[未校訂]十一月はしめ我長岡の東北椿沢村念覚寺一向宗にあそひ十二
日ハ朝とく起出て仏間にツゝける一室に画事をなしてゐたる
に僅に震動すとおほえしに忽ち堂舎倒れて其下になる我ゐた
りしとこ左の天井身体の上に落かゝれとひくとはならて身に
さハらぬハ打おとろけるまてにて怪我することハなしはしめ
ほとハなにの故とハしらねと此地山の尾の上なれハ地さけて
寺陥りしことゝ思ひとく其闇黒中を遁れんと少のあかりを目
あてにはえまハり辛く庭下にのかれ出てあるしの僧のゆく衛
をさかし互に恙なきをよろこひさてあたりの農家を見るに皆
倒れ世上一体の此時はしめて此里はかりの難ならて近き里
〳〵ニテモ目に及ふかきり皆同し地震のわさなるとしりぬさ
らハおのかすめる地ハいかゝあらんこと妻子のことなとあん
しわつらひ頓に主僧にいとまを乞蓑ひとつを得て家にかへら
むとせる途中通路の里の家〳〵何れといはす皆倒れ天窓潰れ
テはらわた洩れ出手足のをれし人の屍なと所々役所にさらし
おきて傍に居れる男女うらみかこつあり□ゝなくもあり凡二
里にあまれる道路にツゝける里皆かゝるさまにてよ所の□□
に袖しほりやをら宅にかへりつけはおのか家は只かたむける
まてにて家のち(ママ)のもの恙なしときゝてまつ安堵して忰ハ何れ
にありやとゝへは官吏にめされて邑長許ゆけりときゝておの
か無事にかへれることとくしらせやれはほともなく宅にかへ
りきて互によろこひさてといふ
(注、以下、教訓的に傾く文章。省略)