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項目 内容
ID J2204306
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1828/12/18
和暦 文政十一年十一月十二日
綱文 文政十一年十一月十二日(一八二八・一二・一八)〔中越〕
書名 〔地震筆記用材〕新津市史編さん室
本文
[未校訂]文政十一子年十一月十二日朝五ツ時頃乾のかたより大なゐふ
りて我里も五百余軒の人家は潰又は破壊してひとつとして常
なるはなし其内つふれたる家より火いてゝ風したなるかたへ
燃ゆけと皆おのれ〳〵か身を守りて其火を防くもの独りもな
きを幸ひに郷中の締役にとてまハらせられし坂上某の前日此
地にとゝまらせ給ひぬれハはやくかけつけて其防をさせ給ひ
ケれと風いとはけしケれはかさしたなるは人力にて防くへき
術もなくしたいに火ひろかり風にしたかふのミならす家居は
かりかちりのこものこさす焼失ぬるほとのいきほひさも見ゆ
るをかの坂の上のぬし西へはしり東へはしりて人をまねきつ
ひに火をはしつめ給へりしはかのぬし新(ママ)大なる功といふへし
されと火にやかれ梁なとに押されて死せるもの又五十余人に
及べりおそろしとあることの中に人の命にかゝハるほとおそ
ろしきことはあるべからずなり
(中略)
○十八日板垣□し廻村十九日逗留廿五日また来らせ給ふ明る
日は坂井へ移らせらる
○丑正月廿一日地震しハらくのうち也
○同十二日暮六ツ時又地震前夜の動キよりも軽く程もみちか
し酉下刻また一度戌中刻又一度都合三ケ度
○十六日酉上刻地震物につきあたる如キの動きニて程もなし
大地震以後の筆記何れへ紛るゝやか尋
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 743
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 新津【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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