[未校訂](注、全般的状況など省略)
本村の被害
熊坂の抜出 熊坂新田 三月十四日晴夜
坊主山並法院塚等に一大音響あり忽ち崩落し五戸を押倒し
橋場迄抜出し来て此処にて留つたが人々泥中に押潰され惨
状目が当てられぬ有様で唯此に奇蹟にも孫右衛門の妻は翌
日泥の中ゟ這ひ出したる事にて他は悉く死んだ熊坂中無事
なりしは中島卯人唯一人のみであつた本村の被害程度も甚
敷く他郷に譲らなかつた家屋は皆潰倒した為め村民は小高
き処舞台大持平真宝寺屋敷等に集り寄つて小屋を掛けて居
つた
梨久保の抜出し 梨久保の字弥地の山抜け出し直右衛門・作
蔵・金蔵の三軒は泥の下に埋没された其時弥地山より物置
位の大石が顚び落ちた音は恐しかつたと云ふ。永江両村穴
田村各新田部落にかけて皆地震区域でどの家でも大概潰れ
死者の少しも無き家は無い位であつた
我祖父の弟金蔵なるもの善光寺へ公用で行つて宿泊中震災
に遇ひ折節二階に寝ていたが階下の者は皆圧死されたが二
階隣室の宿り客中十二、三歳の男の子の泣き居るを共に脇
差で屋根を突き破り助け出したが其父の見えぬので困り果
て善光寺堂前の松代出張役所へ頼んで帰つた又松代藩では
役所前で避難者中の裸躰のものに手紙(拭カ)一筋宛給与して居た