[未校訂]S36・11・3 桐田栄著
霜月四日の朝五ツ時
突然のことだつたので戸外にとび出したが逃げおくれて下敷
になる者、柱や軒に打砕かれる者、大地は泥水をはき高潮は
浜を洗い、飛ぶ鳥も落ちる有様で正に天柱が傾いたかと思わ
れた。細江の掉月庵、西町の東光寺、釣学院、勝間田の西光
寺等の堂塔一時に倒れ、各村の家々は殆ど傾き倒れ、人々の
泣き叫ぶ声は巷にあふれ、正に生地獄の一大悲惨事が起つ
た。倒れた家傾いた吾が家の前に傷ついた親を、わが子の変
り果てた姿を眼の辺した郷人の気持はどんなであつたであろ
う。
十一月廿七日安政と改元。傷ついた親を助け打撲傷を負つた
女子供を励ましながら、うだつ屋で稲をこき、もみすりに励
み、いじらしくも年貢を納めようとする郷人の忍苦の姿がま
ざまざと眼に浮かぶ。
しかも安政二年夏七月今までの反動として元文以後百年来の
豪雨がやつてきた。倒れた家を建てなおす暇もなく雨もりの
するあばら屋に日夜を過す、幕末の郷人のいたましい姿は思
いやるだに胸のつまる思いがする。