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項目 内容
ID J2200364
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1586/01/18
和暦 天正十三年十一月二十九日
綱文 天正十三年十一月二十九日(一五八六・一・一八)〔畿内・東海・東山・北陸の諸道諸国〕
書名 〔越中資料叢書〕S48・10・15 歴史図書社
本文
[未校訂](越中宝鑑)M31・10 渡辺市太郎編著
○木舟城址 大滝村大字木舟の田圃に在り。貴舩・貴布禰は
其別字なり。築城年代詳ならざれ共、初め当郡福光の城主
石黒太郎光弘(光弘は寿永中の人)の後裔・石黒又次郎光
直住し、其子大炊助光教之れに代り其子大炊左衛門成親
(後藤兵衛と改む)の時、天正二年七月上杉鎌信兵三万を
従へ来りて遂に攻め陥る(一説、此時、神保長純居たりと
も云ふ)。成親の子成綱、天正八年江州長浜にて織田信長
に殺されてより此地、成政の領となり。其時、佐々平左衛
門、此城に拠り屢々前田家に抗す。同十三年八月成政、秀
吉に降り此城を引取るや前田秀継、今石動より移封せしが
幾ばくもなく、同年十一月二十九日激震ありて城塁陥落す
る事、凡三丈、城主秀継亦是れに死せり。
○神明宮 石動町字福町に鎮座す。郷社にして天照皇大神・
豊受大神を合祀せり。創建年代詳ならざれ共、元亀年間
(元亀元年今より三百三十年前)能登国石動山天平寺の僧
徒相争ふに当りて、同山鎮座伊須流岐比古神社の神璽を供
奉し来りて、本村字中島に鎮座したるものなりとも称す。
又元禄十五年今より百九十六年前本郡木舟城主・前田氏の
遺臣、伊勢に参宮し外宮の分霊を奉迎して此社に合祀せり。
往古より糸岡郷の一ノ宮と称し本村外三十三ケ村の総社な
り。前田利継、木舟城に居りし頃は其祈願所にして帰依篤
く、又天正十三年豊臣秀吉、本国に来り佐々成政を討つに
当り此社に祈願する所あり。其凱旋に臨み親筆の額及び幣
帛を納めたるが、今尚、其額面を蔵すと云ふ。同年十一月
二十九日地大に震レ、社地亦決潰せしを以て現今の地に遷
座せり。
○日尾神社 山王村大字矢部に鎮座し天押日命・底土神・赤
土神・磐土命の四柱を合祀せり。社記に曰く、聖武天皇の
御宇、諸国に一ノ宮を選置の時、勅使門部連某、本国に下
向し此地に社殿を建て日尾大明神社と称へ村名を矢部と号
けたり。尋で大伴家持、本国々守たるに及び大伴家の祖神
なりとて祭文を捧げ尊崇殊に篤かりし。天正年間本郡木舟
城主・石黒左近は守護の神となし、某末葉に至るまで尚ほ
毎歳幣物を備へたり。同十三年地大に震し樹木に至る迄悉
く地中に陥落し一大沼地をなしたれ共、此社のみ依然とし
て沼中に存し、今尚異変なし。故に閭人積へて浮の宮と云
ふ。亦本郡の名祠なり。
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 80
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 富山
市区町村 富山【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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