[未校訂](地震と津波)輪島には津波があった。そして小規模のもの
なら数回発生している。こう書くと驚かれるであろうが、そ
れについての生々しい記録をここに掲げよう。
天保四年十月下旬輪島津波の事を聞くに、昼七ツ時頃大な
る地震ありて、七ツ時過、磯端波引事凡そ十町許、輪島沖
に大蛇石という岩あり、舟方通い路に障る所、此岩を知っ
て舟を廻らすこと第一とする由。波引去と彼岩大蛇の如く
あらわれ、其他異形の岩石常に見なれず模様、且波引た
る跡、墨を流せし如く黒く見えたり。すは津波ならんと人
々呼びさそい走る内、はや波一枚来り、両町とも床の上へ
上る。弥驚き走る内、又一枚同断の波来る。第三枚の波高
き事山の如く、磯にあるてんとと唱る舟(六、七〇石積の
由)人を乗せながら両町の間の橋の上を三間計高くゆらゆ
ら越え、南田圃へぞ(当町海は北にあり)打揚る。其内又
舟をのせて元の磯へ行きしもあい乗りたる人恙なし。橋も
反圃へ打揚たりと云う。此一枚の波にて、河合、鳳至の両
町にて家引取らるる事三〇〇軒。欲にまよいし人、或は老
人、産婦等都て走り後れたるもの死人百余人とぞ、庄屋の
何某今も身の毛のよだつとぞ噺けり。実に稀有の事也。此
段海浜の人は心得置くべき事なり(続能登路の旅)
この時河井浜通りの家々は一瞬にして流され、本町も一尺位
浸水したとある。その他に、これほどの被害はなくとも、小
規模な津波があった事は年表の示す通りである。
地震も相当大きなものはあったが、そのために命を失ったり
した事例は見当たらない。別に昭和五年以降にあった震度二
以上の地震を抽出して掲げる。この記録にはのらないが浅間
山の噴火が、町では大砲を遠くで打ったような地ひびきと共
に聞えたことが数回指摘されていた。
註、この節の記述は、金沢大学金崎肇講師の指導に基
づく、米田昭二郎氏の研究の帰結であることを附記
しておく。