[未校訂]嘉永七年十一月四日朝五つ時(午前九時十時頃)より五日の明け方迄
強震五六回に及び殊に朝五つ時大震す同日八つ(午後二時)強震を
極む。
同年十二月十四日夜四つ時(午後十時)大地震あり朝六つ時(午前五時頃)
大雪降あり地震止まず十一月より十二月に至る大地震は古来
未曾有に之れ有り地裂け家倒れ人畜の死傷最も多かりき此地
震に際し原野を眺むれば大地波浪状をなし堅固なる家屋もめ
り〳〵と音して前後左右に傾く有様物凄まじく人々生きたる
心地せず籔の中盤石の上に小屋を架け難を避くるに至る徳島
市中には火を発し市中大半焼尽し其の惨状名状す可からず十
二月晦日朝非常の大俣にて此の日の八つ時(午後三時)風吹き地漸
く鎮まり晴天となれり。
嘉永七年十一月四日、十二月十四日 大地震
安政元年十一月四日~五日 累日、南海大地震(震源地は潮
岬沖より室戸岬沖)封内人家の倒るもの三千余、十一日、十
五日、十二月十二日、十四日、又強震あり、藩主蜂須賀斎昌
一万両を発し、士卒胥吏の災変に遭う者を賑恤し、商人の暴
利を貪るを禁ず。