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項目 内容
ID J2200739
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1662/06/16
和暦 寛文二年五月一日
綱文 寛文二年五月一日(一六六二・六・一六)〔中部地方西部・近畿地方中北部〕
書名 〔三禰宜度会継彦日次〕○伊勢山田▽都司嘉宣氏▼編の史料・提供史料
本文
[未校訂]寛文二年壬寅五月朔日午刻大地震して人民あまた死すといへ
とも山田の家々少々損し人民恙なき也。同月十八日まてハ日
々ゆり朔日より三日まては昼夜ともに三十度ばかりゆり四日
よりは次第次第に数すくなくなり十八日までゆり十九日より
ゆりさし(○カ)、又廿二日晩頃ゆり候へともしはらくにて
治り候也。殊の外甚しく近江の国ゆり候也、大津の御蔵廿七
ケ所潰れ申候。但し四間はりに三拾間同町家数二百七拾四潰
れ申候、同所土蔵七十一潰れ申候。志賀郡平野山崩れ桂川村
の内えのき村マイチ村両所土にてうめ申候、桂川五百八拾の
内にて家数二百九十九潰れ申候。死人三百六十六人此内百三
拾四人は土にうもれ申候。牛馬九拾三疋死申候。右村の子共
拾人斗山へ草刈に参候て残り申候。同所桂川之下拾人町の間
平野山崩れ入山に成り川上の水近辺の田畠へ入申候。大溝分
部若狭守殿居住の城并家中町在々至まで一軒も残らす潰れ申
候田残らす植渡し申候所に此地震ひとしきりつゝゆる。夜の
八ツ頃迄に凡三十度地震
五月二日 巳の刻迄に三度未ノ刻一度暮六ツ迄に三度夜に入
明寅迄に一度
同三日 朝五ツ時分に一度昼一度八ツ時分一度地震夜に入明
寅迄に三度
同四日 朝五ツに一度九ツに一度暮七ツに一度夜に入明寅迄
に二度
同五日 朝五ツに一度九ツに一度昼の七ツに一度夜に入三度
二日三日の晩天火降り其形日月のことくもえたつ火のことし
六日 朝寅の刻一度五ツ時分に一度昼一度七ツ時分に一度夜
に入五ツ前に一度
七日 朝寅に一度五ツ前に一度午の刻一度七ツ時分一度夜に
入四ツに一度八ツ過一度
八日 朝六ツ時一度午の刻一度八ツ過一度
九日 朝六ツに一度午の刻一度申刻一度夜に入亥刻一度子刻
一度
十日 巳の刻一度午の刻二度
十一日 卯の刻一度
十二日 卯の刻一度未の刻一度
十三日 辰の刻一度申の刻一度是茶一ふくの間也
五月中度々地震 京は諸家諸寺破損多し
十四日 朝卯の刻より辰の刻迄大雨雷鳴しきり也
十四日より廿日迄御祈
十五日 夜に入四つ時大地震
十六日 朝五ツ時地震
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 167
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 宇治山田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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