Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J1800428
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔浜松市史 一〕S46・3・31 浜松市役所
本文
[未校訂]まず嘉永七年の地震について、その被害状況をみると、同じ
く浜松付近の村々でありながら、場所によつて被害程度が大
きく異なつていることは注目に値する点である。浜松西郊の
入野村では倒壊家屋三十二軒、その他の家屋の大半が大破損
し、堅牢とされていた土蔵さえ潰れるものがあり、村民は仮
小屋を造つて二週間も寝泊りしたというほどはげしい被害を
こうむつたのに、その隣村の伊場村・西鴨江村・志都呂村で
は一軒の潰家もなかつたという。ところが、浜名湖岸の山崎
村では家が潰れ、その下敷になる者もあつた。奈川新田書留
(『浜松市史史料編五』)の中に、この地震被害取り調べが各村
に行なわれたという記録が、つぎに示すように記されている
ので、今後こういつた記録が各地でみつかるならば、この震
災の程度が一層精密にわかり、興味ある研究ができるであろ
う。
乍恐以書付奉申上候
一崩死 誰何才
一怪我 同
一土蔵 何ケ所 内本潰 何ケ所 半潰 何ケ所
一物置 何ケ所 内本潰 何ケ所 半潰 何ケ所
一田畑検地 凡何程
一牛馬 死何疋

右は去る四日之地震にて、村々より先日訴出候得共、書面
雛形之通聢と取調、明後十日朝四ツ時無遅滞、新台所役所
へ一村限可差出候、尤即死之者も今般之儀は見分等無之候
間、無遠慮可差出候、此配符以刻付早々順達、留り村より
可戻候以上
十一月八日
この地震後、津波が起こつている。すなわち、翌五日晩七ツ
過(午後四時)ごろ、南の遠州灘沖方暗くなり、海鳴はげし
く、津波襲来するとて、人々は三方原の台地へ難を避けた。
浜名湖口の今切湊では二百間のところが、津波打ち寄せて七
百間にも開き、宝永年間の大地震のとき打ち込んだ杭があら
われたという。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 1130
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 静岡
市区町村 浜松【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.003秒