[未校訂](表紙)
一 弘化四丁未年
三月廿四日夜地震一件
高井水内郡
大地震災害村々一村限
并急難御救御拝借
帳面之写
(注、これは〔中野市史料〕のうち「弘化四丁未歳三月廿四日大地震ニ付潰家数一村限帳並拝借金負数 綿貫」と同じもの。但し、村高に数パーセントの差異がある。また、物置小屋の数字にも若干の差があるが省略。〔中野市史料〕にないところのみをのせる。研究のときは両史料を比べるとよい)
差上申御請書之事
当御支配所私共村々当三月廿四日夜之大地震并犀川上山平林
村地内字虚空蔵山崩落同川へ押出し埋候場所当四月十三日抜
崩落千曲川筋大洪水ニ罷成候段前代未聞之奇変両度之災害絶
言語艱難ニ陥候次第也并大地震ニ而用悪水路押埋欠崩候場所
等有之田方用水肝要之時節植付差支候而は御収納ニ拘り候間
右手当急難御救拝借金等御伺被成下候処今般災害極難之次第
追々達御聞出格之思召ヲ以御支配所災害村々一統江早速御救
金拝借被仰付候段不容易御儀ニ有之大地震之節潰家山崩等艱
難之多少并大供(ママ)水千曲川縁村々内郷村々共家居水下ニ相成候
難渋之村々も有之候ニ付災害之様子一村限巨細御見分御取調
厚薄之次第ニ寄今般御救金御割賦自普請所村繕村々御手当等
之分共御渡し被成候間村々共箇成取続候もの共は御拝借不仕
勘弁致合可成丈小前難渋之もの共御救ニ相成候様無甲乙割渡
し小前壱人別拝借証文ハ追而差上可申不取敢御拝借金御下被
成下惣躰ニ而は大造之金高ニ相成御料所別段之訳深(柄カ)相弁偏ニ
御仁恵之程厚難有奉存窮迫之時節猶更精力ヲ尽し農業相励農
間ニは互ニ実意ニ助合潰家修覆寒国雪中□(カスレ)不飢凍様無油
断相続方心懸かならす御慈悲御恩沢之程忘脚仕間敷旨小前末
々迄不洩様能々可申聞且年賦御返納等之儀は御伺之上追而被
仰聞候旨承知仕候依之御請印形差上申処如件
御救金拝借
弘化四未年四月 村々
高木清左衛門様
御役所
一平林村去年山水大溜り岩倉組向水内組花倉組右土手長サ弐
拾丁余同高サ凡拾五丈程水溜り場所七里余水内村ゟ上ハ松
本領分合村迄同様壱里程尤拾五丁程之場所も有之水溜りニ
相成候
村数三拾五ケ村
一小溜り安庭村向長井村土手長サ十五丁余池長サ弐拾五丁余
右小溜りハ不及申大溜り之水も八分程押切尤弐分程ハ湖水
ニ相成候様子ニ御座候哉当時水中(ママ)村上条村新町村穂苅村右
三ケ村水中ニ御座候
当時水溜り里数
三里程ニ御座候
未四月十五日
山中詰 松代
御役人
(注、以下(覚)は「史料」第三巻七〇六頁下左二行以下と同文につき省略。この部分の村ごとの金額は〔中野市史料〕と同じ。又以下他出あるものは省略)