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項目 内容
ID J1900295
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔椿村史〕○徳島県S15田所市太著
本文
[未校訂]次に安政年度の大地震は樫原丹十郎翁が実地に目撃せられた
処から其話の一端を紹介すると南の方に地鳴がすると思つた
らやがて地震がゆり出した其地鳴が大きな程地震も亦大きく
あつたが津浪は余り高いやうには思はなかつたさうして別に
音もせず静にずうーと押して来たとの事である。
椿の八幡神社の鳥居の両脇に建てられてある常夜燈は安政三
年丙辰八月十四日の建設であつて其礎石に弘化三年九月の大
風と安政元年霜月の地震の模様が次の如く彫附けられてあ
る。
古き代より此処に祭れる八幡宮御広前に大松あり囲り二丈
余根際より一の枝へ四間高サ三十間に余りぬれは遠近是を
称誉して御国内無類の大木と申侍りしに去ル弘化三年丙午
九月二日の夜の大風に倒れけるにいと〳〵惜むべきことな
りけりのち嘉永七年甲寅十二月改元安政といふ十一月四日四ツ時地震
す高潮浜土堤をこえ川筋奥手迄上れば人々津浪の再ひ来ら
んことを恐れ予其設をなしたるに海上静になりて其日はさ
もなく暮ぬ翌五日天気快晴夕七ツ時大地震樹木動揺して響
山谷に亘り西の方しきりに鳴て止ず酉の刻にいたりて潮嵩
見上るばかりに成りたれば若きは老を扶け幼を携へあるは
牛馬を駆り器材を担ひおのがさま〳〵に奔走して周章騒動
詞に尽がたし漸く山に登りて村内を見おろさば香の谷中村
迄一面しばしが程は海となりぬ猶其中も震動絶ず夜四ツ時
大に震す諸人又々潮の変あらんことを愁ひて瞬息の間も心
を安んぜず且昼ゟ食せざれば膚を侵す寒風も亦すさましく
覚え一夜千宵の思ひをなして其夜をぞ明しける凡此時の変
に罹るもの堤板橋はいふもさら也流れし家九軒浸りし家十
八軒泥土去て砂石を堆くせる田三十余町に[覃|およ]ふといへり今
思ひ合すればさばかりの大変に氏子共の身にことなかりし
は此御神の冥助にして彼巨松をして諸人の横難に代らしめ
たまひしなるべし粤に池内清寿武田嘉矩等志を起し永く神
徳の威霊を□さまく欲して双の石檠を遣献せんことをはか
るに衆人これを悦びて力を扶け事既に成に及んでしものか
たにこのことをゑりて千歳不朽に伝ふるになむ
玉置梅翁 謹白
今の椿字浜、庄田に亘れる入海は面積百拾七町あつて井村京
太郎の祖父虎五郎が開墾した同家所有の新田であつたが安政
の大地震で陥没した其の水面は其後も同家に持て居たが明治
四拾弐年五月六日に井村精蔵外ニ拾弐名が共同で買受けてよ
り今に組合持となつて居る。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 1845
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 徳島
市区町村 椿【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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