[未校訂]京都大地震
文政十三庚寅七月二日申の時はかりに大に地震ひ出て、夥敷
震動しけれバ、洛中の土蔵築地抔大にいたミ崩家居もあり、
土蔵之潰レハ数多有、築地・高塀抔ハ大かた倒れ、怪我せし
人も数多なり、昔ハ有之候哉と相伝候へ共都之土地はかくは
げしきハなかりけれバ人々驚おそれてみな〳〵家を走り出て
大路に敷ものしき仮の宿りを何くれといとなみ二三日ほどハ
家の内に寝る人なく、或ハ大寺の境内に座り、或ハ洛外の川
原へか(カ)つり西成野辺につどひて夜を明ける、かくて三日四日
過ても尚其名残の小さき震ひ時々ありて、はしめハ昼夜に二
十度も有しか次第に鎮りて七八度斗、三四度ニ成事も有、然
れ共けふ既に廿日あまりを経ぬれどなほ折々すこしツゝの震
ひもやまて皆人々のまどひ恐るゝことなり、世の諺に地震ハ
はしめきびしく、大風ハ中程強く、雷ハ末ほど甚しといへる
事をもて、はしめの程の大震ハなきことゝさとしぬれとなほ
婦女小児のたぐひハ如何とあんしやづらひて、いかにや〳〵
と尋ねとふ人のさはなれハ、旧記をしるして大震の後小震あ
りて止ざるためしなきを挙て人の心をやすくせんと左にしる
し侍る
上古より地震のありし事国史に見えたる限りハ類聚国史一百
七十一の巻、災異の部に挙て[詳|ツマビラカ]なり
三代実録仁和三年秋七月二日癸酉、夜地震中略六日丁丑[虹|ニシ]
[降|クタレ]東宮其尾[竟|ツク]天虹入[内蔵寮|クラレウ]中略
是夜地震中略卅日辛丑申時地大震動、経歴数尅震猶不止、
天皇出[仁寿|ニンジユ]殿[御|ヲ][紫|スミシ]宮殿[南庭命|ナンテイナイメ][大蔵省|オホクラショウ]立七丈[幄|ノヤク]ニ為御在所
諸司舎屋及東西京盧舎往々[顚覆圧|テンフクエシ][♠|サツヤル]者衆或有[矢神頓|ココロマドヒト]死ス
ル者亥時亦[震|フルフ]員々度五畿内七道諸国同日大震、[官舎|クワンシャ]多[損海|ソンジカイ]
[潮漲|テウミナキ][陸|リク][溺|タヽヨイ]死[者|スル]不可[勝|アケテ][計|カソフ]、中略八月四日乙巳地震五六度
是日[達智|タツチ]門上有気如[煙|テケフリ]非煙如虹飛上
[属|ツケリ]