[未校訂](津浪之事書附 嘉永七年)
夫 寅拾(ママ)月四日の昼八ツ比少々地信ゆり又は汐少々上り地下
中ふしぎに思ひ 扨は是こそ津浪に間違無為油断無家物山え
持上り何角至迄持はこび 其夜山ニ而夜明し 明る五日人々
寄集り色々の咄 其日の昼迄ハ又家物我家ニ持帰り何事もな
し 此時さより少々宛有又ハ西由岐浦宮ニ而力角けいこ有
それを見に行く人有 もはや七ツ至ころニ成大地信ゆり 又
ハみな〳〵大井に驚きいさん東由岐浦へはしり ミなうろた
へて何はこぶ様なし うろたへてなべかま持はこぶ物有 又
ハやくにもたゝぬ物山え持上り物有 大事の金銀をわすれて
ぬげ行物も有とや こう云内早汐引沖を見れバ大山ゟも高き
成大津浪押寄せ やれ早山えぬげ早く〳〵と大勢の声皆夫々
にぬげ上り 此時ごよくな人みなながれ よくを捨たる人ハ
ぬげ行をふせたり
尤此事相心得可候
嘉永七年寅十月四日昼至
此時地信ゆり津浪少々上り浦中さハぎ家の道具山えはこび
其夜ハ山で夜を明し 明五日此日七ツ半時迄ハ何事もなかり
しが 浦中我家へ道具はこび七ツ半比に又大地震ゆり 又ハ
浦中さハぎ何はこふ間もなし 直に大津浪上り皆々山え欠(戻カ)り
ぬげ 尤此汐長円寺下迄上り 又五日ノ夜四ツ時比大地信ゆ
り 人々又驚き其夜を明し 明六日成バ喰物もなし 浦中の
人わ小野辺川福井下原所々郷分とゑ(とへ)様心安き家を尋御世話成
る処 御上様ゟ小家立下成喰物被仰付其時□事有
尤卯年漁師中へ船作り下成 又何網迄御拝借仰下成 又家を
御立下成候 此時の御郡代様高木真蔵様と申人也
尤大きなる地信ゆれば油断なし
山え上るべし何角山へはこぶべし
尤商人ハ銀札三百目宛御拝借仰付下成 其銀弐拾ケ年御返上
払
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尤東由岐浦ニ而流人廿四五人相ながれ候