[未校訂](前略)
わたしの母方の祖父は、この年二才、農家の生れであっ
た。母はこの子を背負い[機|はた]を織っていたが、生あたたかい春
の夜につかれ、機に寄りかかって仮眠していた。突如の地震
に、身をもって戸外にのがれようとしたが、天じょうから落
ちてきた柱のようなもので、したたか首を打たれ、卒倒しそ
うになりながら危く戸外にのがれ出た。あたりの倒れた家か
らは、すでに火が出て燃えはじめていたが、みんな右往左往
恐怖の声をはりあげるばかりである。
ふと、背中の子のはげしい泣き声が耳にはいった。親の本
能とでもいおうか、背中から子どもをおろして、近所の燃え
あがる火にすかしてみれば顔は血でまっかである。庭の池で
顔の血を洗いおとすと、わずかにうす皮でぶら下がっていた
この子の耳が、ちぎれて母親の掌に残った。
すでに方々から火の手があがって、阿鼻叫喚の地獄であっ
たが、この母親は自分の髪の毛を一にきり引き抜いて火にあ
ぶり、これを子どもの耳のあたりに塗りつけ、落ちた小さな
耳をそこにあてると、自分のかむっていた手拭で、顔にしっ
かりむすびつけたのである。
自分の家ももちろん焼けた。右往左往の数日後、この鉢巻
をとってみると、子どもの耳はくっついていたのである。
この子は八十才近くまで生きた。わたしの祖父である。正
面から見ると、この人の耳は、右の方が左のより少し下った
所にあって、左のよりいくぶん小さ目であった。頭蓋骨に直
径一センチメートル程の穴があって、そこの皮膚が脈をうっ
ていた。一それにしても、よく生きられたものだ一と、わた
しの子どものころ、この祖父はよく話してくれた。 (後略)