[未校訂]什楽庵釈慶旺桜園記 大庭氏提供
大地震大変の儀は十一月四日は晴天温和にて五ツ時半頃地震
揺れ出し たちまち鳴動 大地も裂け砕けいたすが如くにて
銘々老若を救い候間もこれなく 互に裏表へ走り出で地上に
いたり七転八倒 堂屋の破れ裂け潰れ倒れるをも見分け難く
親は桁梁にあい押し伏し 妻子も垝瓦壁土砂の下にあい埋り
候をも救うべき手段もこれ無し。土煙は周を覆い眼目も眩瞑
し咫尺もわきまえかねず。ただ驚ろき怖れ肝魂を失ない前後
も覚えず。地に伏し候らいてようやく動揺も少しゆるみ起き
上りて日光を見認め少し心つき はじめて父子妻子の分離を
尋ね互いに見合し愁傷驚駭の折このとき西南の風はげしく処
々より一時に火燃え出し黒煙四方にさえぎり 震動は止まり
難く 現在親属の者土木の下にあいなるをも見殺にいたし
或いは生きながら焼け死に候もあつて誠に憐れむべき事些に
て たちまち火勢は猛烈に燃え上り街上一面の火炎とあいな
り 数代蔵蓄の家宝も残すところなく烏有とあいなり。ただ
ただ人々われがちに活路を求め狼狽いたし逃遁の路筋も大地
笑み割れ泥水吹き出し川流 并水は毒濁とあいなり渇を止め
候ことも能わず。東西南北の隣村へ各々逃げ出し藪・木根の
下をたずね互にあい集り途方に暮れ その夜は野に臥し寒気
の防ぎ方もなく霜露をいただき終夜眠もならざるにこれある
ところ 明七ツ頃に西南の中天に光物二丈ばかりの物あい見
え皆泣 驚怖いたすばかりなり。翌日にいたりても震動 揺
れはなはだしく 明け頃城主よりは見分の役人もあい回り
御救いの類など焚き出しもこれあり。あるいは処々にて見え
ざる人を尋ね一は焼灰の中より二人・三人死骸ありて ある
いは瓦壁落ち重り土砂の中に小児を負いしまま死す者を掘り
出す または三人抱合焼焦にて面色分け難くまかり候いて悲
歎痛哭たとえかたも東西の泣叫の声は猛火の中に喧ましい
叫喚地獄の有様も此の如にあいなる。人界忽滅劫の時も来り
あいなると懼しき事 言方になく誠に転倒上下無常根本の真
説三界無猶如火害の正敷に更奉教信も無く愚也と如何者も称
名念仏の外他念なかりにて 然しながら当時現住の眷属不思
議の助命を得ること これしかしながら冥(ママ)見護物の勝蓋也と
か崇か真因で驚孩悲痛難苦の十ケ一を記しここに云う。
安政元年甲寅の冬十二月仮の小屋中に記