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項目 内容
ID J2000142
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔弘化信濃震災具状〕東京大学附属図書館
本文
[未校訂]弘化四丁未年三月廿四日四時頃江戸を始其外□(ムシ)程之地震之処
井水大かた濁り是迄強地震有之といへとも右躰井有之濁之事
無之此もとハ信越両洲就中信州水内郡善光寺北之方吉田宿い
なつみ村山口西条あち町宿治間村新光寺神山中宿高坂武(牟礼)連町
小ふる間大ふる間は甚敷黒姫山辺南之方石堂村問御所中御所
荒木村和田笠間・松岡新田上下高田権堂町柏原辺牛馬多損し
夫ゟ高井郡ニ至り東之方小布施宿すさか城下辺大地裂土中ゟ
泥水湧出し人馬多くしす
更級郡丹波嶋辺ゟ東西九拾四ケ村姥捨山此辺強大地悉裂土中
ゟ煙りか炎かのように何とも知らす吹出し眼をくらまし地裂
し所に蹈込抔して死没するもの不少又松代の城下辺七拾余村
小県上田城下辺百五拾三ケ村追分軽井沢履(沓)掛上州口迄此辺山
鳴動成雷のごとし西の方御獄山より塩尻迄人馬多死諏訪郡高
崎(嶋カ)城下ゟ西のかたに至り百余ケ村此内諏訪の海溢人馬家々多
く死没ス
佐久郡山辺尤強し安曇郡北のかた百三拾村程損す此外筆紙尽
しかたし
村々在々老たるを助け幼きをいだき猛火ニむせび泥水にまぶ
れ難儀いふ計なし然ルに善光寺如来此節供養開帳ニ而諸国ゟ
参詣多く怪我死者有之趣如来の堂は更ニ障りなく籠り居たり
し者は無難のよし右霊像供養の前右善光寺近辺如来堂様々の
異成し事有之しと弘前家藩此節彼地より罷帰り物語有且翌廿
五日朝六時頃漸く静り地頭御代官ゟ手配有て人民を故ひ火事
を鎮め水を防爰におゐて漸く案堵の思ひをなす也
四月十三日 堀長門守御届書写
(注、この一点以外はすべて「史料」第三巻にあるため省略)
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻6-1
ページ 794
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 東京
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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