[未校訂]当文政十三庚寅年七月二日申之上尅京都大地震動せる事弐度
其後時々刻々鳴動不止依之上は恐多くも 禁裏御所を初奉り
下万民の恒生の住家ニ至る迄大小となくゆり倒今や世界のく
つかへらんかと魂をとられ肝を冷し皆地に伏畳に伏柱を抱へ
児女の泣叫ふ声誠に地獄も斯やとおそろしき中には家土蔵と
も崩れ死人怪家人数多有て医師の東西へ馳る様いかゝ成行世
の中やと安き心は更になし漸少し志づまりて互に顔を見合ツ
ツ先無事成を祝しぬされとも始終鳴動不止貴賤上下押なへて
皆顔色替り一人として生る心地はなかりけり二条御城北追手
御門際より西の方石垣凡三四十間斗も崩れ四方塀は言不及御
本丸皇御固屋所司代町奉行所を初御役屋敷の数々何れも大破
損ニ及其外洛中洛外爰彼所五軒拾軒ツゝ倒れし所夥敷有伏見
海道筋藤の森辺迄凡六七軒斗も倒れし中にも仏光寺西洞院成
菅大臣(ママ)境内家数七八軒将棋たおしに崩しが其中に母子弐人居
ける有てそれ地震よ大道出よと叫びツゝ母一人迯出しが其子
続ひて迯出んとするに早家倒れけれは母は狂気の如くあれ助
てよ人々と狂ひ叫べと詮方なく斯押にうたれぬれば迚も生替
べくもあらずとやセん角やと評義まち〳〵なり折節彼崩れた
る家の天まどよりむく〳〵と飛出今に無難にありしハ誠に天
道神仏の御加護に申と皆人竒意の思ひをなセり夫に引替寺町
草堂前成是も同し様ニ七八軒斗倒れしが其内親子三人有て押
ニ打れよゝと泣叫へども斯る騒動なれは誰壱人しる者なく由
時移りて泣声を聞時いかにもして助んと色々すれ共何分家に
家を重たればたやすく助け難く時日移りて漸掘出し見れば早
三人共事きれたり斯る非業の死をなすもの所々に有由聞伝へ
ぬれど先荒増を記す大仏耳塚も崩れ落殊に名高き大石を以て
造りし石垣二ツ迄ゆり出し大道ころび出し事神変不思儀の事
共也扨又二日夜に入ても震動更に不止又もやいかなる事あら
んと皆々大道にて夜を明さんと貴賤上下の隔なく大道小板或
は畳を敷て終夜守りいるにいまだ夕飯食せざる者多く次第に
空腹也ヶれ共只胸さわぎして中々食物のんどを通らすされ共
漸して握飯抔一ツ二ツ食して薄命をつなぎぬ井の水は皆濁り
て呑事不能誠に餓鬼道の如くなり又大道ニ而ハ瓦の落来らん
事を恐れ四方の野辺川原或は寺々の藪抔へ老人病人子供の手
を引連食物着替等の用意して迯行も有田畑の造りの中をもい
とはずふミ荒し百姓等立服して追払ハんとすれど斯る騒動の
折柄と云殊に多勢なれは更に聞入れず詮方つきて其儘に捨置
ぬ 二条御城馬場平常酉之刻よりハ一人も夜行不被許厳敷所
なれ共此夜大勢逃行て所せましと押合有様其外大仏正面抔只
広き場所にハ席を争ひ群集なす斯する事凡五日頃迄毎日毎夜
の事にて京中家業なすもの一人もなく盆前ニ成ても只管に夢
みる心地ニ而亡然(ママ)と暮す折節に今夜何時かは大火事よ或は何
時かハ又大地震よ抔悪説を云ふらし門戸のしまり悪敷皆大道
へ出たれハ空家を考へ夜盗火付抔忍ひ込み横町よ裏町と銘物
得物を携へ馳違ふ有様乱世を目前に見る心地して児女抔ハ泣
叫ひ毎夜〳〵其騒動大方ならす斯る悪敷を云ふらすもの全く
公辺御窂屋敷大破ニて窂抜いたせし罪人有由此悪党等が所為
ならんか尤にくむべき事也公儀よりは悪説を云ふらす者あら
ハ早速召捕へき旨御触有て厳敷御政道有しが程経て少し静ま
りぬ 東西本願寺御門主も御白洲へ出御有て開山之御像并御
打物取出し四方ニ幕打廻し夜も白昼の如く燈をてらし終夜守
護し給ふ爰に又不思儀成事多き中に東寺大塔の宝鐸ゆり落て
屋上の空輪にかゝり其唱音鳥羽辺迄も聞へし又北野石鳥居柱
根元にて筋違になれ倒れずして今ニ其儘立有事又祇園石大鳥
居其節誠に団扇を以てあふぐ如く成しが誠に無難ニ而今ニ別
条なし其外石燈籠の其儘ニて横向に成し抔色々数多有共先其
一二を記す嵯峨愛岩山坂の水茶屋悉く崩れ或は大地われて是
又死人怪我人数多有又懐胎女の此地震に驚き大道又野藪抔ニ
て安産し又八ツ月九ツ月にて出産するも数多有斯て日数立ぬ
れと更鳴動不止漸して七月も半立て十八日卯刻ゟ大雨しきり
にて雷鳴轟キ山科御廟野辺大津迄一面海の如く逢坂山崩れ且
又東山清水寺山崩れして回廊微塵と成音羽川水溢れて伏見海
道辺五条より下ニてハ床の上壱尺斗も上り皆二階住居とし鴨
川桂川は云ニ不及宇治川洪水ニ而宇治橋流れ落伏見豊後橋に
かゝる此大雨にて先達而の地震ニ崩れ残りし家土蔵塀石垣之
類此頃に至り思ひかけなく倒れ是が為に落命するもの又数多
有斯る折しも鳴動時々刻々に尚不止して地震雷出火水盗賊と
取まぜて京都の騒動大方ならす誠に前代未聞の大変にて中々
筆紙に尽し難く先大略如斯余は是にて賢察し玉へと爾云 穴
賢々々
ふみまつりこと
とらの初□ 恐怖停主人証
今晦日に至りぬれど尚時々刻々小鳴動不止