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項目 内容
ID J2100227
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔三和村誌〕中頸城郡 S47・1・30 三和村誌編集委員会 三和村教育委員会発行
本文
[未校訂]弘化四丁未(一八四七)善光寺地震
弘化四年五月八日、夜四ツ時地震があった。高田城破損、こ
とに橋の大破するものが多かった。城内外の街道に亀裂を生
じた。町・在家の潰家四百七拾七軒、大破千五百四拾壱軒、
用水、江筋に被害があった。死人五人、怪我人弐拾人を記し
ている。
この地震の中心が善光寺平で、高田の西側では弱く、東信濃
境に強かった。
榊原家預所記録では、
「上板倉郷高田預所長沢村で山崩れ、民家拾五・六軒埋れ、
子供二人、馬壱匹圧死、同郷大谷村では民家拾六・七軒山崩
れで埋没した。また下板倉郷関田村、平丸村、牧村の内数ケ
所山崩れがあったが損害未詳
としている。
また高田の東在川浦支配所今保村民家六拾軒のところ、潰家
四拾五軒あり、死人、怪我人があると思われるがよくわから
ないとしている。
(新井別院池田氏所蔵文書)
(前略)
川浦支配村々地震強く、一村不残潰れ候村々三四十ケ村も
有之右に准し其外村々松ノ山辺大破ニ候へ共村名不相分ニ
付不記新井より西在村々並原通り村々地震少し軽し。
この様子では、三和村の各村々は、今保だけではなく、満足
な家はまず少かったであろう。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻6-2
ページ 1690
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 三和【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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