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項目 内容
ID J1900054
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔諸事覚日記〕○小坂田村(現池田市)正智寺文書
本文
[未校訂]○嘉永七甲寅年十一月四日ゟ又大地震之記
右同年十一月四日朝辰上刻又大地震御座候処、其後少々ヅ
ゝ震申候、又翌五日申下刻此度ハ昨四日之朝ゟハ又強地震
ニ而、当年ハ当村正智寺門徒中ニ而刀禰行司相勤候ニ付、
右四日・五日報恩講ニ而大勢参り居候処、五日御退夜之法
談最中ニ右之地震ニ而、本堂之輪燈・燈籠迄こと〳〵く落
申候、参詣人皆かどへ逃出申候処、本堂ハ何れ崩れ候様ニ
見へ候故、当村之もの共命がけニて御尊様おいた(出)し申候、
右ニ付手前宅抔も危候ニ付、かどニてびやうぶヲ立上ニ座
敷之上敷ヲ置、其処ニ老人・小児抔ヲ置申候処、又同夜酉
下刻頃又大ニ震申候、乍去当村ハ何事も無御座候、大坂尼
ケ崎へハつなみ打寄殊之外大騒ニ相成申候
(注、以下大坂の様子は類書が多いため省略)
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 1536
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 大阪
市区町村 池田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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