[未校訂]第四節 善光寺地震
わが高岡村には幸い死者の数は割合少くなかつたようだ
が、各部にのこつている、古記録によると居宅、堂宮、納屋
其の外の建物、ほとんど倒潰し、天地開辟以来の大災害を受
け、この時災害をまぬがれた居宅は、各部落に一二戸位しか
なかつたとの事である。
当時夏川村名主兵左衛門の調書に依ると、次の通りで如何
に被害が甚大であつたかが窺かがわれる。
地震潰家其外詳細取調帳
信州水内郡 夏川村
一皆潰 本堂 但シ 間口八 間奥行七 間除地高四石弐斗九升
持高 七石九斗四合
禅宗 長水山 真興寺
一皆潰 庫裏 但シ 間口十間奥行五間半同寺
一皆潰 居宅 但シ 間口七間半奥行四間持高参石四斗七升
百姓 利惣治
同人
一皆潰 雪隠 但シ 間口三間横二間一半潰 居宅 間口九間奥行四間半持高参石八斗参升
百姓 兵左衛門
一皆潰 雪隠 但シ 間口五間横二間半 同人
一即死 二名 兵左衛門伜 吉五郎伜ノ嫁 志やう
一家内六名内 男四人女二人 内即死 男壱名女壱名
(其の外略)
右之寄書
略
右は当三月廿四日 夜之大地震ニ付潰家其外詳細取調候処書
面通り相違無御座候
水内郡夏川村
弘化四未年六月一日 百姓代 銀蔵
組頭 喜藤治
名主 兵左衛門