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項目 内容
ID J2206501
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1858/04/09
和暦 安政五年二月二十六日
綱文 安政五年二月二十六日(一八五八・四・九)〔飛驒・越中・越前〕
書名 〔御用留〕○長野県大町市常盤清水利和家文書
本文
[未校訂]一二月廿五日晩八ッ時頃大地震村々之もの不残庭へ出候程松
本抔同様乍併家居潰候程之事ハ無之追々噂承及候へハ越中
加貿辺□□(ムシ)強く金沢御城などいたみ越中ニ而も魚津なめり
川など余程家居も潰候よし善光寺いなり山なども強家居等
いたミ候様ニ承り申候只風聞而已
一二月廿五日晩大地震ニ而引続昼夜共ニ何度と申処無之小地
震有之乍去格別之義も無之故追々ハ相止ミ可申事と存罷在
候処昨三月十日昼四ッ時頃殊之外大地震ニ而当村内ニ而も
土蔵壁落或は墓所の石碑倒れ大町抔ニ而は天井落家居も両
三軒も潰日差差(ママ)等ハ多分落酒造家ニ而ハ酒ゆりこぼし尤松
崎ニ而ハ拾石余も溢レ候よし猶亦其昼頃其夕方頃都合三度
之地震□□別大きく空(カ)中庭江飛出申候其外地震之数ハ何程
と無数知れす空中何所とも無く唱(ママ)り動き舟に乗りてゆくこ
とならす婦人子供ハ庭住居ニ罷有候十日夜ハ小家掛ニ而庭
江出夜明時不相替空中ゆり動き申候十一日朝又々承り候へ
ハ高橋氏(カ)ニ而も昨夕方之地震ニ而酒拾石余もゆり溢レ都合
ニ而は二三拾石も損分之よし勿論夕方之地震ニ而も所々損
事多く戸障子損事候由又南(カ)辺ハ思之外少く下郷ゟ御用伝馬
等参り候ニ承り候所此辺ゟ少□く損事所等一向無之由且十
一日朝ゟ雨降り出し然共地震ハ不相替度々ゆり動き申候
越中国当三月大地震ニ而山崩等風聞
越中常願川富山之二り余此方大川ニ而水橋と言所ニ而海中へ
落也川上は立山ゟ出ルと言う右川当二月廿五日夜之大地震ニ
而川上崩水たゝへ候処三月十日之地震ニて右之処押切川下田
畑家居不残流失凡加州様御持之内拾弐三石荒地ニ相成富山様
御領之内壱(カ)万石計同様ニ而人馬流死多分有之候由承り申候飛
州之内茂右之砌地震家居潰候処余程有之由糸取りニ参り候婦
人共之噂ニ候
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 1064
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 大町【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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