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項目 内容
ID J2100249
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔宝暦と弘化の地震〕西頸城郡能生町鬼舞S43・6・20 伊藤信太郎著
本文
[未校訂]次に、曾祖父の日記を中心に、善光寺地震について書くこと
にする。
この善光寺地震について、此地方では殆ど被害らしい被害は
なかった。能生谷方面では、五人組で仮小舎を作り昼夜泊っ
たのが三〇日に及ぶと記録されているが、山崩れ等の災害は
記録されていない。
しかし、高田城下の災害は、潰家、大破家程二千戸に及んで
いる。この高田城下の大きな被害は五日後(四月二九日)の
地震であったと、他に記録されている。その他山崩往来の裂
割程も数多くあったが、特異なものとして苗代の泥冠りが四
百村以上であった。これは予想もできぬ被害であるが播種後
十日余りのことである。
本葉一枚と細い根を伸ばし始めた苗は、丁度種子からの栄養
を、根による吸収に転換する頃である。最も病気の発生し易
い時である。現在で言う苗の腐敗病であるが、泥の付着又は
種子が泥の中へ沈下し酸素不足が起り、更に、そうした傾向
を強めたことであろう。
この頃は水苗代であるから、殆んど湛水状態であったから、
地震の為に泡が浮いて来ることが考えられるが、地震にはそ
うした状態が起ることも、覚えておく必要があろう。苗代の
水が不気味に動く情景、そうしたことが地震であることを知
った人は、もう誰も生きてはいない。(後略)
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻6-2
ページ 1750
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 能生【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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