事也かゝる盛り所にて其意申唱る事見され
バ実事共不存事也如来ハ大勧進境内ノ御仮殿ヨリ本堂へ
御遷座也当三月廿四日ゟ今十八日迄日数〆
犀川今日弐タ船也其下タノ方ニ歩渡り出来候浅瀬ノ所あ
り船ノ所へ容易より付候事難し右今日ノ始末書也
弘化四丁未年
大地震
并山崩大火水押
人死田畑水押有増記
売本ノ写
弘化四丁未年三月廿四日当山如来開帳なかばの事故へ山
内并市中一統賑ひ夜分ハ万燈白日の如く繁昌の所同夜亥
の刻俄に大地震大雷の如く寺院并市中一度に震潰し闇夜
となり程なく数ケ所より出火大火と成り家毎ニ泣さけぶ
声天地にひゞき無難にてにげ出したる者ハ父母妻子兄弟
を助んと艱苦をなし火を消さんとする者も無之銘々野田
へ逃出唯忙然たる有様也近郷村々ヨリ親類縁者欠付潰れ
家の下にて未声あるを掘出し相助又火を防がんとなせ共
中々力に及ず火勢ます〳〵盛にして風ハ未申の方より吹
立如来御本堂既に危く見へ候所御屋根上三門の屋根上数
多の人影顕れ八方欠廻り飛火を防候が地震にもゆり潰れ
ず焼失も無之夜明ケても御屋根を見上グれバ数多ノ人壱
人も不見誠に不思議なる事ニ候松代様ゟ御防人数多勢御
召連御出役有之候六川御陳中よりも左之通り下後丁火先
ハ消口ニ相成候同夜命助り候者ハ不残野中に伏雨露にあ
たり地震ハ止ミ不申火気ハはげしく二日二タ夜焼誠ニ難
義歎敷事言語に絶へ候
一御山内ハ大本願上人様御境内諸堂不残衆徒廿壱院中衆十
五坊□戸十坊不残二王門御堂庭小間物店菊屋むしろ張の
見せ物小屋類三十余不残焼失別当大勧進様半潰れニ而残
ル経蔵鐘楼堂万善堂無難御本堂江毎夜通夜の旅人数百人
こもり候所同夜ハ別而多くこもり壱人も怪我無之無難ニ
て出る難有事也
一御寺領町家焼失之分大門町上下長野町西町上下西之門上
下あミた院町立町御門前御長屋桜小路あら町新町いせ町
横山小路岩石町東西横町岩石小路武井東町上下広小路花
や小路新小路鐘鋳(ママ)小路七ツ釜後丁上中権堂町并裏茶や町
外ニ河原崎横大門片拝是ハ非人共也
当時御如来様御仮家丑寅ノ方堀切と申野中に有之別当大
勧進三寺中并掛りの御役人守護有之無滞御開帳相済申候
一山内圧死住僧八人
衆徒ニ而三人
中衆ニ而五人
一市中圧死人弐千人余
一善光寺ゟ北国道筋地震揺潰れ候所々横山不残潰れ相之木
村潰れの上数十けん焼失押鐘村吉田村大半潰越後国関川
宿迄宿り之村々潰れ但し善光寺ゟ関川迄道法十里程之間
ニ候此通り筋之内吉シ(ママ)村と申所近辺之山抜ケ家人共ニ土
中ニ埋候越後高田半潰れ今町ハ三月廿四日より四度之地
震不残潰れ其上同月廿九日大風大火ニ而不残焼失ニ候
一善光寺ゟ飯山へ八里有之候此海道三方村石村浅の村半潰
れ村々ノ内大水ニ而田畑水損多く有之飯山様御城不残潰
れ平一面ニ地所壱丈余高ひくニ相成市中一面ニ高く浮あ
がり不残潰れ其上出火ニて残りなく焼ケ飯山地窪ニ而
折々水損有之所ニ候得共今度ハ平地一面ニ高く相成候故
水難ハ無之候得共死人数多有之候同所ゟ越後国谷通り
所々潰れ多く満水ニ而田畑水損新潟迄数ケ村有之凡道法
六十里ノ間大荒と申事ニ候
一三月廿四日ノ夜大地震犀川日々に減水
此後ノ所如何ニも字違或は麁末之取繕ひニ而写ニ相成不
申候善光寺者ノ不正被想朦(像カ)人より銭さへ取候ヘハ如何様
不正を取斗ひ候ても□る佗無之人情如何様の天災ニも逢
ひ可申仕方也依て書写止め申候誠ニ無情取斗是ニて諸事
被察候
松代御調方写
一御領内損高三万弐千八百五拾石
内田方壱万八十五石余
畑方弐万弐千七百廿石余
一民家潰七千六百七拾軒
内四十九けん 焼失
弐百けん 焼失之上湛水ニ入
六百けん 湛水ニ而浮出
三百けん 山ぬけ土中へ埋
六千五百廿けん潰れ
一圧死人弐千七百七拾人余治定難申立
内社家 壱人
僧 十人
男子 千弐百弐拾人余
女子 千五百四拾人余
但三百五拾人程 山ぬけ土中へ埋 死骸知不申候
一圧死□ハ拾人
内七十人 死骸知れ不申
一弊牛馬弐百六十七疋
内六疋死骸知れ□□候
今日ノ話
善光寺今日[位|クライ]人ノ大勢参り候事善光寺者も不覚と申合候
飲喰店ニて其用果し兼候決して立入候事無用〳〵と斗制
止断り申候其大勢共々本堂ノ所ニて右堂口見下し候ニ只
人ノ首斗打続て見得候渡船場等ニても跡ヨリ続て往来ノ
筋に聊の透キを見請不申候只むれ〳〵と来る也
十月十九日
今朝大霜にて天気よし併どんもりとして終日其段也夜ニ入
薄月夜也
○○○今夜三震あり
十月廿日
今朝霜なし天気ハむら也まづ曇天勝也此夜宵過ヨリ大雨ニ
成翌日も盛ニ有之候
○七ツ半頃壱震す
○○○廿日ノ夜三震内壱ツ別而大震ナリ
十月廿一日
水出渥印
初
従昨夜続て雨也今朝此近辺の地窪の地に大水溜り今昼少
し前ヨリ此辺前々ヨリ出し水口ノ場所水出初候上ノ滝口
水落初今日九ツ頃少々日影して間もなく又降る夜ニ入雨
なく北風誠ニあら〳〵しき事
○暮六ツ時壱震○○○
○○○
夜ノ内六震
当年犀川大変之事
弘化四未三月廿四日ノ晩四ツ時大地震より出し当国山中岩
倉村虚空蔵山犀川へより崩し水たゝひと成夫ヨリ上ノ方海
の如く成りし也然に同年四月十三日ノ晩押出し川中島前代
未聞の水難と成此事大方ハ承知候得共同年十月廿一日ニ岩
野村孫八ヨリ其巨細承り□□此水難が当大変の根元也
十月廿一日出ミヅ絶し候事此九十四丁ノ八月廿四日ノ丁ニアリ
出水目印
)
廿日ノ宵過ヨリ雨廿一日ニもはれ間少しにて終日也依之是
迄絶水の水口共俄出水誠ニ水中住居ノ所の如し何方も水に
水其出方甚し今廿一日ノ夜終夜北風不絶あら〳〵しき事也
今晩我等方振舞す中村久蔵聟并中河原官之介下向振舞清水堂
千八忰其外彼是十人余
我等方井戸水今十月廿二日ノ朝三尺ふへたり当年ハ春ゟ水
払底ノ所其上三月廿四日ノ晩四ツ頃地震始り其以来続て是
迄引続て出水口止候沢山水等も其水口白干ニ成り候ケ所多
く前代未聞の事也然ニ此十月廿日ノ宵過ヨリノ雨廿一日ニ
もはれま少ナにて終日ノ雨空也依て是迄絶水候ケ所悉く水
口共俄ニ水出誠ニ[沢|タク]山ニ成り水中住居の如し其段故何方も
水に水其出方甚し西河原等も雪しろ以来今度ノ水初て流下
也今度ノ渇水最中ニハ向後迚も本トの水姿ニ復し申間敷存
候所今日ノ分ニてハ本トの通りニ復し可申事也渇水始ハ此
弐丁ノ通り去年ノ六月廿日頃なりそれヨリ此方今日躰ニ成
り候事前筆之通り也
十月廿二日
今日ハ雨後の事故湿天にて曇天勝也北風終日あり廿日ノ宵
過ノ雨にて昨日もはれま少く今日とても只ふらぬといふ斗
り天気といふ姿なり夜ニ入空ハ薄空也
今夕我等方講念仏会勤候
此日ノ分甚敷上響過ニてハ小屋を取繕ふとし春方ノ分ハ
小屋掛□今度ハ懸候と也
良八家当未ニテ廿七ヶ年也其作りし年ハ酒壱升五分ツゝ
籾が六十表也といふ廿七ケ年めに不図変更して戸ヲ〆空
居とす
先月廿三日良八病死す
今七ツ時右同人女房死去候三十郎実ノ姉也廿三日ニ出棺也
○今廿二日明ケ前ニ壱震
今廿二日夕方迄ニ○○○○四震ス
今廿二日ノ夜ノ内に六度
○○○○○○此前後并間々小ゆるぎ響等ノ震気は夜中の
事也
仏崎下ノ用水壱丁田ヨリ出候往来通りへ付堀相直し候ハ
今目が始也是迄ハ神田町ノ頭へ付候様の程也当名主
ヲカモリ□久米右衛門 近藤
□ 中ムラ北□紋蔵 稲玉
十月廿三日
今朝霜なし天気よし折々薄日もあり暖気春の如し
○明六ツ半過壱震あり
○四ツ前ニ又壱震あり
○八ツ半又壱震あり
○○七ツ半前ニ両震アリ
○夜ニ入壱震あり
十月廿四日
今朝霜なし天気也終日穏かにして大によし今日昼前迄ニ
水ノ出口必至と絶切候て今度ノ水以前の如し夜ニ入雨空
也
(
○○今朝両震あり
大也
○○七ツ半過ヨリ暮六ツ迄に両震り
○○夜ニ入両度あり
十月廿五日
今朝雨空也次第に渋ぶく天気也夕方迄其段也宵に雨深更
ニ及ひ雨はれ天気也
○五ツ前に壱震アリ
○少し過ニ又壱震アリ
○四ツ前ニ又壱震アリ
○八ツ下りニ又大震あり
○○夜ニ入弐震あり
十月廿六日
今朝湿天也次第ニ天気也併曇天交りノ天気也夜ニ入薄天
気也
当冬ノ暖気春の如し我等方のつばきなど咲候
○四ツ前ニ壱震ノ気味あり
○四ツ半過ニ壱震あり
○九ツ前ニ又壱震あり
○○夜ニ入二ツ
十月廿七日
初雪目印
)
今朝屋根へ薄雪見ゆ当年之初雪也天気よし夜ニ入星なし
宵過ヨリ大雨なり我等屋敷諸方共水多出る也
○明六半過ニ壱震
○暮六ツ前ニ壱震
○夜ニ入壱震
十月廿八日
水多印
)
湿天幽かに雨ノ気折々あり後にハ雪と成ル屋上に真白ニ
所々ニ積ル
○六ツ半過ニ壱震あり
○○夜ニ入弐震あり
昨廿七日ノ夜の大雨にて出水多く相成り候て此近辺水多
し誠に水源多し当村水車等も漸自由也
十月廿九日
今朝昨夕方ノ雪にて屋上真白にむら積りす今日曇天勝チ
□天気なし雪ハ一面ならす忽消ゆ
(中略)
○○今朝六ツ半ヨリ五ツ過迄に弐震アリ
○今夜壱震あり
十月晦日
今日曇天ながら天気也夜ニ入星空也
○今夜壱震あり
此節籾拾両ニ□六表といふ
小麦両ニ壱石壱斗といふ
十月廿七日ノ雨ヨリ此辺水原太りしが次第ニ減じ今日頃
止切候多くあり候
十一月朔日
今日大天気也朝ハ大霜あり終日天気よく暖気春の如し
地震目印
○今昼前ニ壱震アリ
○○○○○○○○今夜八震あり誠に大騒成ル事なり
十一月二日
今朝大霜也終日天気也夜ニ入星空なり 此節越後やね屋
等ニ承り候所越後も地震大ニより候といふ
○○今朝五ツニ不相成内ニ両度アリ
○○夜ニ入両度震なり
十一月三日
今朝なく雨今ふらん空色也終其(ママ)段ニて日光なし
○四ツ時壱震あり
○○夜ノ内両震あり
暖気春の如し
十一月四日
霜なし天気也七ツ半過ヨリ薄空也終夜渋く雨気あり
○五ツ半時壱震
○夜ノ内ニ壱震
十一月五日
今朝湿天也終日折々其段也
○四ツ前ニ壱震あり
○夜ニ入壱震あり
当年ハ暖気ニて椿等も諸方共ニ咲候
十一月六日
今朝湿天なり近来暖か成る事春の如し終日むら天気ニて
明に成日景なし夜ニ入うす空
(
此節籾拾両ニ廿六表
善光寺ニて大豆壱石八斗五升詣方共ニ押流し跡へ大豆仕
斗り故へ也
殊其豆豊作也
○○夜ニ入両震アリ
十一月七日
今朝薄霜也折々むら天気ニて日色少なし其交ヒにハ雪ふ
る今夕薄月夜也
○○今朝四ツ前ノ内弐震
○八ツ半下りニ壱震アリ
○暮六過ニ壱震あり
○夜ノ内に壱震あり
十一月八日
今朝曇天朝ノ間雪ふる然共積雪ならすして済終日含日曇
天也夜ニ入月
○○○○昼夜へかけて四震す
十一月九日
今朝大霜也天気也夜ニ入よし
十一月十日
今朝大霜むら天気也昼ノ八ツ頃少し日あり
○壱震す
○○○夜ノ内三震アリ
夜ニ入雨と成る夜中頃ヨリ雪と成ル
今日ヨリ八幡の[踟|ネリ]祭古来ヨリ止ムの延るのといふ事なし
然るニ当年ハ聊の諸集りも此大変年故雨宮神事も太皷一
ツの音もなく相止候尤御上ゟ被下物ハ被下候得共集りハ
不被仰付右躰之手続成変事故ねり祭りも無之事ニ候誠ニ
前代未聞の変年也未戌の話ニ可相成事也其故ハ此前記ニ
可見事也
大雪印
十一月十一日
今朝山里一面の大雪なり昨夜ノ雨ノ終りの始末柄也
当年是迄ハ山里春の様也今日ゟ急ニ冬の気色也
(
神事并ねり祭り止御目印
是前代未聞の事也
今終日雪か雨歟是非ふり気聢と不止空気色也
○夜ノ内ニ壱震アリ
十一月十二日
今日も曇天気なり雪ふり雨ふるといふ様ニ幽かなるもあ
り四ツ過ヨリ変り天気也
下戸倉杭瀬下ニて私寄進ニ少し出し候と也
○九ツ時壱震アリ
○○昼後二震アリ
○夜ノ内ニアリ
十一月十三日
今朝大霜也天気よし夜ニ入月あり
○夜ニ入壱震アリ
十一月十四日
今朝薄霜也天気よし并むら天気也夜ニ入月あり
○夕七つ半過ニ一震あり
○夜ノ内に一震あり
十一月十五日
今朝薄霜あり天気なり次第にむら天気と成り
○朝ノ内壱震あり
夜ニ入
○○○夜半過三度ノ大震其間小ひゞ(ママ)沢山に有之候
十一月十六日
霜あり天気也中位成天気也暖か成る事春の如し夜ニ入月
夜也
○五ツ前ニ壱震あり
○五ツ頃壱震あり
○七ツ前ニ壱震あり
○七ツ前同時に又壱震あり
○○七ツ半過ニ又弐震あり
○夜ノ内壱震アリ
十一月十七日
今朝霜なしむら天気なり七ツ頃ヨリ又曇天也暖かハ春の
如し夜の内雪降り出翌朝迄ニむら積諸方白々と積り候
○明方ニ壱震ス
○九ツ時壱震あり
○夜ノ内壱震あり
十一月十八日
今朝も雪ふり候終日雪折々ふる夕方別而ふる
○暮六ツ頃大震壱ツ
○宵ノ内ニ壱震す
(中略)
十一月十九日
昼前不正ノ天気也昼後ハよし夜ニ入星空なり今朝初て地
肌しみ(凍)たり終天気ニて夜ハ星空也
○夕七ツ頃壱震あり
○暮六ツ時壱震あり
○夜ノ内壱震して一鳴あり
十一月廿日
今朝寒気昨日ノ如し昼前ハ不正天気昼後ハよし
○早朝に壱震あり
○夕七ツ半過ニ小壱震あり
煙草半服不吸内ニ
(○又壱震アリ大也
○夕六ツ半過ニ壱震
○○夜ニ入弐震あり
右の外ニ鳴あり
十一月廿一日
今朝も少し寒気有之地しミたり天気よし七ツ半頃ヨリ薄
含ミ日也夜ニ入終夜大雨也翌廿二日ノ朝屋敷辺水大ニ出
候
元治ヨリ新酒来ル三合斗り
今日九ツ時少し間ヲ於てドヲンと両度鳴ル□□廿日ヨリ鳴り印
宵ノ口両度□□鳴り印音ありし斗り也
十一月廿二日
震なし
従昨夜今以雨天なり近キ水口多く出る也今日ハ南風はけ
しく雨あり雨止ムといひ(え)共降り方不止南風弥々はけし薄
空終夜也此夜震なし三月廿四日ノ夜ヨリ是迄震なかりし
ハ十月朔日二日今夜ニて三ケ度也震なし
夜とハ致し候得共昼夜の事なり
十一月廿三日
今朝しミうすし天気也七ツ過ニ薄曇天也夜ニ入清夜也
○今朝五ツ頃壱ケ度あり
○夕七ツ前に壱震あり
□今日八ツ頃一鳴りあり
○○夜ノ内弐震あり
十一月廿四日
今朝中位の寒気也終日天気ニて夕方□□□夜ニ入星空
○○今明方弐震あり
○今五ツ頃大震壱度あり
○今五ツ半頃壱震あり
○○○日ノ内三震あり
○○暮六ツ過弐震
○○夜ノ内ニ両度也
十一月廿五日
今朝中寒じにて天気よし夜ニ入候ても青天なり
○今朝五半頃壱震ス
○暮六ツ前ニ壱震ス
○○夜ノ内両震あり
十一月廿六日
今朝薄寒じ也今日ハ少し日色せし斗七ツ半過ヨリ雨と成
ル夜ニ入雨止
此記ニ折々文字麁雑ノ書方あり是ハ老屈ノ余りニ書始候
ても其終り調兼候程臆ぢなくなり候
○明方ニ壱震あり
○暮六ツ前ニ壱震あり
○○○○○夜ノ内五震有之候
十一月廿七日
今朝湿天也不正之天気也兎角不正勝也夜ニ入はれたり
○昼九ツ時大震す
○夕七ツ時壱震す
○○夜ノ内ニ両度震ス
十一月廿八日
寒うすし天気なり夜ニ入同断也
○夜ノ内ニ壱震あり
十一月廿九日
今朝も寒気うすし天気なり明日ハ寒入なり夜ニ入星空也
○暮六ツ半過ニ一震ス
(
○○○○
○○○○
夜ノ内に八震あり
十二月朔日
今日寒入候今日天気也夜ニ入候ても星空
○○夜明に弐震あり
○朝五ツ頃壱震あり
○○夜ノ内両震あり
十二月二日
今朝も寒気なし実ハ春気位也終日終夜共ニ天気也
○明方に壱震ス
○○○○○夜ノ内ニ五震あり
シミ印
十二月三日
今朝寒気昨朝位也併筆しミたり当冬ノ初テ也
○○○○○今朝明方ゟ五震
○又同時ニアリ
○又壱震アリ
○八ツ過に壱震あり
○○○○夜ノ内に四震内壱ツ小サシ
雪印
十二月四日
今朝寒気昨朝ノ位也終日薄日なり夜ニ入雪ふり地上白
く成候
○七ツ半過ニ壱震ス
○夜ニ入壱震す
震事三月廿四日ノ晩四ツ時より始として十月朔日二日ニ
昼夜震なく十一月廿二日は震も鳴もなし折其丁ニ当ツて
可見也それニ続て今晩なし三月廿四日ノ晩四ツ時ヨリ今
□□迄ニ三ケ度なり今ばんにて四ケ度也
十二月五日
(
震なし印
今雪ふり跡曇天也寒気うすし昼後日なり夜ニ入薄空もあ
り折々はけし事もあり併まつうす空勝チ也明ケ前ニ雪ち
ら〳〵夜中震なし十月朔日二日になし十月朔日二日ニハ
震なし其まゝ今晩
十二月六日
今ニ不正勝ノ天気ニて日あり大ニ寒し夜ニ入月光あり翌
七日ノ朝庭薄紙程ノ雪あり
○明六ツ半過ニ震壱ツ
○○夜ニ入弐震あり
十二月七日
今朝庭ニ薄紙程の雪あり終日天気なれ共終日堪兼候程寒
さ也夜ニ入はれ也
○○夜両震アリ
十二月八日
震なし印
今朝ハ始て大寒じ茶ノ間水桶氷ル例年通り本ン寒じ今
朝硯水初テ氷ル今年ノ初なり今日天気ハよし併寒し夜
ニ入星空也
□今晩震なく只一声の鳴り斗り
十二月九日
今朝ハ昨日ヨリ少寒気ゆるし天気よし七ツ頃ヨリ雪降る
然処暮六ツ頃ヨリ止ミ夜ニ入薄空なり
○朝五ツ頃壱震あり
○夜の内も一震あり
(中略)
十二月十日
朝ノ間定なき空九ツ頃ヨリはれ也夜ニ入薄曇天にて終夜
也
○今朝明ケ過ニ壱震アリ
○今夜壱震あり
十二月十一日
今朝雪夜ノ内ヨリちら〳〵終日折々雪ちら〳〵夜ノ内に
壱寸余りノ雪積る
○今朝六ツ半過ニ壱震
○○五ツ前に壱震
□九ツ過ニ鳴壱ヶ度
○今夜[中|チウ]に壱震あり
十二月十二日
今日天気也夜ニ入同断
○暮六ツ前壱震あり
○夜ニ入壱震あり
十二月十三日
今朝ハ左程ノ寒気ニハ無之候日ハむら日ニて寒し七ツ頃
ヨリ雪ちら〳〵七ツ半過迄ふり候夜に入月光
○暮六ツ頃壱震す
十二月十四日
終日天気夜ニ入月あり
○○終日に弐震あり
○○○終夜三震あり
(中略)
弘化四未ノ今年当村
名主
岡森
久米右衛門
近藤
中村
紋蔵
稲玉
組頭
清水堂
栄左衛門 島田
小路
米八 久保
長百姓
岡地
頼之介 岡田
天狗町
源之丞 宮尾
今日当村六役人羽織御免被仰付是ハ当村ニて是迄地震或
ハ変事等之刻壱百弐百等と手充出金上納し置候分何とか
御沙汰可有之埓義ノ分村方内許之上それを差上ルと決し
て其替り役人羽織御免を預り方可然と成候依之其段ニ相
願叶候義也
其外頭立四人羽織御免也是当村役人羽織御免ノ最初此節
也今日其人々ノ是迄心懸之次第ニ応じ盃扇子村方ハ人足
等之出増し等御労りとして酒五升被下置候と也
十二月十五日
今日天気也夜ニ入同断ニて月鮮か也
○八ツ時壱震ス
今夜
震なし
今夜惣して震なし当三月廿四日ノ晩ヨリ十月朔日二
日此百廿六丁ノ十一月廿二日ノ晩震なし夫ヨリ今晩
なし三月廿四日ゟ今ばんニて日数ハ□□□ノ事也
今日両役元岡森粂右衛門方ニ二ツ割有之罷越候当春
ヨリ地震ニ付当村等ニても其人々之分ニ応じ出金或ハ人
足等差出し候其向々ニ応じ此十三日ニ御蔵江被召出候て
其御沙汰ニ御預り候其披露有之
村方ニて差出候金子差上切ニ申立其代り六役人羽折御免
ニ被下置候其御書付左ニ
森村
[重|ヲモ]立候者共
先般大地震ニ付。(ママ)御救方御用途。之内江差上方申立。一
段之事ニ付毎年。役前相勤候六人。之者共役中羽織着用
差免之者也
十二月十三日
右之通半切之紙ニて被下候其一ト行〳〵
○印を付候ハ我等付候
森村役人羽織御免ト申ハ時ヨリ(此、欠カ)也後々其段ニ承知可有之
候
壱分上納ヨリ御書付
森村
唯七郎
先般変災之節寄持之儀有之付御扇子弐本被下之もの也
十二月十三日
(後略)