[未校訂](黒田文書綱領 一)
○同年七月二日 京都大地震 二条家へ金三百両合力寄附
京都大地震ニ付、二条家より松波雅楽頭左の覚書持参
当七月初旬京都大地震にて此御方御構えを始め御殿向き御
破損莫大の御儀、殊に左府様御居間向き、御屋根御破損甚
だしく、その余中納言中将様御始め、君々御方向き御破損
は申すまでもこれなく、その上裏方寝殿式正の御間向き、
玄関等破損数ケ所、且御菩提所二尊院破損殊ニ甚だしく、
御代々御廟所すべて顚倒致し候。右等の御場所暫時も置差
かれがたき所にこれあり候処、何分御手当容易ならず甚だ
御心痛思召られ候。右については千両御助成の儀、先だっ
て御願仰せ進められ候処、其御方様にも御勝手向必至と御
差しつかえの上一昨年両度の天災に付、いよいよ以て御難
渋の御時節柄につき、重畳打返し御取調べ等も仰せつけら
れ候えども何分思召しまかさせられず、やむをえざる事御
助成の義御断り仰せ進められ候旨、則申上げ候処、御よん
どころなき御趣意ともに委細御承知なされ候。右について
は、彼是御配慮の御事御気の毒に思召し候。此の段よろし
く御演達に及ぶ旨仰せつけられ候。右表方ニては厳しく御
倹約中につき、御助成候処斉清夫人徳君にもつぶさに承知
に相成り、内分の取計いを以て当用を省き内々にて金三百
両御助成相成り候御挨拶仰せ進められ候。五条殿よりも二
条家同様京都大地震につき破損所数ケ所これあるに付、御
助成の義申向きこれあり、然るに財用操り必至と差しつか
え省略倹約中につきやむをえず御断りに相成る
(年暦算)
○天保元年七月二日より京都大地震、家数数万軒倒れ申し候。
死人数知れずとあり。九月十六日地震又大にゆる禁中の事
は秘して沙汰なし。京中の人は、先月二日より五日迄は日
岡山に遁れ候。此の所より洛中殿舎、町家を見るに、ただ
入海の波の如しと云う。八十年来の大地震