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項目 内容
ID J1800544
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔紀伊長島郷土史〕長井愛爾編
本文
[未校訂]十一月四日、巳の刻又大地震起り、その後すぐに津浪来りて
流れ家四百八十余軒、汐入三百十軒余、流死人長島二十三
人、三浦五、二郷十二、錦九、尚仏光寺門前に漂流物多く、
著しく避難民の通行を妨げしを以て、今後に備えて松樹五本
を植う。裏町江戸屋長兵衛の寄附なり。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 1410
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 紀伊長島【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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