西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
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項目 |
内容 |
ID |
J2100160 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1847/05/08
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和暦 |
弘化四年三月二十四日 |
綱文 |
弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕 |
書名 |
〔信州稲荷山〕更級郡稲荷山町(現更埴市)S43・10・22 倉石英雄著・発行
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本文 |
[未校訂](前略) 稲荷山の災害は上記の通りであるが、筆者の姉の家は、元小 出さん(布喜)の居宅であったが、此の屋敷にある倉の一棟 は弘化の地震に残った倉であるという伝承がある。百二十年 の歳月は、周囲の土を高くしたので、倉は甚だ低くなって居 るが、全部床に石を張詰めた、立派な倉である。 次に筆者の生家は、元伊豆武高村さんが建築した家である が、弘化地震後真ッ先に建てられた、耐震耐火建築であって 事後家を建てる人々は皆、参考にする為に見学したと云う事 である。耐震耐火かどうか、筆者には判らないが、母屋組に 無暗と材木を作った(ママ)、不思議な構造である。父の叔父に当る松治と云う人も、此の地震の犠牲者の一人で ある。大変頭の良い、活潑な人だったそうであるが、気の毒 な事であった。
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出典 |
新収日本地震史料 第5巻 別巻6-2 |
ページ |
1378 |
備考 |
本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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都道府県 |
長野
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市区町村 |
稲荷山【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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