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項目 内容
ID J2205998
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔願性寺過去帳〕○京都府岩ケ鼻
本文
[未校訂]嘉永七甲寅之部
(前略) 地震詳 伊勢地震殊に四日一(市)申処大変家大分に崩れ
死人数多し瀬(膳所カ)々の城崩れ候より又異国舟来□と誠にさわがし
く七月三日迄の記時候順にゆき併に雲ましにあれども昨年の
炎天に依て先よろし、六月二十六日土用入半は雨まししかれ
ども大雨なくして雨をう(得カ)し后半は天気よし、十四日土用済其
後雨は夕立大雨雷落処々にあり、加悦辺は与謝よりユワガハ
ナまでに七十余も雷落候よし、其中人壱人馬壱匹死上方も処
々に雷難あり候よしいづれ炎年の翌年は厄もあることか地震
様も番附極して大群、伊賀の上野は城中町皆崩れ二番は四日
一と申し扨大雨少々下旬迄それに付少々人気だち新年大に後
ゆへにさわりなし、却て豊作やま(病)いけ(気断)たへよろしと申て田の
しろめ六ケ敷につき植付時分おくれながら植付す、前年のひ
やけばほどでき至つてようし、後人可心得
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 946
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 京都
市区町村 宮津【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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