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項目 内容
ID J1900175
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔岡山市史 四〕S13・3・15岡山市役所編・発行
本文
[未校訂]『平島氏日記』に、「天明九年四月十六日夕八ツ時大地震揺
り半時計り程動く事甚し。享和元年三月四日大地震。嘉永六
年十一月四日地震」とあると共に、『長浜古老聞書』に、「嘉
永七年十一月五日七ツ時大地震、皆々狼狽廻り其時南方パチ
〳〵と鳴る音を聞きて恐れ入る」と見ゆ。安政元年十一月五
日の地震は数回に亘り、安政大地震の名を留めたるものな
り。
晩七ツ時過大地震、夜四ツ時頃余程再震、其間小震数回な
りしが、城内別条なく、家土及在町共に潰家半潰れ箇所夥
く。在中は人牛共先づ別条なく、町方は圧死一人、怪我人
三四人ありし趣、本日申牒あり。翌六日町家潰家半潰共八
九戸、庇落損じ其外小破損多数ありし趣、町奉行より申牒
す。其九日郡中の景況郡代より申牒左の如し。
此度の地震、御国にては古来より承伝不申程の儀にて、郡
内の内場所により震動の軽重は御座候へ共、一同恐怖仕山
寄の処は山へ登り、或は野中に小屋掛など仕、逃出居申様
子に御座候、上道郡沖新田堤筋破損仕、其外少々宛の破損
潰家等も可有御座、尤人牛等は先別条無之趣相聞申候、今
日に至り候ても兎角震動の気味相止不申、此末如何可有御
座候哉、何分御郡奉行御郡目付共心付候様申聞置候、猶委
組之様子は取調、追て可申上候へ共先荒増申上候。(留帳)
当月五日地震にて御郡々破損所寄目録
一潰家本家長屋𥣯屋納屋土屋土蔵共七百三軒 一半潰同断
千九百六十四軒 一同一宮用場金岡御蔵育麦蔵共拾ケ所
一海岸土手堤退損、長延弐千四百六拾八間 一池川堤並往
来道共ニ破損、長延壱万千六十一間 一用水川溝埋破損共
五十ケ所 一土橋石橋退リ落五十五ケ所 一水門石樋分木
波戸損九ケ所 一田畑響割泥沙水吹出弐千四百三十四ケ所
岡山城下の損害は知り能はざるも、藩札の価格下落のため
恐慌せるに、十一月五日午後より、銀札廃止の浮説に驚き
たる群衆は、栄町の札場に殺到して両替を迫りたる折し
も、俄然大地震に遭遇したることゝて、其の混乱名状すべ
からず。
震後も人心恟々として不安に包まれたるに、藩札価格の下落
に伴れて物価は騰貴し、商売は閉戸罷業の状態に入りしか
ば、藩府は其の善後策に窮したりと伝ふ。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 1679
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 岡山
市区町村 岡山【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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