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項目 内容
ID J2100138
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔信濃町誌〕上水内郡S43・12・25重一郎発行人信濃町誌編集委員会編 信濃町町長松木
本文
[未校訂]そのほか、古間地区でのこの地震の被害は次のとおり。
(イ) 針ノ木では用水溜池の土手が切れて土屋捨蔵という人の
家が向山ぎはまで押し流された。
(ロ) 土橋では家が五六軒倒壊し、中島新八の妻さよさん(八
十八才)は家の下敷となり死亡し、又清水夫人は善光寺の
宿屋で下敷になり死亡。
(ハ) 下荒瀬原では、佐藤米蔵、佐藤文六、古田惣作、静谷喜
作の四家の家が倒壊した、
(ニ) 舟岳では六軒残っただけであと全部倒壊し、三人死亡者
があつた。水穴でも二、三軒残っただけであと全部倒壊し
たとか、このほかの部落でも相当の被害があったと思う。
(ホ) 小古間では三軒のこっただけで全部倒壊、死者不明。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻6-2
ページ 1282
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 信濃【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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