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項目 内容
ID J1900138
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔海南市史研究 三号〕S52・10・25海南市役所海南市史編さん室
本文
[未校訂]〈史料紹介〉
黒江・岩手屋平兵衛の「高濤記」
柳川 和一郎
[解説]
「[高濤記|こうとうき]」を遺した岩手屋平兵衛(一八〇六~六八)という
人は、黒江の漆器問屋「岩手屋」の五代目で幼名を長之助と
いった。先代が築いたという南ノ浜の川端筋一等地の店舗で
斯業を営々となし、文政五(一八二二)に家督を継いでい
る。
三年後の文政八年二月の江戸積問屋株十一軒のうちに加わっ
ている盛業ぶりで、漆器問屋としての家業を確固たるものに
していった人です。(明治改元の直後に亡くなられているか
ら、まさに激動の幕末期を黒江に生きた人と言える。)
当時の黒江漆器業は、「漸々其業盛にして諸国に販売し 国
として至らさる所なきに至る……木具折敷類を製す 是に依
りて戸口年々増し 戸数千三百余 口数四千五百 外に他所
より来りて賃庸するもの二千余人に至り 甚繁昌の地とな
る」(紀伊続風土記)、また「工商軒をつらねて、錐を立つる
間もなく、はんじょう富饒の地」(紀伊国名所図会)と、そ
の盛況を呈した時代であった。
この時代に、彼は諸国(ことに江戸)へ商売で往還し、世の
中の大きな変動をうすうす感じとっていたことでしょう。
なかでも、嘉永六年(一八五三)のアメリカ船の浦賀来航を
頂点として、異国船のうわさで民衆の不安も高まっているこ
ろ、突如、翌年九月に日方の沖へもロシア船が出現し、いよ
いよ襲いくる歴史の大きなうねりを目のあたりにして、先行
きの不安がつのる一方だったろう。さらに翌年十一月四日五
日の両日にわたる大地震と大津波が、いっそう歴史の一大転
換を象徴するかのような出来事と感じたに違いない。
「高濤記」は、この二大事件を中心として、特に地震・津波
に対しては不慮の大事を招くことから「子々孫々へ申伝へ
……」「……心得べし」と書き記されたものである。
当主の柳川和一郎氏から写真と解説文を市史編さん室へ寄せ
ていただいたので紹介させていただいた次第……編集部
(高濤記)
(前略)
明年寅六月十四日夜九ツ半時比大地震有之、中ニも取訳ケ大
和伊賀伊勢越前東国筋諸城下大震りニ而大荒れ出火も有之、
当国も大震りニ候得共、出火且崩れ候抔之儀ハ無之候
其后、同霜月四日朝五ツ時、当国大地震ニ付一統驚怖仕、高
浪も上り来り候哉と海辺之人々家財向を片付ケ、親類懇家之
小高き処江預ケ、扨且逃ケ支度致候人も有之、色々申触し心
配之事共ニ候得共、近代之人々は高浪抔之儀は未覚之事ニ
付、兎角疑惑不晴、高浪抔来ル儀もよもや気遣ひ無之抔と片
意地成事を申もあり、油断而已ニ候処、翌五日昼七ツ半時比
大地震と成り、所々地面震り割り候所も有之、海山一同ニ震
動沖鳴出シ、暮六ツ時比ゟ大津浪上り来り、四五度も満干有
之、中ニも三度目之高汐猛勢ニ而、当家は床カ之上ゟ三尺五
寸余潮潰りニ相成り、村中一統之混雑大方ならず、目も当ら
れぬ気色也。村人思ひ〳〵ニ御宮御坊其外手近キ山々江逃登
り、老若男女共ニ泣叫も有之候(山ニ而産之気付たる女も有
之、誠ニ古今未覚之大変なり)
其中ニて地震透間なく頻ニ震り立、唯々驚怖之事たとへる物
なし。当家は都合能、津浪前ニ老母小児共足弱之向を逃し
置、残りし家内若イ者共夫々身を堅メ、何角片付方肝要と相
働居候得共、三度目之高浪猛々として満来り候ニ付、庭抔ニ
居候而は難遁と存、皆々二階江登り其夜を明し候
 門口又は湊橋之端江は七艘小廻し、伊勢屋藤次郎船打上ら
れ、同仁兵衛舟ハ尾張橋へ横様ニこざわり、湊橋ハ流れ落て
中橋江流れ掛り有之、あれ浜の引渡し舟ハ市場江流レ行有
之、引汐之勢ひニ而保田茂右衛門所持あれはま之借家八歩通
流失、井戸浜渡し場之東側大手之石垣崩れ、河内浜大手無
難、妹背次郎四郎開台矢之嶋大手石垣崩れ、其外日方浦新田
向岡屋久右衛門所持、名高領谷屋所持横堤之石垣等大半崩
レ、但大手石垣は無難
名高藤代大荒れ、藤白入口鈴木氏之下道端之藪垣半分程漬
り、入口之駿河屋抔は二階ゟ壱尺余之浸りニ候事
冷水浦ハ岨之はなゟ東湊ハ大躰黒江日方も同様之事、西は御
坊初め格別之儀ハ無之、塩津ハ無難潮常ニ少シ勝り候位之
事、塩津戸坂は前段無難ニ而、黒江日方名名高ゟ流れ寄候諸
品を拾ひ上ケ候もの多シとの事、夫ゟ下津浦大荒レ、下辺は
広湯浅大荒レ死人も余程有之、日高郡由良之内横浜阿戸網
代、夫ゟ南塩屋浦ゟ田辺領両熊野海辺は当辺ゟ十倍之大荒
レ、海辺之小在所皆無流失ハ多し
右ニ付、死亡人夥敷有之、中ニも由良横浜ニ而相応ニ暮し居
候桝屋と申内葬礼之中場へ、前段大津浪来り死人乗棺之儘捨
流し、取置之坊主并葬礼参り之人々皆山々江逃上り候事慥ニ
承り候。誠ニ此混雑申も中々憐也。或は老人片意地を申、逃
ケざる人は我家ニ而死すも有
此度之大高浪ハ勢州ゟ東海道筋城下宿々火事も有之、箱根山
迄之間古今未覚之大荒也
其外、武蔵相摸江戸迄も地震致候得共、津浪無之、御公儀様
御武運目出度事共也
往古宝永五年子八月大津浪之節は、此度ゟ大高浪ニ而、黒江
村海近き所ハ二階板まで浸り、流失物多大難儀ニ有たる趣伝
聞致候、右秋高汐之頃なれば尚更大浪と相見へ申候、右年歴
を経て皆々往昔之難儀を打忘れ候
是ゟ六拾年前ニも高浪有之候へ共、是は格別之事ニも無之由
ニ而大キ成騒とも伝聞不致候、何事も過去り年久敷事は忘れ
やすく、重而有間敷様ニ相心得油断之輩、此度は別而之大ぬ
れ難儀致候故、子々孫々迄申伝へ可為心得事也
大地震ニは必す高浪之来ルものと相心得、万端ニ用意可致事
専要也、此度之高浪市場は黒江坂之下迄、北は中程秋葉社の
辺迄、古屋敷ハ中程まで満込申候、別而当家は高波之真先ニ
候得共、御蔭を以軽ク相遁レ候段難有、全ク常之心掛肝要也
一地震津浪抔ニ而過急之節ハ、担笥戸棚之類引出しを可抜置
事。(浸り候ハゝ木殖て引出しぬけず、みじき候ゟ仕方無之
候心得べし)。米塩を気を付る事肝心也。是等濡し候而は誠
ニ差当り大難儀也。地震之節ハ火鉢火撻其外火早き物を片付
べし、若震り潰レ候ハゝ火事と成もの也、心得べし
一着物畳抔を濡し候而ハ大キニ込ル也。此度之地震津浪大坂
川端住之輩地震而已を恐れ、家内をバ丁児下女若イ者抔ニ
まかせ置、船ニ乗り逃ケ居候輩、俄ニ大高浪猛々と満込来
り、大船ニおし潰され、小船之向は不残ら覆り命を失ひ候
人夥敷事也(地震を遁れ度ゆへ船中ニ而逃候主人向は皆横
死す、家内へ残し置候丁児下男奉公人向は無難ニ而皆助命
也)
津浪之時、山江登ルを肝要とす。衣類畳食物を片付候後
ハ、はきものを片付べし。高浪来ルと申時ハ、大戸口明ケ
置べからす、明ケ置候ハゝ流失物多し。塩薪燈油等は二階
又は高き処へ上ケ置くべし。油を切らしてハ其夜火燈ら
ず。諸代呂物二階江上ケ置ク事。諸蔵土戸を引て、前日ニ
しんくいニて能目ぬりを致置べし。前広ゟ人々之取沙汰を
心掛居候ハゝ、大躰分ルもの也(其前夜家々之鶏宵啼を致
候事)
一水も二階江あげ置べし、高浪来り候ハゝ井戸之水も大便小
便も交り候故のまれず、誠ニきたなき事也
一此辺ニ而無難と申在所ハ毛見布引和歌出嶋田の浦才賀崎若
山湊塩津大崎且加田浦之辺也、都而遠浅入江は津浪之勢ひ
別而強し、昔ゟ津浪之前ニは井戸水減じ候と申伝へ有之候
得共、夫ニは抱り不申物也、沖合鳴り出し津浪の来ルニ暫
時之ひま有るもの也(其間ニは随分大様之片付物ハ出来ル
もの也、心得べし)
一大地震之後は、三ケ年程折々震ルと申伝り、是は実々相違
無之候、期月迄之間ハ切々小震り有之候、其后ハ潮尋常ゟ
は余程高し、井戸水もさつはり塩ニ相なり、三ケ年程之間
は井戸塩気ぬけず
右霜月五日地震津浪之夜は、雲色は墨の如し之中ニ㐬(流)星誠
ニあざやかニしてきら〳〵と光り、常ニ勝り照輝候事、二
三日前ゟ潮の満干大キニくるひアビキ甚し、高浪満込之潮
は墨を流したる如し。是ハ全ク大地震にて、海底之泥を震
り動し候故、満込之潮ハ墨色と相見へ申候、大沖之潮は矢
張尋常也といへども、所謂苦がしほ之類とも見受候
一片意地なる老人聊之家財且儲留之小銭等ニ泥ミ、逃ケ出不
申筋ハ誠ニ大難儀致候。六軒浜之家ニ而内儀壱人水死致
し、あれ浜ニ左助と申大工有、其内儀之母親おき代と申女
年令五十才余之趣、聊儲ケ留之小銭ニ心を掛ケ、いづれニ
も家を不出、夫故流死致、翌日ゟ所々相尋候得ども亡骸之
行衛相知レ不申候処、其後日数廿一日程相立、塩津浦へ流
寄候由同浦ゟ為知ら来り候、死骸之腰ニ大工左助と申名札
を下ケ有たる趣、夫故日数相立候而も相分り候との事ニ御
座候
一安政二年乙卯十月二日亥刻江戸大地震、町々家蔵之壁を震
り落し潰家多有之、其跡所々出火数ケ所ニ相成り、吉原抔
は惣潰レ候趣、死亡人拾万人余と申事、江戸得意先々ゟ申
来り実々之事也
誠ニ此地震ハ又々此辺之とは違イ、家蔵を三尺余も持上
ケ、畳抔を刎飛し候との事、誠ニ驚怖すべき事也。此節当
国ゟ江戸江出稼ニ行キ有之候人々、有田郡ゟ上ミ若山を除
キ十八人程怪我人又は横死人有之との趣ニ承知致候。尤上
総国下総国其外江戸田舎関八州并奥州筋ハ、地震またかり
しとの趣ニ伝聞致候
右為心得記し置候事
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 1634
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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