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項目 内容
ID J2100130
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔豊野町歴史年表〕上水内郡豊野町S53・6・6 豊野町公民館発行
本文
[未校訂]三月二四日夜 「善光寺地震一(M7.4)発生、北信地方に大
災害、死者八六〇〇人余、潰れ家二九六三三軒〈理科年表〉
南郷村では二三軒つぶれ、即死八人、石村では六三軒中四
三軒潰れる。蟹沢村で死者一四人、潰れ家四五軒、浅野村
の死者三六人、丸潰れ三六軒、中尾で三〇軒つぶれる。社
寺では、長秀院・北石大日堂・粟野神社前宮・柳原寺・伊
豆毛神社・正伝寺・明円寺・宝蔵院・正見寺庫裏などが潰
れ、地震前の民家で現存するもの数少ない。吉村では、土
砂崩れのため、人家八〇戸ほど、人命八、九〇も土砂の下
敷きとなる。〈同窓会報〉
三月二九日 越後高田地方でM6.5の地震発生〈理科年表〉
四月一三日夜地震の山崩でせき止められていた犀川が一時
に決壊して、善光寺平は一面の湖となる大洪水、立ケ花の
水高二丈六尺四寸五分〈清水家万控帳〉この地震・洪水で
は神代村田中(現役場付近)の人家、伊豆毛神社北側の地
へ移り上田中を構成する。
五月 全潰家一戸に金一分、半潰家に金一朱ずつの手当をお
上から下さる。〈蟹沢区文書〉
伊豆毛神社拝殿・祝詞殿再建改築
七月 お上から、極困窮者へ手当として一人あて米一升と銭
百文を渡される。
鳥居川水系、戸草新堰新規トンネル工事計画に対して、芋
川・石・大倉・上今井・神代・浅野・蟹沢など反対する。
九月 赤沼村から、地震・洪水で浅川の河床が上がり水はけ
が悪くて困るので、飯山領村々と協力して川さらいできる
よう取り計ってもらいたいと代官所へ申し出る。 〈豊野区
文書〉
一〇月 地震で潰れた神代村の御番所の建て替え、費用八両
三歩余で完成する。〈豊野区文書〉
一二月 災害につき、神代村でもモミ三〇〇俵をお上から拝
借する。〈豊野区文書〉
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻6-2
ページ 1263
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 豊野【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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