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項目 内容
ID J1900465
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔春野町史〕○高知県S51・3・31春野町史編集委員会編・春野町発行
本文
[未校訂] 災害と農村 土佐には災害が多い。地震津波、暴風洪水は
その代表である。とくに宝永四年(一七〇七)と安政元年
(一八五四)の地震津波は被害激甚であった。「谷陵記」奥宮
正明によれば、沿海地方の村々は宝永の津波で[亡所|もうしよ]となる災
害を受けた。仁ノでは三分の二が亡所となったという。また
安政の地震津波による被害も大であった。「野本家文書」に
よれば、甲殿では、
嘉永七寅年(安政元)十一月五日、大地震あり。七ツ半よ
り夕暮までゆり、其の夜五、六度ゆり、それより十五日ほ
ど大きくゆり候。なみぢせいより壱丈計り高く出で来る。
其の心得有るべく候。
簡単であるが、背丈より一丈も高い津波が押し寄せる。子孫
へ「其の心得有るべく」と訓えたのは、まことに自然であ
る。同家文書の
「嘉永元年
大福積年手作籾高控帖
申弐月吉辰日 南屋鋪」
によれば、地震の年と翌年の収穫は左の通りである。田地荒
廃により半減以下の収穫であった。
嘉永七(安政元)四〇石二(一〇〇%)
安政二 一八・一(四五〃)
これに関連して同家文書には、
安政二卯年
御給地損田差出 吾川郡甲殿村
御免方
土居源次良
今村和吉
とある。
 地震とくに津波の災害報告がある。いまこれを理解の便利
のために一覧表として左に示した。
地高損田地高年貢免除年限
三反二六代三歩一一代二歩(押し剝ぎ)一一・〇(浪入)二カ年
同右
一・四四・〇二〇・〇(浪入)免除せず
三・三八・〇一八・〇(浪入)一七・二(浪入)五カ年引
二カ年引
一・〇四・〇三八・〇(浪入)一作引
三・三四・〇二一・〇(浪入)同右
五・〇〇・三一〇・〇(浪入)三年引
四・〇三・〇二〇・〇(掘れ込み、砂入)三〇・一(浪入)五カ年引
二カ年引
五・〇八・四三七・三(浪入)免除せず
一四・〇八・四二〇・二(浪入)同右
集計四二・一七・二五・〇四・三(地高の一二%)損田地高の八四%
前表の減収と対比して、藩の年貢の減免の厳しいことがわか
るうえ、損田の認定もまことに厳しい。甲殿村ではほとんど
大半水田は水没―海水に覆われたのであって、塩分は残って
害をなしたものと思われるが、それらの被害をほとんど自力
で克服したことは、偉大であるが、また無惨というほかはな
い。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 2323
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 高知
市区町村 春野【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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