西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
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項目 |
内容 |
ID |
J1900327 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1854/12/23
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和暦 |
嘉永七年十一月四日 |
綱文 |
安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕 |
書名 |
〔佐那河内村史〕○徳島県S42・11・3 佐那河内村史編集委員会・名東郡佐那河内村役場
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本文 |
[未校訂]2 安政の大地震 安政元年(一八五四)六月十四から翌二 年十月まで頻発し、十一月四日午前十時過ぎ(巳の上刻、 一説に辰の下刻ともいう)俄かにゴーという大地鳴がして 地震が襲来したので、人々は驚いて戸外に飛び出した。注 意深い人は火の仕末をした。この地震は二~三分してやん だが、夕方また大地震があつた。家はギチギチ音をたてて 揺ぎ、小便壺から小便が庭に溢れ、御神酒徳利は神棚から 落ちた。地震は夜明けまで数回にわたつて強く揺つたので 人々は戸外で夜を明かしたという。 翌五日の七ツ時(午前四時~五時)からかなり強く揺り出 し、その晩五ツ半(午後九時)物凄い大地震があつた。家 屋はギチギチと屋鳴りし、寺の鐘は撞木に当り、自然に鳴 り出し、樹木は梢で地を払い、鳥も空を飛ぶことが出来な かつたといわれている。戸外に難を逃れた人は上方に山を 負うところは、石の転落を恐れて山上に遁れ、あるいは竹 籔に難をさけたという。
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出典 |
新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2 |
ページ |
1893 |
備考 |
本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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都道府県 |
徳島
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市区町村 |
佐那河内【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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