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項目 内容
ID J1800517
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔宇治山田市史〕S4・3・5宇治山田市役所
本文
[未校訂]十一月四日昼五つ時俄然大地震がまた襲うて来て、翌日昼七
つ時また大に揺れた。其筋に届出でた控書によれば山田のみ
の損害、土蔵・寺院・民家等三千百九十の多きに達した。此
の時の津波にて弘化三年十月大湊に築造した燈台も流失し
た。
(神領雑纂)
御役所ヨリ難渋者千百軒人数二千九百四十七人、十軒へ金
一両ニ米二俵ヅゝノ割ニテ十軒ノ家内人別(小児ハ半分也)
ニ下サレタリ。二度目ハ金ハナシ。又家潰レ居処ナク小屋
ニノミ住居ニテ家建テカネタル者、山田ニテ十五人へ金二
両二分宛、無利足十ケ年賦ニ貸シ与ヘラレタリ。仁恵ノ程
可仰ニテ、御奉行所ハ山口丹波守殿ナリ。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 1314
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 宇治山田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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