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項目 内容
ID J1900540
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔大分市史 上〕S30・3・25大分市史編纂審議会・大分市役所発行
本文
[未校訂](注、〔府内藩日記各種〕にない部分のみ掲載する)
(府内由来日記)
安政元甲寅十一月五日申時大地震、府内御城内、町六分方
タヲレ、郷中三分方タヲレ、其日昼夜十八度。七日辰時大
地震。東口西口石垣落、北口御定場間御櫓、御城内皆、大
広間斗ニ成。町家寺方八分方タヲレ、凡四十日、少宛。其
間困窮人玄米二合宛御下相成、又タヲレ家分百目宛被下
十一月十六日、大工、石工、左官、根屋葺の賃銭を、各銀札
六匁五分、平日雇を六匁に値上げし、実意に働くよう諭告し
た。十七日から北ノ丸に、藩主の仮御殿建築に取掛り、二十
九日柱立をした。十二月九日十日の両日、藩主近説は城下な
らびに三津留、萩原を左の如く巡視した。
(府内藩日記)
同年十二月九日
一此節大地震ニ付、御城下潰家被成御覧候旨御沙汰、右ニ
付御城下軒別ニ名前相記差出候様、是又御沙汰、丁々え
も何町と書付建札申付。八ツ時御供揃ニて出御。此方共
壱人御供被仰付候ニ付、東磨御供、町廻両人、御先払差
出ス。暮前御帰
同十日
一九ツ時御供揃ニて三津留萩原潰家御見分被遊候段御沙
汰、夫より松栄山御参詣、町廻り両人御先払、鹿平御供
かくて十三日、廊下橋前の仮御殿において、近説は左の直書
を発し、藩士や城下の住民に手当を支給した。
同時に東西村々にも、倒潰ならびに大破の修繕手当を給し
た。やがて北ノ丸に仮御殿が出来たので、十六日近説はこれ
に引移つた。
地震後、庶民救護のため、諸職人の運上を免除とした。しか
し安政四年四月二十一日に至り、既に平常に復したと認め、
運上を上納するよう命じた。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 2410
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 熊本
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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