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項目 内容
ID J2100081
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔北信濃の歴史〕S47・4・17 高橋伝造著 高橋伝造先生遺稿刊行会
本文
[未校訂](前略)
 わたしの母方の祖父は、この年二才、農家の生れであっ
た。母はこの子を背負い[機|はた]を織っていたが、生あたたかい春
の夜につかれ、機に寄りかかって仮眠していた。突如の地震
に、身をもって戸外にのがれようとしたが、天じょうから落
ちてきた柱のようなもので、したたか首を打たれ、卒倒しそ
うになりながら危く戸外にのがれ出た。あたりの倒れた家か
らは、すでに火が出て燃えはじめていたが、みんな右往左往
恐怖の声をはりあげるばかりである。
 ふと、背中の子のはげしい泣き声が耳にはいった。親の本
能とでもいおうか、背中から子どもをおろして、近所の燃え
あがる火にすかしてみれば顔は血でまっかである。庭の池で
顔の血を洗いおとすと、わずかにうす皮でぶら下がっていた
この子の耳が、ちぎれて母親の掌に残った。
 すでに方々から火の手があがって、阿鼻叫喚の地獄であっ
たが、この母親は自分の髪の毛を一にきり引き抜いて火にあ
ぶり、これを子どもの耳のあたりに塗りつけ、落ちた小さな
耳をそこにあてると、自分のかむっていた手拭で、顔にしっ
かりむすびつけたのである。
 自分の家ももちろん焼けた。右往左往の数日後、この鉢巻
をとってみると、子どもの耳はくっついていたのである。
 この子は八十才近くまで生きた。わたしの祖父である。正
面から見ると、この人の耳は、右の方が左のより少し下った
所にあって、左のよりいくぶん小さ目であった。頭蓋骨に直
径一センチメートル程の穴があって、そこの皮膚が脈をうっ
ていた。一それにしても、よく生きられたものだ一と、わた
しの子どものころ、この祖父はよく話してくれた。 (後略)
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻6-2
ページ 1086
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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