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項目 内容
ID J1800389
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔榛原郡榛原町史稿〕○静岡県
本文
[未校訂]S36・11・3 桐田栄著
霜月四日の朝五ツ時
突然のことだつたので戸外にとび出したが逃げおくれて下敷
になる者、柱や軒に打砕かれる者、大地は泥水をはき高潮は
浜を洗い、飛ぶ鳥も落ちる有様で正に天柱が傾いたかと思わ
れた。細江の掉月庵、西町の東光寺、釣学院、勝間田の西光
寺等の堂塔一時に倒れ、各村の家々は殆ど傾き倒れ、人々の
泣き叫ぶ声は巷にあふれ、正に生地獄の一大悲惨事が起つ
た。倒れた家傾いた吾が家の前に傷ついた親を、わが子の変
り果てた姿を眼の辺した郷人の気持はどんなであつたであろ
う。
十一月廿七日安政と改元。傷ついた親を助け打撲傷を負つた
女子供を励ましながら、うだつ屋で稲をこき、もみすりに励
み、いじらしくも年貢を納めようとする郷人の忍苦の姿がま
ざまざと眼に浮かぶ。
しかも安政二年夏七月今までの反動として元文以後百年来の
豪雨がやつてきた。倒れた家を建てなおす暇もなく雨もりの
するあばら屋に日夜を過す、幕末の郷人のいたましい姿は思
いやるだに胸のつまる思いがする。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 1035
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 静岡
市区町村 榛原【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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