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項目 内容
ID J1900338
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔大津村誌 完〕○徳島県S2・9・30板野郡大津村著・発行
本文
[未校訂]第拾三章 天変地異 地震
古老の談を掲けて当時の俤を偲はん
安政元寅年六月中旬頃夜九ツ時八ツ時にそ至る始めての大震
となり夜中でもあり不思議にゆり出しました所心を尽しなか
ら当惑いたし外へ逃けだし其時地震は必家に居事出来きませ
んと承りましたから仝年五六月より大旱魃草木皆枯となり雨
請したれとも十一月まて雨降らすして天気続き麦蒔等は十二
分にて既に麦あいに罷出皆留守でありましたが又々地震仝年
十一月四日朝四ツ時と思ひましたが大地震ゆり嘉久太郎は年
十歳にして寺子師匠平賀慶助方へ手習中に地震ゆり出し六七
十名の生徒外へ逃出ました門前仝郡長江新山村要水道あり其
水両岸ゆり掲げ堀に水なしと思ひました翌日となり手習に参
り帰宅いたし昼支度をなし門外ておりましたが仝五日八ツ時
位と思ひました大地震ゆり出し致方なし其儘麦蒔溝へ倒てお
りました農夫も牛馬とも皆倒ておつたと云事てありましたか
暫して野より帰りましたか宅へ帰ることになりましたか本宅
を見ますと大破潰家同様の姿となり家族皆寄集り籔に居りま
す未申の方はとんとん鳴ります父より云ふことは昔し高知県
下四国霊場東寺西寺の間地震はゆり込海となり建木も今に海
中にある此地も海岸にて海になるかもしれません折柄人声多
く津浪津浪と逃出し聞くより早く全郡木津山大代山へ家族一
同逃出祖母一人下女とも大代山へ逃け私共は木津山逃翌日尋
に出しました家内集ること六日夕てありました困難の御咄し
でてきません木津長谷寺庭前に半ケ月位もおりました帰宅致
し宅へはいる事出来ません本宅土蔵納屋とも大破門より乾角
まて見通しと成りました
中にも大困難は盲又は大老の者地方ては拾荷入の糞壺へのせ
荷繩を以て大木に括り置て外の家族は山へと逃け出る有様て
あります土地分裂等は古田分なし川向新田土砂水吹出し一田
川なとなり有姿の困難なりしこと小供心でも思ひました
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 1901
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 徳島
市区町村 大津【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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