[未校訂]赤岡町史編集委員会編赤岡町教育委員
(注、十一月の国司からの大潮の旨の奏上〈「史料」第一
巻八頁下五~六行〉文のあとに以下が続く
)
この時海中に陥没した地面が黒田郡で、浦戸につづく地であ
ったとか
香美郡、長岡郡の沖にあたるとか、土佐全域におよぶとかい
われているが、いずれも確証はない。
黒田郡について古老はこのように話していた。
むかしむかし赤岡から前浜の沖にかけて黒田郷という広い
土地があった。
黒田郷には黒田長者とよばれる富豪が住んでいた。
黒田長者は真珠のたまを敷きつめ、珊瑚の柱に黄金の屋根
を葺いた御殿を建て、沢山の奴婢を牛馬のように使って栄
華のかぎりをつくしていた。
邸は朝日に照り夕日に映えてかがやいていたが、そのまば
ゆさにもまさる美しいひとりの姫がいた。
長者はこの世のものともないその姫の美貌にかしずかせよ
うと、あるとき、金の扇で海に沈む夕陽を招きかえそうと
した。
そして神のいかりにふれ、天地をくつがえす大地震がおこ
って、すべては一晩にして海底に沈み、その後をおそった
大津波によってあとかたもなく消えうせてしまった。
陸にのこされた赤岡は、それ以来人間のごうのむくいとし
て、汐風に吹きさらされた松かげの、まずしい聚落となっ
てしまった。
その後も、晴れた日には沖を漕ぐ船に海底の景色がながめ
られ、月の夜には、波間を照りかえす黄金の屋根の光りが
浮かびただよっていたという。
もとより史実とする何のよすがもない昔がたりに過ぎないの
だが、龍宮に似た杳かな世界に黒髪をなびかすがごとき、美
貌の姫のおもかげを、幼い夢にいくたびかおもいえがいたこ
とであった。
さて、史上に記録されている土佐の地震、津波の記録は次の
通りである。(後略)